見出し画像

日本語教員試験2024体験記(「ホワイトボードで現場を想像」編)

この記事は、「日本語教員試験体験記」の第12回です。
前回までの記事は、noteのマガジンにまとめていますので、合わせてお楽しみ下さい。

日本語教員試験に合格するには、授業風景が見えていた方がいいという話

2024年11月17日の試験から早くも2週間が経とうとしています。試験についての評価は出揃ったと言えそうですが、12月8日に行われる聴解試験の再試験の実施、運営に状況よっては再度火がつくかもしれません。私としては試験をきっかけに思ったことや、これまでの経験と合わせて広がった考えを記録する作業を続けていきたいと思います。

今回は、日本語教員試験が日本語教育の能力検定試験よりも「実践的」な方向に舵を切ったという切り口で考えていきます。「急がば回れ方式」で、最終的には試験対策につながるのかな、というお気持ちでお楽しみください。

「基礎試験」を【知識】、「応用試験」を【授業】と定義

思い切った定義をしてみました。完全にそうだとは言えません。強引に設定したモデルです。実際に受験してみた感覚に基づいて表現しました。実際に基礎試験では知っているか知らないかの問題も少なからずありましたし、知識を前提に解くという基礎ながら応用的な試験もありました。応用試験では知識は問われないのかというとそういうことではなく、知識があることは大前提とした謎解きのような問題が多かったのです。ただ、試験前の触れ込み通り、かなり「授業について実践的な知識、思考と問う」問題だったのが応用試験で、受験者にとっては概ね共感できるところではないでしょうか

以前の記事で、私は「基礎試験は独学者のためのもの」と書きました。なぜならば、現職者においては420時間講習を受けた方、日本語教育能力検定試験に合格している方は経過措置により基礎試験は免除されます。新制度の下での養成講座を受けた方も、基礎試験は免除されるそうです。ということは、基礎試験は養成講座を受けない人が「試験ルート」でチャレンジするものということになるのです。

国家資格に合格するために、知識は必要ないなんてことはありえないでしょう。基本的で、検定試験でも頻出だったような分野の知識から、重箱の隅をつつくような試験まで出るのが試験というものです。100点満点を取れる試験には設計しないでしょうから、一部奇問難問を登場させなければいけない作問者の事情も想像できなくはないですが、その数問で合格基準のボーダーラインをさまようとなると、のちのち恨み節になってしまいますね。「暗記」というと悪いイメージもありますが、「覚える」ということは学習することそのものですから、受験者しては逃げることができません。

一方応用試験は「授業の現場を想定した問題」と事前の噂にも、事後の分析でも言われました。第1回の日本語教員試験は現職の教師が基礎試験を免除して、応用試験のみに挑戦するというケースが多いと感じていますが、「応用試験が現職者優位だった」と言われるのは実際の「授業」をイメージした試験であったことに相違ないでしょう。

私は現職の日本語教師ですから、試験を受けながら教壇から見る学習者の顔が頭に浮かびました。試験の内容などもう忘れてしまいましたが、問題によっては「あるある」と頷きながらときました。授業の光景や風景が、主観的または客観的にイメージできていると、問題に対して取り組みやすいですね。一方、これから日本語教師になって、認定日本語教育機関で授業をしようと思っている受験者にとっては「あるある」とはいかないので、日本語教師とはこういう感じなのかぁ、と想像させるための試験が「応用試験」ということになります。

実際の授業をどのように想像すればいいのか

私は、あくまで「独学」で、ゼロから日本語教師を目指したいという受験者を応援する立場で考えています。養成講座を選択できる人はそうすればいいですが、諸事情があって、どうしても「独学」で合格したいという人は存在するわけで、日本語教員試験が「独学は不可能な試験」であってはいけないと思います。独学は数倍の努力と時間がかかるかもしれませんが、それは覚悟の上ですからね。

