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日本語教員試験2024体験記(「読解について考えてみた」編)

この記事は、「日本語教員試験体験記」の第19回です。
前回までの記事は、noteのマガジンにまとめていますので、合わせてお楽しみ下さい。

JLPT(日本語能力試験)N3受験者も、日本語教員試験受験者も、肝は「読解」という話

日本語学校で私がこれまで担当してきたクラスは、初級から中級レベルまでの時期が多いです。初級の初級も時々入ることがあったのですが、カリキュラムやシフトなど、学校の全体的な調整から、この「初級→中級」という時期に私が重点的に投入されてきました。

まずは「みんなの日本語」の50課をこなし、「中級へ行こう」で、より上のレベルへ橋渡しをしていきます。生活言語能力(BICS)については放っといても上達していくようなほどで、夏休みなどの長期休暇を経るたびに劇的な会話力の向上を見せるのがすごいところ。しかし、学習言語能力(CALP)は、生活言語能力(BICS)に比べると身に付けるの時間がかると言われている通りで、話せる割に問題が解けないという時期を長く過ごします。

教科書をしっかりこなしていくと、N4試験にはたいてい合格します。日本語学校の授業中、全部寝ていたというわけでなければ大丈夫という感覚ですね。ただ、早い時期に合格できるか、それとも日本語学校の卒業直前までかかるかで、その後の方向性が変わってきます。私の勤務校では、4月に入学して、12月にN4合格、翌年の7月でN3に合格できると進路活動にはなんとかJLPTを活用できるという感じになっています。そもそも、国でもうちょっと学習を進めてくれていたら、入国して即N4、12月でN3、翌年7月か12月でN2というストーリーもありうるのですが、現場教師としては入ってくる学生に向き合うだけですから、学習が進んだ学生をだけを受け入れてほしいと望むことはできません。個人的には、下手に勉強せず、まっさらで入国してきたくらいのほうが素直で教えやすいんですよね。

N3受験を意識する時期になると、学習者がぶち当たるのが「読解の足切り」問題。日本語能力試験には、文字語彙・文法・読解・聴解という区分があるのですが、N3についていえば、読解の点数が最低基準に達していないと、その時点で不合格ということになっています。聴解の方もうそうなのでしょうが、留学生活で身につけた聴解能力は総じて伸びが素晴らしく、これで失敗したという例を聞いたことがありません。本当に、すごいもんだと思います。

N3の読解が難しかった」ということを聞いて、教師としては語彙がまだまだ足りてないのかなと思って、文字語彙区分のトレーニングをしたりします。文法・文型は「みんなの日本語」や「中級へ行こう」を使っていれば、N3試験に十分間に合うはずの内容。しかし、どうしても読解が難しくて点数が伸びないということがあるのです。

2024年12月1日にもJLTPの試験が行われました。私のクラスの反応を聞くと、悪いできではなかったとのこと。授業ではJLPTだけに特化した体制ではないのですが、勢いづいて授業外でも一生懸命勉強したという学生は十分な手応えを感じたようです。しかし、やっぱり難しかったという学生も少なからずいて、大変だったのは「読解」だったとのこと。ううん、どこまで行っても「読解」が「日本語教育クエストの中ボス」に思えてきますね。

2024年11月17日に日本語教員試験を受験した方々も、「読解」に悩まされたのではないでしょうか。「基礎試験」から受験した方はその時点でかなり体力も気力も削られた上、第2形態の「聴解試験」、最終形態の「応用試験」まで挑んだわけですから、本文、問題文、選択肢を「読み解いていく」戦いの中で死力を尽くしたところでしょう。試験後、ずっとこの「読解」というボスに対して、どう戦えばよかったのかを考えてきました。戦い方と、それまでの準備の仕方ですね。自分のレベルを上げてからボス戦に挑むのがロール・プレイング・ゲーム(PRG、ドラゴンクエスト等)のセオリーですが、何をどうすれば、日本語教員試験に合格できる「読解力」がつくのか、全く持って想像がつかないという感想も多く聞きました。

日本語学習者のみならず、日本語教師側にとっても「読解」というものが最大の肝です。ラスボスです。JLPTも日本語教員試験合格することが目標です。戦う(受験する)ためには、多額の費用と、膨大な時間が必要ですから、記念受験で楽しかったねと喜べる代物ではありません。受験者としては、なんとか戦うためのレベルアップを図らねばなりませんし、試験本番でもっとも効率の良いムーブ(動き)で得点を重ねなければなりません。

