自己開示の練習【正欲を読んで考えてみた】
私は他者に対して、恋愛的に惹かれる感情を持ち合わせていない。
愛情は持ち合わせているし、親交が深まれば情も深まる。しかしそこに、恋や恋愛と言われる感情は含まれない。
しかし人間であり、生殖器官も正常に備わっており、本能的にも機能している。
恋愛ができるのではないかと何人かと付き合ってみた。性的な関係にもなった。したからといって私から相手への好感度、親密度が上がらないことがわかった。
性的な関係だけを持ったこともある。同様に私自身の変化はない。
身体的なことで言えば、きちんと気持ちよく感じることはできるということがわかった。
ここまでの行動は全てクズの取るそれだと思う。普通の人たちがしていることを、できるのではないかと思っていたのだ。本当に申し訳ないと思っている。
しかし実際に行動してみて分かったことは、多くあった。
・恋愛的な行動、言動は模倣することはできるが長続きしない
・(愛)情の度合いで言うと、突出した1人はいない
・性的な行為はできる。しかし相手に依存しない、元来備わっている身体機能だと思われる
・親友と呼ぶほどに仲良くなった相手から、恋愛的感情や身体的接触を求められたら拒絶してしまう
この4点が分かった時から、他者との距離感に注意を払うようになった。コミュニティに属していても、一線を意識し関係性の発展は望めないように振る舞った。
性的な視線や感情も多少不快には思うが、恋愛的な行動や感情の方が個人的にはきつい。
嫉妬や独占欲のようなものが向けられたことは理解できたが、何も返せない。私自身がほぼ他者に向けない感情。こういった感情を持っていない時点で、恋愛はしていないのだろうと考えた。
アナタだからこの度合いの(愛)情を示している訳ではなく、アナタと同等に大事な人には、同等の(愛)情を示している。そういう風に考えている私もいた。
恋愛や(愛)情について、普通ではない自覚を持ち、個人的に明確な一線を設け、雑談とかで必要な普通の価値観について見聞きし、外れないように言葉選びをする。
アロマンティックという言葉を知り、少し楽になった。
(愛)情についてはいまだに、上手く自分自身と付き合えていないことだ。
簡単に言ってしまえば「AもBも好き」が私の中では成り立っているが、それは普通ではないと知ってしまったからだ。
これは恋愛感情ではないから余計に言ってはいけないと思い、それから誰にも言ったことがない。
傍目から見ると、多情や移り気、浮気のように見えるだろう。
他者にかける情は何種類もないだろうか?仮にAとBに種類は違うが、同等の度合いの情があり、人として好ましく思っていても、それぞれに大切に大事に思っていることを言語化してはいけないのだろうか?
このようなことを長らく思っているが、普通であろうとして、ひた隠しにしている。
最近指摘されたことがあって、あえて言葉にしてみた。
性的欲求はあると思うが、性的魅力を感じた体験はない。
人に対して、エッチだなと思うことはほぼない。だからこの人としたいとは思うことがないと言える。
文章で読んだり、絵で見る方がエッチだなって思うことが多いと思う。
その描写を想像で補完したり、(ヌードじゃい)絵画をみて「ふーん。そんな風に見てたんだ」って知った気になって、自給自足してる気になっている。
ここまで明け透けに書いてみて、誰かに定義された正しさからは逸脱はしているのだと思う。だからといって劇的に何かが変わるわけではない。淡々と本来の自分を隠し、普通に、社会に参加するために生活を運営する。
ただ純粋に、正欲を読んで「みんな、1人じゃないといいな」と作中にも出てくる言葉そのままを思った。
ないものにされることがない方がいいと思う。無理して主張する必要もないとも思う。だけど、ひとりだと思う必要もない。
「普通」に打ちのめされないように、ただ辛くならないように、生きる。そう思った。