日本語教員試験2024体験記(導入「アドリブ感」編)
この記事は、「日本語教員試験2024体験記」の第11回です。
前回までの記事は、noteのマガジンにまとめていますので、合わせてお楽しみ下さい。
学習者を楽しませるには教師の「アドリブ感」が大事という話
大学生時代の大教室の講義。興味もないが必修科目なのでしかたなく受講していたら、一年間ずっとノートを読んで、板書するという教授がいました。意地悪ではないのですが、質問してもムスッとして、親身には教えてくれません。生意気な大学生からしたら、駄目な先生って思ったりしたのですが、これも今思い出すと、いろんな事情がってのあのスタイルだったのかなと反省します。
また、小学校の時、算数や国語の授業では鬼の形相で授業をするのですが、社会になるとクラスが盛り上がるということがありました。先生が社会科目好きだったのでしょうか。「先生の仕事とは、その科目の勉強を好きにさせることである。(中田敦彦)」という定義が私は好きですが、国語と算数はともかく、その先生は私に社会の科目を好きにさせてくれました。
授業が楽しいものになるためには、先生の方も活き活きと楽しそうにしていることも一つの要素ですでしょう。もちろん先生だけが楽しいってのも困りますけどね。最初に書いた大学教授の先生は、内容的には中身が詰まっていて、社会人になってからも、◯◯先生が言ってたやつだなぁと思い出すことがあります。ただノート読み上げの、動画再生のような授業で私は楽しくなかったし、事実先生も楽しそうではなかったので、気づくのが遅くなったのです。今回は、授業を楽しくするにはということを考えるために、教師の「アドリブ感」という言葉を使って記事にまとめていきます。
導入「アドリブ感」
「アドリブ」を、Wikipediaで調べてみました。
音楽や、映画、ミュージカルでよく聞く言葉です。演技でいえば、先日お亡くなりになった西田敏行師匠。アドリブの神ですよね。映画「釣りバカ日誌シリーズ」を見ていると、三國連太郎さんとの掛け合いで、アドリブとしか思えない箇所がいくつも見受けられれます。
私は音楽の理論は詳しくないのですが、Jazzがそういう感じだと理解しています。Jazzに楽譜がないかというと実はあるらしいのですが、クラシック音楽と違って「コード進行」なるものが書いてあるだけだとか。詳しい方は教えてください。言いたいことは、この通り弾きなさいということが楽譜に一字一句書かれているのではなく「このような進行でやってください」ということらしいんですね。どうしてそれで成立するのか、私の理解を超えた世界。バンドの方でもギターのアドリブ、なんていうのはかっこいいですね。ミスチルの後ろのギターの方を真似して、通販でギターを買った高校生の私。基礎を身につける前に挫折しましたが、いまだに憧れます。
落語や漫才師ではどうでしょうか。ノートにびっしりと「ネタ」を書く師匠やコンビもいれば、舞台前にかるく合わせて、ふん、ふん、ふん、よしこんな感じで、とだけやって、出囃子にのって舞台に立つ人がいるそうです。ただ、人前で話せるだけでもすごいのに、面白いネタを繰り広げられるなんて、まさに才能と努力の賜物です。
このように、今回の記事では「アドリブ」を、一般的な意味で使用し、「アドリブ感」とは、アドリブによって演技が生き生きとして楽しいものになる感覚と定義します。
日本語教師にとっての「アドリブ」とは
日本語教師にとっての「アドリブ」とはなんでしょうか。授業の準備をしていないことをやることもアドリブかもしれませんが、たいていの場合カリキュラムは決まっているし、担当するページも文型も決まっているし、使うスライドも決めていたら「アドリブ」を挟むことはありません。
想定していないことを学生に質問されて、話が膨らむことがあります。こうやって説明したいけど、もう一歩手前を導入しないと分かりづらいから、ちょっと寄り道してみるか、という「アドリブ」があるかもしれません。
「教案」と「ライブラリ感」
「ライブラリ感」という私の造語は、前々回の記事で導入しました。いつでも情報を引き出す準備が出来ているという意味で、学習者にとっても教師にとっても学習上の安心感を担保するものです。