もともと教員をやっていたとか、塾講師をしていたとか、営業や販売経験があって人前で話すことに慣れているという方は有利です。しかし、現場に立ってみると思ってたことと違うぞということは山程あるのが新しい仕事に就くときの常。私が日本語教師デビューして、なかなか慣れなかったことの1つに「ホワイトボード」の使い方があります。

「ホワイトボード」から、「授業」をイメージしてみる

私が通った小学校、中学校、高校、予備校、大学は全て「黒板」でした。一部、ホワイトボードの教室もありましたが、「チョーク」、「黒板消し」「黒板消しクリーナー」などの記憶は鮮明で、小学校低学年の時には中庭で「黒板消し」をパンパンしてきれいにする係もありました。今では考えられませんけど。ちなみに「黒板消し」は鹿児島では「ラーフル」というそうです。ポルトガル語の影響だとか。私の友人は「他に言い方あるの?」言いました。言葉って面白いです。

日本語学校でも黒板を採用している学校はあるでしょうが、最近ではホワイトボードが多いのではないでしょうか。標準的なサイズで言えば、1間・半間(約1.8m×約0.9m)くらいで、教室によっては左右に2枚配置しているかもしれません。そもそも法務省告示校の日本語学校では1教室に20名ですから、それほど大きなホワイトボードを設置する必要もなく、むしろ最近では大画面モニタや電子黒板の方に置き換わってきているところでしょう。この画面を活用して授業をすることについては、もう少し先のこととして、今回は「ホワイトボード」で話を進めます。

「ホワイトボード」を上手に書きたいが、Tips(参考情報)は案外少ないので、自分なりに考えた

私の同僚教師で超絶にホワイトボードの字が綺麗な先生がいます。書くスピードも早く、みやすく、消すタイミングなどもうまい。これは真似して自分のものにしないとと思ってきましたが、なかなか授業をやっていると、準備したこと、話していること、学生の反応を読み取っていることというマルチタスクに押されて、ホワイトボードをの字をうまく書くということに気が回りません。

「だったらパワポ(Power Point)でやればいいじゃないか」という話は、今回はご容赦ください。パワポの利点はまたじっくり考えていきます。モニタやパソコンが壊れてしまって、今回はホワイトボードしかないから仕方ないという設定でお願いします。

新任の先生がデビューする時点で、ホワイトボードの字の訓練ができていて、自身を持って表現できれば、強いですね。面接の時の模擬授業で、「お、この先生はホワイトボードの字がきれいだな」となれば、ハロー効果でもって面接が優位になるかもしれません。もちろん、授業でデビューするときも、ホワイトボードにうまく書くという自身があれば、教案や板書計画の時点から楽しくなるでしょうから、一度身につければ一生有効なスキルと言ってもいいでしょう。

字がきれい・下手というよりも、学習者にとって読みやすいかどうか

私は祖父に「書道」を習いました。実際には「習字」なのですが、「書道」と言いたいタイプです。毛筆だけやったものですから、硬筆に自信を持てない半生でした。万年筆を使うようになってから、すこしずつ自分の字が好きになってきたところがあって、日本語教師の経験を通した今、やっとこさ自分の字が固まってきた気がします。

美しい字を書くには、「始筆・送筆・終筆」などの書道の理論が役に立ちます。余白の美、とうものがあります。対象的なのは文科省のスライドのような「官僚の資料」です。情報を詰め込みすぎると読みにくいわけです。ホワイトボードも、適度な余白と、読みやすい字で書くというとが大事ですね。

板書というものは、教師がリアルタイムで書いていくのを学生に見せるわけですから、パワポ(Power Point、スライド)のアニメーション機能をアナログにまたはアドリブにやっているようなものです。私はこれを「リアル・パワポ」と言っています。他にも「リアル・エクセル」とか、「リアル・ワード」という概念がありますが、別の回の記事を楽しみにしてください。

