見出し画像

こだわり。

こんちは。

最近、こだわりがストレスやパフォーマンスに影響していると注目し始めました。

こだわりがあればあるほど、強ければ強いほど心理的に負荷がかかります。
これは感覚的に理解できる人は多いと思いますが、あまり重視しない概念なのかも知れないと思い始めたのです。

取り掛かりが遅いとか、作業に時間がかかるとか、ネガティブ思考になるとか、果てはやる気までなくなってしまう時って、何かにこだわっている状態なんじゃないかなぁと。

どうしても達成したい目標がある状態です。
これはとても良い行い考えだとされていますが、これが執着に変わると上記になり、目標が翻って自分の足かせになったりするんじゃないかなぁと思うのです。

 今わたしは四十を超えて諦めなのかも知れませんが、だいぶこだわりがなくなりました。
漠然とした目標は確かにあります。しかしそれがどのような形になるのかは特に決めていません。どの形であれ、その時その時自分が納得すればそれが達成だと位置づけよう、という感覚で前に進んでいます。

そうすると肩の力が抜け、とてもリラックスして楽しんでものごとが進められます。
それは年の功なのかも知れません。ですが確実にこだわりがすっと消えました。

もし、絶対に達成してやる!と肩ひじ張って血眼になった人が目の前にいるとします。
その人の目標って叶うと思えますか?
印象の問題ですが、わたしはその人にまずリラックスして欲しいと思えます。

 目標を叶えるには下準備が大切だとわたしは思います。準備に血眼になって一人で作業をしているのならまだ話は分かりますが、例えば本番の面接であったり好きな人とのデートのときに、ものすごく力が入った血眼な人だったら、敬遠されそうだと個人的には思います。
感覚の話しですが、その本番でも特にこだわらない。が奏功するのではないかと考えるのです。
面接やデートでも、落とされたら相性が合わなかったから相性の合う人に受け入れてもらおう!と、こだわらなければ特にネガティブになることもなくすぐに次に進めます。

 人生全体でも、わたしはそう考えます。
特にこだわらない。
その時その時の自分なりのよいものの選択をすれば、それがわたしの人生だと考えています。
もしその時に取りこぼしたものがあったとよぎったら「あー準備が足りなかったなぁ、次は取りこぼさないようにこの準備をしよう」と具体的に何か考えるはずです。
後悔するのではなく、次により良いものを得るための行動になります。
どっちかといえば、↑こっちの方が強欲です笑
それすらこだわりません。
しかしこの考えこそが自他ともに温和になる考えだとは思います。

そして、こだわらない人生の方が、こだわる人生よりもずっとストレスが減り、またこだわる人生よりもっと良い人生が得られるのではないかと思っています。

こだわらない。に注目してみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?