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ほのぼのエッセイ第16回 レコードプレイヤーについて

 レコードというのに興味が初めて湧いたのは、小学校5年の頃。当時僕は、ジャパレゲを愛好していた。ケツメイシ、湘南乃風、三木道三、ET-KING、ファンキーモンキーベイビーズなどだ。うしろでキュルキュルとスクラッチをしているDJ、あれはどうもレコードを手で回した時に出る音らしいと聞いて、僕もできるようになりたいと思った。が、家にはラジカセしかなかった。

 当時の親友ピアソンくん(ピアソンくんもヒップホップやラップが好きだった。僕よりももっとワルよりのものが好きだったけど)と、一緒に友達にレコードプレイヤーを持っていないかと聞いて回った。すると、大げんかの回で出てきた鈴木くんが持っているらしいとのことだった。見せてほしいと頼んだら、家に入れてくれた。(もうすでに5年の時点では、仲違いしてなかった)

 家の中はログハウスみたいだった。明らかに、注文住宅であろう金のかかっている感じがあった。ロッキンチェアーに上品なおばあさんが「いらっしゃい」と笑顔で座っていた。人生になんの不満もない、余裕のある笑顔だった。金持ち特有のものだ。せこせこ感がまったくない。あるいは、不満はあるかもしれないけど、そんなもん考えても仕方ないとわかっているのだ。昔、鈴木くんの首をしめて泣かせてしまったことを思い出して、ちょっと罰が悪かった。おばあちゃんがいい人すぎるがゆえに。

 レコードプレイヤーは木製の箱型で、テカテカ光沢があるものだった。ヒップホップのトラックを流すというより、むしろクラシックを聞くのに適しているものだった。「触っていいよ」と鈴木くんに言われたので、スクラッチの真似事をしてみた。マットの毛の感触、ふわふわだったことを覚えている。「これや、これ」と言いながら、でも貸してとは言えない。明らかに高価なものだったので。そして、多分僕が求めているDJ用のものとも違った。上記は、レコードプレイヤーの実物に触れた原初体験にあたる。特に感動もなかったけど、僕にできない経験を鈴木くんができていることにうらやましさがあった。

 そして、中学、高校にうつり、音楽の趣味も変わっていくなか、再びレコードの興味を持つようになった。(音楽はウォークマンを手に入れてそれで聞いていた)

 理由は、中3からハマったブルーハーツで、甲本ヒロトが「オーティスレディングをCDで聞いた時に、全然感動しなかった。俺、感性鈍ったのかなと思ったんだけど、同じ音源をレコードで聞いたら涙が止まらなかったんだ。それで、明確にレコードの方がいいと思った」という趣旨のことをインタビューで述べていた。また、甲本ヒロトは、ほかのインタビューで、この世で一番存在価値がないのはCDで、ダウンロードは便利だからいい、便利さには勝てない、フィジカルならやっぱレコードだよねと言っていたのを覚えている。(その後、また別のインタビューで「CDにもいいところあるよ」とバランスはとっていました…)

 なるほど、レコードかと思った。その当時、僕は、ヒロト、マーシーを崇拝しまくっていた。毎日ブルーハーツの曲をyoutubeで聞き、ウィキペディアでブルーハーツ関連のことを読みまくるみたいな日々を送っていた。そして、彼らを内面化していった。マーシーが文学青年だと書いていたので、「やはりロックをするためには、本を読まなきゃいけないのか~」と思い、今まで読んだ本といえば、かいけつゾロリとレッドクリフ~赤壁の戦い~のノベライズ版とデルトラクエストくらいしかなかった僕は、突然太宰治や萩原朔太郎をポケットに忍ばせて、暇があれば俺は難しい本を読んでいるんだぞと周りにアッピールしながら、ムムムっと難しい顔をして「これが文学か…。深いな」などと嘯いて、気取っていたのである。他にも歌い方、喋り方、仕草などなどめちゃくちゃヒロトとマーシーを意識していた。

 そして、レコードもそうであった。ヒロトやマーシーが楽しそうに語る、ビートルズやストーンズ、昔のパンクやオールディーズの音楽たちを聞いて、同じようにビリビリしたい、そして、彼らみたいに、魅力的に自分の好きなものを語れるようになりたいと思ったのだ。