「読解」についての方法論はたくさんある

私は、高校1年から2年にかけて、「現代文」で苦労しました。何をどう読んでも、問題が解けないんです。「進研模試」全盛のころでしょうか。一生懸命やってるんですよ。なのに、一向に成績が上がらないんです。法学部を目指して文系コースを選んだのですが、理系コースの連中が涼しい顔して国語で良い点を取っていくので、文系ってなんなの?と悩みましたね。これは議論があるところですが、私の学校では「文系とは数学III・Cを選択せず、工学部を目指さない愚か者ども」という雰囲気でした。あ、これって私の個人的な感想ですよ。「法学部に行って何になるんだ?」とガチで説教されました。「文部科学省に行ってあんたを顎で使ってやる」と言えばよかったんですけど、そのころにそんな知恵もなく。

なんとなくやってもだめなのが大学入試の国語です。とくに「現代文」ですね。ある意味「数学」的なところもあって、基礎的な知識を応用して読み解いていく世界です。暗記だけでどうこうなるものではありません。また、大学入試の「英語」の方でも、時代は「超長文化」へ入りつつある頃でした。浪人時代私が通っていた予備校で、上智、慶応SFC、早稲田法のような「超長文」の読解に対応するには、一文一文を読んでいくだけの「構文主義」ではだめで、「パラグラフリーディング」が必要だということで、ある論争が巻き起こりました。

「パラグラフリーディング」論争

当時代々木ゼミナールの講師だった今井宏先生が「今井のパラグラフリーディングI・II・III」を出版。「SKIM」「SCAN」「ANTICIPATION」「REASONING」等、パラグラフリーディングの方法論をわかりやすく導入し、私にとっても革命的な読解練習法となりました。日本語教育の文脈でSKIMは、スキミングと言われ、全体の要旨を大づかみするもので、SCANはスキャニングとして必要な情報を検索するように読むことと定義されていますね。文章全体を、「精読」するためにこそ、パラグラフリーディングが必要だという今井先生の考え方に傾倒していった私でしたが、一方で批判もかなり巻き起こりました。

段落の第一文(トピックセンテンス)だけ読めば、あとは読まなくてもわかるとは何事だ!一文一文がきっちり読めなければ、結局なにもわからないんだ!という派閥も根強く「パラグラフリーディング派」に対して「構文主義派」という言葉もあったくらいです。これは先生方が言っているのではなく、結局どちらの先生が好きか?ということで、受験生たちが勝手に自分たちをカテゴライズしたにすぎないものではありました。今井先生に対して、富田先生、そして西谷先生に西先生。代ゼミ四天王なんて言葉もありました。懐かしいです。今思えば、それぞれの先生の学習法には一理も二理もあって、「読解」という共通の目標のためには欠かせないものばかりです。自分にとって必要な先生のゼミを、好きなだけを選択すればいいのですから、「◯◯派」という事自体がおかしな話なのですが、ネットがまだ普及していない時代にあっても口コミ影響力は大きくて、地方の校舎でもこの論争は盛り上がったものです。

山本浩司「ツーウェイ資格試験合格法」

時は過ぎ、私が行政書士試験の勉強をしたときにお世話になったのがWセミナー、「山本オートマシステム」で有名な山本浩司先生。前の記事で紹介した「ウサギとカメの理論」の先生です。「覚えようとしなくても覚えられる・忘れようとしても忘れられない」「記憶の思想練る。記憶に楔を打つ」など、このころに体で覚えた方法論は、その後も役に立ち続けています。

山本先生の「読解」つまり「読み方」、「深読み」の仕方の一例として、興味深い読み方があります。私なりに実践してみるとこうです。

労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律

人材派遣法

いわゆる人材派遣法ですが、この法律名から、いろいろなことを深読みしていきます。「労働者派遣事業の適正な運営の確保」という文言から「これまでは適正な運営の確保ができていなかった、問題だらけだったから法律をかえてなんとか対処したい」と思っている国の姿勢を読み取ります。また「派遣労働者の保護」という文言からは、「派遣労働者が保護されなければいけないほどの様々な問題があったので、これについても国が方針を定めた」というように読めます。

何につけても、このように、裏を読んでいきます字面を読み、字の裏側を読み、行間を読んで、知識の理解と記憶をセットにする。この勉強法は資格試験の勉強においてはまさにそうあるべきというもので、日本語教員試験対策においても同じことが言えるのではないでしょうか。

日本語教育の推進に関する法律

(目的)
第一条
この法律は,日本語教育の推進が,我が国に居住する外国人が日常生活及び社会生活を国民と共に円滑に営むことができる環境の整備に資するとともに,我が国に対する諸外国の理解と関心を深める上で重要であることに鑑み,日本語教育の推進に関し,基本理念を定め,並びに国,地方公共団体及び事業主の責務を明らかにするとともに,基本方針の策定その他日本語教育の推進に関する施策の基本となる事項を定めることにより,日本語教育の推進に関する施策を総合的かつ効果的に推進し,もって多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現に資するとともに,諸外国との交流の促進並びに友好関係の維持及び発展に寄与することを目的とすること。

