好きなことを、もう一度考えてみる
夢はなんですか、と聞かれると、つい幼い頃の夢を言ってしまう
小学生〜高校生の頃まで夢は漫画家だった。
幼稚園に入る前から絵を描くことが好きだった。
母親がクレヨンとスケッチブックを渡しておけば何時間でも1人で遊ぶと言ってた。
何回か投稿したけど、箸にも棒にもかからない。
上手な人はたくさんいたし、漫画家の夢は諦めた。
30代半ば、フと「やりきってないな」と思った。
そこから漫画を描いて、持ち込みとかもしてみた。
当時京都に住んでいたから、東京の出版社まで行ってみた。
「あなたの絵柄はうちの雑誌向きじゃない」
「あなたと16歳の子が同じレベルなら16歳の子を取る」
「入選は難しい」
何度目かの投稿の後、また諦めた。
でも今回の諦めは、自分の中でやりきった感があった!と思った。
現在進行形、45歳の夢
以前、動画では見たことがあった植松努さんの「天職が見つかる空想教室」を読んだ。
早速、冒頭で
あなたはなにが好きですか?
ぼくはロケットが好きです。
とある。
わたしは漫画やアニメ、野球、猫、ウォンバットが好きです。
そして
もう一度、
「自分の夢ってなんだろう?」
と考える。
そう第1章の一番最初にあった。
45歳のわたし、夢はなんだろう?と考えた。
今でもすぐ出てくるのは「漫画家になりたかった頃のわたし」。でもそれは過去の夢であって、今のじゃない。
去年と今年の前半、体調を崩していたのもあって、結構落ちていた。
でも見直すと、やりたいこともやってるし、行きたいところも行ってるし、行ってないところとかあげたらキリがないし、なんか叶えたい夢もないなぁモードになっていた。
ちなみに今もないので、友だちが「ここ行こう!」と言ったのに便乗している。他人の夢に便乗しているのはすっごく楽しい。他人は、自分にはない世界を持っているから。
最近は、ストリートピアノが弾きたいに便乗させてもらった。最高だった。
中途半端になっていいから、好きなことにはいくつも手を出す
わたしは好きなことが多いので、趣味が多い。
それをたまに羨ましがられる。
わたしは趣味のハードルが低いだけだと思う。
一生懸命やらないといけない
極めないといけない
毎日やらないといけない
語れるほど詳しくないといけない
そんなことはない。
1年に1回、行けて2回だけど、相撲観戦はわたしの趣味だ。
とりあえず、興味のあることはかじってみる。
一時期アクセサリー作りに興味があって、キットを大量買いした。でもやってみて、まったく楽しくないことがわかった。だからアクセサリー好きの友達にあげた。
この本面白そうだな、と思って買ってみて合わないことなんてザラ。
でも気になるから手を伸ばす。そのあと、手放すか決めたらいい。
できるか、できないか、ではなく、やりたいか、やりたくないか
植松さんの言葉は優しい。
この判断基準は自分の中で採用!と思った。
やりたいならやってみたらいい。わたしが多少やったくらいで、世界に影響なんかないと思うし、そう思うと安心してチャレンジできる。笑
わたしを含め多くの人には、世界を変える力はないと思っていた。
でも植松さんは「自分なんか」と思う人がいなくなるだけでいい、という。
確かに、「自分なんか」と思わなければ、なんだって楽しめるし優しくなれる。自分が今からすぐに世界にできることは「自分なんか、をなくすること」。小学校の授業に必修で入れてほしい。
空想教室を読んだら夢ができた
何歳からでもチャレンジできるというけれど、やはりリミットはあると思う。だったら、今この瞬間が一番若いから、やるしかない。そうなると、結局何歳からでもチャレンジなる、になるのだけど。
できなかったら「だったらこうしてみたら?」と聞いて、何度でもやってみたい。
この本を読んで、もう一度「夢ってなんだろうなぁ?」と考える機会になったし、植松さんの工場にロケットを上げに行くという夢ができた。
飛ばせるかなぁ、失敗したらどうしよう・・・と思うけど、失敗したら「だったらこうしてみたら?」と次のトライになるだけなんだよな。