教師側にとっての「ライブラリ感」の1つに「教案」があるでしょう。新任の先生がデビューして、授業に慣れないうちは教案通りに進めたほうがいいという考え方があります。たしかにそう思います。日本語教師の養成講座では教案を書いて、模擬授業をするそうですね。これはいい経験だと思います。「アドリブ感」が出てくるまでには何らの型が必要ですから、「教案」というものは重要なツールです。
また、こんな話があります。営業の電話をかけるコールセンターなどでは、どのように話をしていくか、「スクリプト(原稿)」がモニタに表示されていて、チェックをつけながら進めていくのだそうです。電話のオペレーター(アポインターと言ったりもする)が、勝手気ままに電話してアポや契約が取れればいいですが、法令などのルール違反にならないように留意したり、営業の作戦を変更するときに「クオリティ・コントロール(質の管理)」ができないと困るので、かならずトーク・スクリプト通りに進めるのだそうです。私がアルバイトで経験した営業の仕事では、電話をモニタリングしている上司(スーパーバイザー)が、電話をかけているスタッフに耳打ちしながら話を進めてアポをとっている光景を目にしました。時代が進んで、最近は全ての録音をAIが書き起こして、要約して、このオペレータはこういうところが良いとか悪いとかフィードバックされるそうです。日本語教師がAIにフィードバックされる日がいつか来るのでしょうか。
これらの例により、一定の「型」に基づいて仕事をしてく中で、最終の局面で「アドリブ感」に突入していることがわかります。
同じ授業を4コマ連続でやったときの最後に感じた「アドリブ感」
私の勤務校では春と秋に「交通安全教室」と称して、最新の交通事情やルール改正、それに関する語彙を導入して、留学生に交通安全意識を高めてもらおうという授業を企画します。各クラス、例えば4クラスあれば、1限はこのクラス、2限は、このクラス・・・というように、4つのクラスを周るのです。
4コマ連続で、同じ授業を違うクラスに実施します。最初のクラスはたいていうまく行きます。準備は当然がっつりやってますから。ところが、2コマ目と3コマ目で思ったようにいかなかったり、順序が入れ替わってしまったりで、あらら?と焦ります。しかし、4コマ目になるともう口が滑らかになって、もう何も考えずに授業ができます。学生の頷きも、爆笑もとれるのはやはり4コマ目です。
この語彙が伝わりにくいとか、このくすぐりは受けるという経験が「アドリブ」として結晶するのでしょう。4コマ目の終わりにはアドレナリンがドバドバ。普段の授業で同じ授業を4コマ連続ということはまずありませんから、いい練習をさせてもらったという感じです。
小中高の先生と、塾・予備校の先生や日本語教師の違い
ここまで述べたように、教師が「アドリブ感」を発揮するためには、「ライブラリ感」に裏打ちされた事前の準備と、実践での経験が必要ということになります。教える内容が自分のものになっていれば、いつ質問されても1時間や2時間、手ぶらで語ることもできますが、例文の準備などがないと、途中でつまりますね。塾・予備校の先生は、同じ範囲の授業をやる機会は比較的短いサイクルでやってくるものではないでしょうか。
一方、小中高の先生は、何クラス担当したとしても、教科書を最初から順番にやっていくとすれば、最初の方のページをまたやるのは来年です。担当学年が変われば、内容も全く変わります。先生だから何でもいつでも教えられるというのはまったくもって理想と幻想でかもしれません。学習者側である児童生徒も年々・日々変化していまし、先生も勉強して経験して、日々成長するわけですから、前回の授業時とは違う人間です。一巡して、次にやる授業は、単元は同じであっても中身まで全く同じものとは言えません。小中高の先生の授業サイクルは長そうだと言えます。これは、一定のカリキュラムをチームで周回している先生としては日本語教師としても似たところがありますが、私の感覚からすると、日本語教師の授業サイクルは中間というところです。
塾の先生で、個別に指導していたとして、どんどん入ってくる児童生徒に何度も同じ単元を教えてらどうなるでしょうか。これは教え方がどんどん上手くなるでしょうね。児童生徒の何がわからないかも経験的にわかってくるし、何度も教えていくことでネタが洗練されていきます。学習者のニーズに応えるために後行シラバスをとれるのが塾の利点でもあります。こういう意味で「アドリブ感」に近いのは塾や予備校の先生かもしれません。
CD・DVD・オンデマンドではどうか?
