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⑯『投資ロマンス詐欺』に引っかかり、約500万借金した四十路の末路@現在進行形-交番・警察署に駆けこむ・Ⅸ-
そこそこ年季の入った警察庁舎の二階の廊下の一角は、冬の寒さとはまた少し違う冷えこみに包まれていた。
泣き寝入りはするつもりはないし、今日はそのつもりでここに来たのだ。スマホからデータをとるといわれれば差しだすつもりだったし、書類が必要なら拇印でも実印でも押す覚悟で来た。
「犯人を捕まえることはもちろん大切です。だけど……たまぞうさんの場合は、まず生活の基盤を整えられて、そこから動かれたほうがいいと思います」
今度は、ずっとだんまりを決めこんでいたかのように思えた右側の刑事がおもむろに口を開いた。
彼が差しだしたのは、ぼくが一番最後に添えていた書類だった。
この誰が読んでいるかよく判らない、エッセイなのか体験記なのかもよく判らない雑文の3に記したとおり、今回背負った借金をまとめた書類である。その額、ざっと500万円ほど。すでに支払いも始まっている。
今月末も待ったなしで訪れる。
26年前なら「世紀末だし、まぁ、何とかなるっしょ」とか軽口が叩けていたかもしれないが、世紀末は来なかった。だから生きている限り、支払日はやってくる。骸になるしか逃げ道はないのだ。
「おそらくこれを支払っていくとなると、相当の経済力が必要かと思います。もしいま、被害届を出すとなると、その負担に比べて、こちらの支払いの負担も重くのしかかってくると思います。実際、どうでしょう?」
「……確かに、苦しいです。支払うの。すでに、借金で借金をあがなう自転車操業です……」
悔しいが、認めたくないが、それは事実だった。
借金を返すための借金をすでにしている状態なのだ。
3万ドル預ければ自由に引き出せるとのたまった、彼を殴りつけてやりたい。
「詐欺事件の時効は七年です。つまり今日、いますぐ被害届を出さなくても、また後日という選択肢もあるわけです。さすがに二年先、三年先となると、どんどん新しい事件が起きますから、今回の件に対応するときは、書類を探したりするのに時間を要するかもしれません。
でもまずは金銭的な面で安定を手に入れてからでも遅くないと思います。家計が火の車だと、それだけで気が気ではないでしょう。犯人を捕まえてほしいという気持ちは理解しますが、先ほども申したとおり、辿り着く可能性は低いといわざるを得ません。
ですので、一度、生活基盤を安定させることに注力しませんか?」
左に座る刑事も同意を示した。
ああ、警察官に生活の心配をされるレベルなのね。いま。
黙っていると、だんだん顔が火照り、視界がぼやけてくる。
しかし生活基盤の安定は、急務だった。
今日は、もうここから先に進めない。たぶん進めようとしても、目の前の二人は体を張って止めるだろう。根拠はないが、そんな予感がした。
「……一度、持ち帰ります。今日はお時間ありがとうございました。自分がバカなことをしたばかりに……」
そう。お前は馬鹿なことをした。甘言に乗せられて、大金を失った。だけどほんの少しでいい。お金にゆとりがあれば、より落ち着いて休職して精神的に治せる時間に充てられると思ったし、奨学金の繰り上げ返済もして身軽になれるかもしれないと、詐欺師と話しているときはほんとうにそう思えたのだ。……その望みは、果たしていけないことだろうか。
「たまぞうさん、あなたは自分のことはどうか責めないでください。この手の詐欺事件の被害者はたいがい自分を責めて、精神的に参ってしまいます。悪いのはあなたではありません。あなたのお金を奪った犯人です。これだけはどんなことがあっても肝に銘じておいてください」
もう限界。涙が止まらなくなった。
古びた警察庁舎の廊下でむせび泣く四十路男と、それを見守る刑事。
どこぞの三文ドラマみたい。
まぁ、振り返るとただただシュールでした。
久々に泣きました。飼い鳥を失って以来、3年ぶりくらいに泣きました。
泣きながら思ったのは、もう泣くのはこれを最初で最後にしようということ。そして経済基盤を少しでも盤石にして、被害届は出すということ。
去り際に刑事から名刺をいただいた。
「もし被害届を出すと、決心がついたら、連絡をください。ただ苦労のわりに報われないことは多い。それだけは伝えておきます」
粛々と、ぼくは名刺を拝受した。
さて、次は生活基盤である。
これは警察の管轄外である。しかし何とかしなければならない。
以下、次回へ。
生きていたら続く。
もう、ほんとうに疲れた。