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人は忘却によって前に進む
私の数少ない特技のひとつに、方言の習得の速さがある。旅先では着いて1時間もすればイントネーションうつってしまうし、1ヶ月いれば地元の人と間違われる。
それはひとえに転勤族の娘として育ったからで、私はさほど苦労もせず、自然に方言を習得のするすべを身につけた。と思っていた。この夏、帰省した時にドライブをしながら両親から当時の話を聞くまでは。
遡ること約30年前。
小学校入学のタイミングで、埼玉から奈良に引っ越しをした。私の記憶では、すんなりと関西弁になじんだつもりだった。なんのきっかけでドライブ中にその時の話になったのかは忘れてしまったけれど、「子供の頃から方言で全然苦労しなかったから、これは私の生まれ持った才能かもしれない」と言った私に、いやいやなに言ってんの、と両親から秒でつっこまれた。
事実はこうだった。
引っ越してすぐ入学式を迎え、ランドセルを背負って通い始めたのはよいものの、そこからしばらく私はご飯が食べられなくなり、夕方には発熱。朝になると熱はひき、登校する、ということを繰り返していたらしい。
当時母は心配したものの、私が自分から学校に行くといって休まず通っていたので、学校自体が嫌なわけではなさそうだし、引っ越しや、小学校にあがったことによる環境変化のストレスかなあと思っていたそうだ。
けれど、ある時わたしがぽろりと、「学校でみんなが言っていることがわからない」と言って、それが原因だったのか!と、目から鱗だっらしい。両親ともに和歌山出身だし、私もそれまで帰省の時に和歌山弁の祖父母と普通に会話をしていたから、まさかクラスメートや先生の話す奈良弁がさっぱりわからず困っていたとは思いもしなかった、と。
そうなのだ。関西弁とひとくちに言っても、和歌山弁と奈良弁は違う(なんなら大阪弁、京都弁、神戸弁も違う)。そしてもちろん小学1年生には、埼玉から来た子供に対して、奈良弁をちょっと薄めて話そうなんて発想はない。こってこての奈良弁のシャワーを全身に浴びた私は、自分でもよくわからないままに、食べられない、熱を出す、という状態になっていたのだった。
そんな中で、同じタイミングで神戸から引っ越してきた、お向かいに住むゆうやくんが、毎日「遊ぼう」とかまってくれたり、あちこち連れ出してくれたり、関西弁を教えてくれたことを、母は今でもとっても感謝している。ほんまに、ゆうやくんがいてくれへんかったらどないなってたんやろうと思うわ、と。
そんなことはきれいさっぱり私の記憶からは消えている。ゆうやくんと毎日遊んだことも、彼が私の関西弁の師匠であることも覚えているけれど、周りの言っていることが全然わからなくて困ったことも、熱を出していたことも、なーんにも覚えていない。人は忘却によって前に進むことができる、というのはこういうことか。
そのあと、1年で奈良を離れ、埼玉へ。
3年後ふたたび奈良の同じ街に戻ることになった時、両親は1年生の時のことを思い出して心配したらしい。そりゃそうだ。けれど、そんなことをすっかり忘れている私は、引っ越しの途中、愛知の岡崎市で1泊した時に、朝起きたらもう関西弁になっていた。生物は環境に適応して進化するのだ。
こうして私は方言の習得が速いという特技を身につけたのだと、約30年たって初めて知った。全然生まれ持った才能ではなかった。けれど、きっと生き延びるためにその力を習得したであろう小学校1年生の私に、ありがとうと言いたい。
そしてこの件に限らず、私の記憶からすっかりこぼれ落ちてしまった出来事や、いいように書き換えている記憶が、まだまだたくさんあるのだきっと。両親との会話は、私の知らない私を教えてくれる。離れて住んでいるけれど、だからこそ、1回1回の会話を大事にしたいなあと思っている。
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