最近の記事

ミスター名大 えさか 活動紹介

名古屋大学 情報文化学部卒業生で、ミスター名大の江坂大樹です。 私は在学中、陰のエンターテイナーとして、なにか新しい視点をもたらす活動を名古屋大学で続けてきました。 大学卒業後は、自分が思いつくすべてのことを実行したいと思い、死ぬまでそのような活動を続けられるようにフリーランスの仕事と気合いで生きています。 今回は、私が名古屋大学で行った過去の活動をいくつか紹介します。 全学教育棟前に釣り人が出現全学教育棟の正面玄関前、いつもはここに池はないのです。 しかしこの日だ

    • 幸せとは

      ずっと幸せということが分からなかった。 自分には必要ないものだと感じていたし、他の人が目指したり求めたりする幸せというものが理解できなかったけど、 今日ふと、「自分が誰かに大切にしてもらった分だけ、自分が大切にしたいことを見つけて、それを失う恐怖と立ち向かうこと」が幸せというものなんじゃないかなと思った。

      • 晴れ女の原理

        晴れ女という人がいるけどその原理が分かった。 たぶん晴れの日しか出かけてないのだと思う。 そうしたら出かけてる日が全部晴れになる。 だから「晴れの日だけお出かけ女」だ。 雨の日はお家女でもある。

        • 最近の文章

          ここに書くのは昨日の記録です。 なんとなく気だるい感覚でぼうっとする日に、友人からもらった音が出る装置のことが気になり出す。 夜に、シェアハウスに来ていた入浴実験の参加者と話す。数日前に彼女のボイスパフォーマンスの映像を見て、なぜ声で表現をしようと思ったかが気になったので、そのことについて雑談をする。声が、生物のより根源的な表現であることの可能性について納得する。 気になっていた音が出る装置を、箱から出して触る。友人がこの装置を操作して音を出しながら、叫びのような声を出

          最近のくだらない文章3

          A. 大学生のときに、自分の言動のせいで友人が学生会館のガラスを割った。 この出来事は、明確に自分のよくないところが要因になっていたと思ったので、忘れないようにしたい。正確には、同じことをしないように、いつでも思い出したい。呪いのように苦しくてもいつも思い出す必要があると感じている。 呪いって誰かからかけられるのではなく、自分でかけるものなのかも。ゴーストタイプではないポケモンもそうだったもんな。 B. 今、ハンバート・ハンバートというアーティストを気に入っている。車を運

          最近のくだらない文章3

          あのときのあいつ

          高校1年のとき、美術は選択式科目の一つだったので、複数のクラスが混ざってやる授業だった。 自分は美術の授業を舐めていて、どうせ作ったものを半笑いで発表するようなやつばかりで、まともな何かを生み出すやつなんていないだろうと思っていた。(今の自分は、何かを生み出せない人にとっての美術の授業が純粋な苦痛の時間であることはわかっているが) 油断していた自分が衝撃を受けて、今でも鮮烈に覚えている作品がある。既存の楽曲を絵にして表現する課題で、やはり半笑いの発表が続く中で、別クラスの

          あのときのあいつ

          最近のくだらない文章2

          肉体をミケランジェロのダビデに近づけようと思って、筋トレと散歩を始めた。あと、21時以降にものを食べないように心がけている。 でも今日22時ごろに運動した後にどうしてもお腹が減ってしまって、1日を通してあまりタンパク質を摂取していなかったなと考えて、コンビニに行ってサラダチキンを買った。 サラダチキンならまだいいかと思ってたけど、ケイジャン味のサラダチキンにしたら、スパイスが食欲をそそり、米が欲しくなってしまった。白米を食べようか、受験のときにどの大学を受験するかを決める

          最近のくだらない文章2

          最近のくだらない文章

          デジタルタトゥーって、それ自体は生物にとって必ずしも悪いものとは言えないと思う。デジタルタトゥーは情報だから、その評価は本来なら人によって様々であるはず(つまり好意的に受け取る人もいる可能性がある)。 自分はたまに、デジタルタトゥーを刻んだ人生を進んでみたいという非常に危うい好奇心が湧くことがある。 恋人(一般的には彼女と呼ばれている)が欲しいと思ったことがない。何かを共有することを長く続けて、一緒に生きる時間を積み重ねていくパートナーのような存在は、何度でも欲しいと思っ