日本語教育の推進に関する法律

「責務を明らかにする」ということは、これまで明らかじゃなかったこと、「事項を定める」ということは「これまで決まってなかった」ということ。これらが目的の第一条にあって、それから具体的にどうなの?と続きの条文を読んでいこうということになれば、どんどん「読み解く」ことができるようになります。

裏を読む、深く読むといえば、京都の人に怒られるかもしれませんが、「京都ぶぶずけ(お茶漬け)解釈理論」のように、相手の気遣い・真意を読み取らなければならないという、高コンテキスト社会での訓練のように思えてきます。ちょっと脱線しますが、お付き合い下さい。

クラスで「ピアノ上手ですね」を流行させてしまったことを、京都に向かって謝罪します

京都で「ぶぶ漬け(お茶漬け)」勧められたら「帰れ」という意味とか、「お子さん、ピアノ上手ですね」と言われたら「うるさい」という意味だ、というのは、もはや鉄板の京都ネタとなって認知されています。ぶぶ漬けに関しては名人桂米朝師匠が落語のネタで広げたという一説もありますが、中学校の英語の教科書(ニュークラウン)にも登場していたほどのものです。これを私がクラスで「日本語は書かれていることが、そのまま伝えたいことではないことがあるので、相手が何を言いたいのかをしっかり考える必要がある」という話をしているときの例にしました。するとネパール出身の学生たち、よほど面白かったのか、質問して日本語がわからないとき、「ピアノ上手ですねー」と言い、プライベートでも学生同士で「ピアノ上手ですねー」と言い、もはや符牒、隠語として「ピアノ上手ですねー」が流行していまいました。京都の方々心よりお詫び申し上げるとともに、我が教え子たちのコミュニケーション力、読解力の向上の糧となった「京都解釈理論」にお礼を申し上げます。聞けば、京都のこのような表現は、相手に対する心遣いが「様式美」にまで高められたものだとか。「いけず」じゃないんですね。京都の友達と話したら、「さすがに京都もそこまでじゃない」と笑っていたこともおことわりしておきます。

西岡壱誠『東大読書』で、「読む力」と「地頭力」の付け方について考える

「読解」ということについて、日本語教員試験の後にいろいろ考え悩んできましたが、これまでの私の「読解」との向き合い方に加え、いい本を見つけたので紹介いたします。

この本は、今回述べてきた、「パラグラフリーディング」の話、「法律の深読み」の話と合わせて、「読解力」をどうつけていくかについて、いくつかの答えを提供してくれる本です。といっても、昨日、上本町のジュンク堂でたまたま掴んだ本なので、さらにこれから「熟読」しますが、実践方法がたくさん整理されているので、日本語教員試験対策で「じゃあ、実際どうしたらいいのよ?」と「具体的な救い」が欲しい方にとっては必読の一冊かもしれません。

テレビやネット「政治家や官僚の答弁」を見ても、さっぱりわからない。ニュースで、「各国首脳は国際会議で認識の一致をみた」って流れているけど、結局どういうことかわからない。資料や本に「目を通しておいたほうがいい」と言われて、目を通したけど、結局、なんのこっちゃわからない。世の中、わからないことばかりなのですが、わからないなりに情報を取りに行かなければなりません。本を読むのではなく「取材するように読む」という方法の紹介には、なるほどなぁと膝をうちました。このような具体的な方法を、一つずつ自分のものにしながら「読む力」をつけていくことが、教師にとっても求められることなんだなと思います。

まとめ

私が日本語教師として、現在の勤務校で最大の目標となるこのは、留学生の進学です。進学先の学校に入学するための日本語レベルの証明は、すなわち、JLPT(日本語能力試験)のより高いレベル認定や、EJU(日本留学試験)のより高い得点ということになります。志望理由書や、読解問題、面接など、最後に待ち構える数々の壁。これらは学生が各々努力して乗り越えていくものではあるのですが、それを支援する日本語教師としても、相当な努力でもって鍛錬しておかなければならないと、冷や汗をかく日々です。

「初級、中級、EJU対策を有機的に指導できるようになりたい」というのが、私の日本語教師としての大きな目標です。しかし、日本人が見ても難しい読解問題を外国人学習者にうまく教えられるということはとりもなおさず、日本語教師自身が「読解のプロ」になれということ。お金をいただいて「読解力」を学習者につけていただく仕事ですから、相当な覚悟が求められます。

日本語教師または日本語教師を目指す方ならば、「i+1(クラッシェンのインプット理論)」を必ず知っています。インプットは少しずつ負荷をかけていくのがいいのは、第二言語習得だけではなく、日本語を母語しての「読解」の訓練についても同じことでしょう。読み方が変われば、「過去問」の読み方が大きく変わるのは間違いありません。一歩ずつ、一歩ずつではありますが、私自身「今すぐ」実践していきたいと思います。日本語教育の世界で、「読解ブーム」が巻き起こされていったら、面白いですね。


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