何をさておき「字の大きさ」だけは、絶対死守

死守、というと漫画「スラムダンク」の中で魚住が口を尖らせて「シシュー!」と湘北を応援したシーンが思いつきます。ジャンプ世代でない方にはごめんなさい。それくらい大事で、今すぐ準備できて、一生有効なのが「字の大きさ」への配慮、なのです。

授業中に「先生、字が見えない」と後ろから言われたら、気持ちが崩れて、次何言うんだっけ?と授業が総崩れになるかもしれません。「あ、ごめんね、もう一度わかりやすく書くね」と、余裕を持って対応できるのは、デビュー後何ヶ月経ったらできるでしょうか。あせらず、丁寧に「大きく」書くことが大切です。

逆に大きく書きすぎて、板書上にストックできる情報が少なくこともあります。何度も消さなくて行けなくて、四十肩・五十肩の方は辛いといいます。学習者にとって見えるサイズで、大きくなりすぎず、余白の美を意識して・・・と、だんだんむずかしくなってきました。やっぱり、細かいことは置いといて、今は「大きさ」だけ検討しましょう。

自分目線で、大中小のサイズで書いた例

大きく書くと、書きやすいです。小さくなるにつれて、だんだん下手になっていきます。紙と違ってホワイトボードの位置は固定されているから、場所や身長によって書きやすい・書きにくいということがありますね。

学習者目線

上段の字は、大きく書いたつもりでしたが、3列目の席から見ても少し小さく感じます。最後列だともっと小さく感じるかもしれません。学習者の視力にも留意した座席を組みますが、見えないことを隠していることもあります。見にくい板書はそもそも見てもおらず、だからノートにも書かないということがあるかもしれまん。時々休み時間に学生の席に座って談笑しながら、板書やスライドが見やすいかどうかのチェックをすることはとても重要ですね。

上段の字、約12cm

上段の字ですが、大きく書いたつもりで、12cm程度です。iPhoneよりすこし短いくらいです。もう少し大きく書きたいと思いました。

「ホワイトボード」を出発点として、実際の授業を想像しながら試験対策

今回一番お伝えしたかったのはこういうことです。日本語教員試験はIT・ICTについても問うてくる問題がありますが、まずはオーソドクスに「板書」について考えてみると、すでに教室に立った自分がイメージできるのではないでしょうか。ここを出発点に、学生への目の配り方や、机間巡視など、様々なテクニックにつながると思います。ベテラン先生の上手なテクを盗んでいかなければなりませんが、まずは、一番手っ取り早い「ホワイトボードの字は大きく書く」ということから、授業風景を想像することにしました。

まとめ

日本語教師をやっていくと、「伝わらない時が楽しく」なります。昨日コンビニで「レターパック(青)」を買おうとしたのですが、留学生らしき店員さんが「スマートレター」を出して来ました。ティーチャートークモードに瞬時に切り替えて、「これじゃありません。青いです。もっと大きいです。」とやったら、わかった!という顔して出してくれました。伝わらなくて当然、伝えるのが楽しいという余裕があれば、授業というコミュニケーションが楽しくなりますね。

板書の字が小さくて見えないというのは、授業をやっていく中で一番もったいない、初歩中の初歩のつまづきです。大きく書けばいいのですから、誰でもすぐに対処できます。簡単なんです。簡単なんだけど、実際やってみるまで感覚がつかめないというものが、「実践的」ということなんですね。

知っていた。問題文もよく読んだ。でも、試験現場で間違った。あとで見たら悔しくてたまらない。これが日本語教員試験です。学習者は素直に「先生、もっと大きく書いて」と言ってくれますが、試験は待ってくれません。日本語教師はなるまでも、なってからも、「修行」が山ほどありますが、やり方によっては断然楽しくなるとういうことは、日本語教師が未経験の方に伝えておきたいです。今日もついついたくさん書きました。読者の方はどう思われたでしょうか。


次の記事はこちらです。


いいなと思ったら応援しよう!