          最近のくだらない文章

          笑顔

          後輩の大学祭の手伝いをしたという話を祖母にした。本当は手伝い程度ではなく自分も出演するなどしてがっつり関わっていたが、大衆受けする内容ではないことしていた話を聞いて祖母がどう思うかが怖くて、濁した。 そしたら、急に祖母が自分の中学時代の話をしてきた。すこし認知症気味の祖母が、過去の何かの話をしている様子がまず嬉しい。祖母が思い出していたのは、『卒業生を送る会』という催しの際に、幕間の時間を使って当時活躍していた芸人のモノマネのような小ネタを自分がたくさんやった時のことだ。祖

          後悔してもいい

          自分が最初の休学をするときに、父親に相談しに行って、言われたことが「後悔してもいい」という言葉だった。そのあとに続いた「だから好きなようにやれば。」という言葉は、ひとつめの言葉があったからこそ自分にとって真に価値のあるものになっていた。父がとても父らしかった。 あのときのしびれる感覚が懐かしい。あれは自由の魔法だった。 いまでも時々思い出して、勇気が溢れてくる。心臓が熱くなる気がする。 今後の自分の人生には、どんな宗教や神もいらないなと思う。

          後悔してもいい

          歴史から学ぶ

          歴史から学ぶということを義務教育で教えてほしかった。 「社会」という科目とは別に「歴史から学ぶ」という教科がいると思う。なぜなら社会科では、人が歴史から学んでないことをたくさん学ぶので。 でもやっぱり「歴史から学ぶ」のテストの点数が30点くらいのやつが、歴史を作っていくんだろうな。100点のやつではなくて。

          歴史から学ぶ

          友人と仲間

          いまの自分は、友人と仲間の定義がはっきりしているのでメモしておく。 自分にとって友人とは、「かつての仲間」である。 つまり、いきなり友人関係になることはない。 仲間というのは、同じ目的を持って活動していたり、近くにいて一緒になにかをやっていた人のことだ。 例えば、 大学時代に一緒に講義を受けたり課題をやっていた人たちは、当時は同じ分野の学問に取り組む仲間だったが、いまはそれぞれ別の場所にいて別のことをしているので、友人だと思うようなった。 というような感じ。 自

          友人と仲間

          愛について

          日本人にとって「愛」という言葉とか概念は使いこなせてないなという気がしてます。 単に「好き」という言葉の類義語として使われているようにも思います。 「愛」というのは、日本になかったカルチャーなのに、頑張って使い始めたのであまり馴染んでいない言葉なんじゃないかなと考えています。 愛はもともと外国のカルチャー愛というのは、もともとはキリスト教にあったものだと思います。「隣人愛」「神への愛」「神による人間への愛」とかです。 日本人がキリスト教を十分に信仰している状態で「愛」

          愛について

          やな夫婦の日

          そもそも婚姻届を出す必要があるかどうかはさておき、自分は結婚するなら、相手は11月22日に婚姻届を出したがらない人でないといけない。 おかしな夫婦でもいいし、よくない夫婦も認めたいし、どんな状態でも夫婦という関係を見つめて、続けることを考えたい。一人の人と永遠に時を重ねてみたいので。 でも相手から「夫婦をやめたい」と言われたら、すこし粘ってみて、それでだめだったらすこし時間をおいてからもう一度粘って、そのあとたくさん時間を置いてそれでもだめだったら夫婦をやめると思う。

          やな夫婦の日

          カルチャーとは#1

          カルチャーとは、次の画像の点線のことなんじゃないかなと思った。 図の内容を説明する。 人々A: 図において、カルチャーのもととなっている人の集団 人々B: 図において、人々Aに属さず、他の人の集団を観測する人の集団 矢印: 認識の対象 点線: カルチャー つまり、「人々は自分たちの集団がもつ活動の傾向を認識できず、それを認識可能な他の集団によって認識されたときに概念化される」というのがカルチャーなのではないか。(これが図の点線と矢印の意味) と、小難しい話はいっ

          カルチャーとは#1

          他者との違いを知ること

          自分と他者との違いを知ることは、自分という存在や活動の軸の確立のために重要だと思った。 人々が他者と接する機会は、学校や社会に多いだろう。 そのどちらも、「成績」や「成果」といった他者による単一の評価軸によって比較されるけど、それは自分の評価軸による他者との違いの比較とは異なる。 単一の評価軸だとその両端を指して「良い・悪い」という評価で代替できてしまうので、他者との比較がすなわち優劣の順位づけになる。それはアイデンティティの認知につながらないのではと思う。自分が中心で

          他者との違いを知ること