 雨の日だった。パラパラ系の雨だった。湿った団地のコンクリートを歩いた。国道の曇り空を歩いた。そして、僕はリサイクルショップについた。開店して一ヶ月くらいのリサイクルショップだった。緑のでかい看板に底抜けに明るい黄色やピンク色のフォントでリサイクルショップと書かれていた。明るさが突き抜けて逆に悲しい感じのする場所だった。駐車場は、無駄に広々として、雨に濡れて虚無な雰囲気があった。財布には、3000円があった。これで、レコードプレイヤーを買ったろうと思った。

 引っ越した時に押し入れの奥に保存していた、おかんが昔コレクションしていたレコード群がでてきた。そこには、おかんが大学の元カレから借りパクしたという、ヒロトやマーシーも影響をうけた、ボブディランやビートルズやRCサクセションなどがあった。(おとんがやきもち焼くからと元カレのことはおとんに内緒にしといてやと言われた。今更なんやねんと思った)これを聞かない手はないと思った。

 音響関連の棚に行っても、レコードプレイヤーはなかった。カウンターに行って、「レコードプレイヤーないですか?」と聞いた。ひげもじゃで、髪の長い、ちょっとヒッピーっぽい兄ちゃんだった。「レコードプレイヤーっすかー、うーん」と言いながら、バックヤードに下がっていった。がさごそと、灰色のレコードプレイヤーを持ってきた。生(き)で持ってきて、パッケージもなかった。「これやったら、あるんすけど、値段まだないんすよね」と言ってきた。僕はマジックテープで止めるタイプのアディダスの青色の財布を取り出し、3000円をちらみせした。兄ちゃんは、「じゃあそれでいいっすよ」といった。3000円とレコードプレイヤーは見事交換された。そして、生のプレイヤーを両手で持ち、傘を首と顎の間で挟みながら、また国道や団地を歩いた。

 家に帰って、兄貴のコンポに繋いだ。ボブディランの『Highway 61』をセットし、ボタンを押したら、ターンテーブルが回った。針はなぜか端っこのほうに行かず、真ん中のほうに行き、曲の途中からはじまった。(サイズのボタンが33インチに設定されていた)でも、僕は素直に感動した。おおーこれがレコードかぁとなった。なんかCDやウォークマンより、音があったかくてふかふかしてる感じがした。これをヒロトやマーシーは聞いていたんだなと思った。寝転んで聞いていたら、寝落ちしてしまい、起きたらA面が終わっていた。生まれて初めてレコードを聞いた時。

 そこから、僕は音楽オタクになり、高校生になったらバイトをたくさんし、そのお金をすべてレコードに注ぎ込み、オールディーズのブルースやフォークを聞きまくり、青春時代を過ごした…。とはならなかった。なぜなら野球部だったのでバイトできなかったし、普通に学校の行き帰りウォークマンでレッチリやオアシスやブルーハーツやJpopを聞いていた。そっちの音楽体験の方が多かった。多分普通にそこらへんにいるちょっと洋楽が好きな高校生だった。(中島らもとか町田康も聞いてたけど、あれは音楽を聞くというより、僕の魂を救う行為だった)また、多分暇だったとしても、オールディーズにどっぷりハマるようなセンスは僕にはなかっただろうなと思う。そもそもの器量が自分が理解しえないものを摂取するのに、足りていなかったと思う。レコードプレイヤーを手にしたからといって音楽にとても詳しくなれるわけではなかったのだ。

 そして、DENONというメーカーのレコードプレイヤーなんだけど、ネットで調べたら普通に2万円以上していた。それを3000円で購入できたのはラッキーだった。なぜ、あの時兄ちゃんは3000円で売ってくれたのだろう。ノリで仕事してる感じがある人だったので、(「じゃあそれで」のときも「いっちゃいますか!」みたいな表情をしていた)多分、店側からしたらいい迷惑だろうが、とにかく僕は自分のほしいもの手にすることができたのだ。リサイクルショップの兄ちゃんには感謝しなければならない。あのあと、けっこう叱られただろうなと思う。リサイクルショップは今、また底抜けに明るい赤い色をした看板の肉屋になっている。

 多摩川あたりに引っ越して、ずっと放っておいたレコードプレイヤーをコンポに接続して、今日久々に聞いてみた。おかんの元カレのレコード、3000円のプレイヤー、リサイクルショップの兄ちゃん、スピーカーから聞こえるユーミンの声は、数奇な音がした。

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