最近は、オンデマンド授業というものが爆発的に普及しています。塾の月謝に比べれば安いサブスク(定期契約)で、いろいろな授業が見られるサービスがありますね。やる気がある児童生徒なら、絶対にやったほうがいいと思います。
落語や音楽はCDよりもライブ(生)の方がいいという意見があります。確かにそう思いますが、古今亭志ん生の落語や志ん朝の落語は生ではもう聞けませんし、CDだからといって何度聞いても色褪せることはありません。これは聞いている側が、聞く度に、前聞いたときの自分ではなく新たな自分にアップデートされているからかもしれません。学生時代に読んだ夏目漱石の「こころ」が、四十を超えて読み直したら涙なしには読めないという現象で、「夏目漱石の法則」と名付けておきましょう。学習者側にも「アドリブ」があるかもしれませんが、これについてはまた別の機会に考えを深めることにします。
「数学」と「現代文」が強い人の「アドリブ力」に憧れる
「数学は暗記だ!」という説もありますが、一面的に解釈してはいけません。確かに公式や定理を覚え込んでいくことは重要ですが、本当に数学で点が取れる人は、公式や定理を使いこなすことができ、はたまたはちょっとした数式から「導き出すこと」ができるそうです。深く理解しているからこそ、可能なんですね。暗記もしているが、試験の現場で真っ白の紙に公式をもとに展開する。この「アドリブ性」はJazzどころの話ではないかもしれません。未だに自分の数学力が悔しいです。
現代文ではどうでしょうか。高校のときの担任が「国語は勉強しても伸びない」と言い放ちました。これは絶対に間違いです。国語は「適切な方法」で勉強しなければ伸びないのであって、そもそも国語の勉強をしても意味がないという先生の言葉には心の中で強く反発しました。数学の先生だったんですけど、学生時代に国語嫌いだったんですかね。
「ヤンキーは国語が伸びる素養がある」という説があります。口喧嘩がに鍛えられて、文の構造を見抜いたり談話を構成したりする練習になっているのでしょうか。漫然と文章を読むよりも、深読みしたり、疑ったり、比べたりして読む癖が国語力を伸ばす基礎になっているのかもしれません。
国立大の現代文は強烈ですね。「200字で書け」みたいな、小論文かよ!というような問題がでます。文字や語彙などの基礎知識は重要ですが、本文を要約したり、キーワードから演繹的、積分的に広げて解答を作成する能力が必要で、まさにその場での「アドリブ力」を試してきます。
実は全科目が「国語」という説
「国語も数学も英語も理科も社会も、勉強は一科目だ」という見方もあります。中学校では顕著ですね。数学で問われる国語力、英語でも問われる国語力、以下同じで、国語力という「ライブラリ感」に裏打ちされると、全ての科目が伸びるという説に私は大賛成の立場です。国語か数学、どちらかが突出した友人がそれぞれいました。私は平均的にまんべんなく、そこそこ良い方だが、これといった芸がない。だから、大学に行っても、社会に出ても苦労するんですね。いまさらですが、日本語教員試験を終えてから奮い立ったようにnoteに記事を書きまくって、過去の借りを返そうとしています。今日もあっという間に5000字です。読者の皆様、短くまとめ切れない私をお許しください。
日本語教師と「アドリブ感」まとめ
「アドリブ」とは「テキトーにやる(「適当」はいい意味ですね。)」ことではないのはおわかりいただけると思います。基礎、ストック、「ライブラリ感」の裏打ちで、台本にないことをやって、観客を楽しませることができます。
日本語教師の現場でも「アドリブがハマる」と教える側は快感です。しかし、連続してできるものではなく、失敗すると代償も大きい。だから、「アドリブ」は狙ってやるものではなく、基本通りにやっていたらつい出てしまうものでいいのかなぁと、自分を外しすぎないように戒めて、私は教壇に立っています。
日本語教員試験2024(令和6年度)は、ガッチガチの基礎力に加えて、相当な「アドリブ力」も求められました。なぜならば過去問もなければ、問題も難しく感じる内容で、初見対応に惑わされっぱなしだったからです。日本語教員試験が、新しい時代の教員に「アドリブ力」まで求めてくるのであれば、私たち日本語教師はどのようにして自分を磨いていけばいいのでしょうか。
日本語教員試験の問題を評価・総括として、「受験者と問題文の間のコミュニケーションが求められた」と試験直後の記事に私は書きました。よくよく考えて、じゃあそれってどうやるのよ?と、自分にツッコミを入れたところです。こうアドバイスされるでしょう。「問題をよく読んでください。」←わかってるんです、そんなことは。普段もやってるけど、本番でできなかったんです。これが、受験者の本音というものです。
「一生懸命基礎を築いて「ライブラリ感」を構築し、「放課後感」で楽しくま学ぶことを継続し、そして「アドリブ感」で光り輝く」
私が考える理想の学習者像•教師像を、やっと語り尽くすことができました。私はこんなおもろい人間ではありませんが、これまでに教えてくださった様々な先生を統合し、総合した結論がこれなんです。
普段から基礎的な練習を積んで、楽しみながら継続して、舞台に立つ時は持てる力でのびのびと力を発揮する。なんとも理想的です。ここに向かって頑張りたいと思ったのが、試験終了5秒前でした。
日本語教員試験2024は、もやもやとした自分の中の思いを「言語化する」きっかけを与えてくれました。もはや、この勢いは止まりません。日本語教員試験2024体験記とシリーズ名をつけてしまったので、今後も試験に沿った内容にしたり、アドリブで寄り道することもあるでしょうが、読者の方と一緒に考えるきっかけをたくさん残せていけたらと思います。引き続きお楽しみいただければ幸いです。
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