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AI時代に陳腐化しないスキル:AIには越えられない壁

ここ数年AIの普及に伴い、AIに置き換えらえる仕事・置き換えられない仕事についての話題は上がるたびに注目を集めていますよね。

はじめのころはレジ打ちや翻訳、一般事務などが挙げられていましたが、最近ではライターやプログラマー、研究者までAIにとって代わられるのではないかと言われています。

もはや単純労働からクリエイティブな仕事まで幅広くすべてAIに代替されてもおかしくない時代です。

個人的には最後に残るのは人間の倫理観に関わる仕事や人間の活動だから面白いアスリートやアーティストといった仕事だけだと考えています。

急速にAIの能力が向上している中、将来のキャリアを考えたときに今にも代替されそうなスキルを手に入れることに消極的になるのは必然でしょう。

確かに単純作業のスピードを上げるための努力は、職人クラスまで極めないと虚しい結果に終わってしまいそうです。ただ、クリエイティブなスキルというのはいくらAIに代替されようとも、私たちが生きている間は活躍する機会があると考えます。

今回はそんなクリエイティブなスキルの本当の価値について深堀ってみたいと思います。

クリエイティブなスキルとは

ここでのクリエイティブなスキルとはまだ世にないものを生み出す能力とします。

ぱっと思いつくだけでも、以下のような職業があるのではないでしょうか

  • 記事を執筆するライター

  • プログラマー

  • アート系のデザイナー

  • プロダクトを作り出す設計者

  • 研究者

  • 翻訳者

※ここでいかにも単純作業に見える翻訳者を入れている理由は後で述べましょう。

最近では素人でもChatGPTを使えば記事を執筆できますし、Midjourneyなどを使えばデザイナー顔負けの絵を描くことができます。

またエンジニア界隈では、プログラミングの自動化や図面の自動製図など、初心者では到底かなわないようなクオリティでアウトプットを出してくれます。

正直言って、この手の仕事は近く全てAIに代替されるような気がします。すると、もはやそんなスキルを獲得しても意味ないのでは?と思ってしまいます。

現在進行形で、デザインの学校に行ったり、プログラミング教室に通ったり、大学で製図の勉強をしている人たちがいる中で、不毛なことを…なんて思てしまうのも無理もありませんよね。

ただ、私自身それなりに学んできて思うのは、どんなにAIが高度になっても(少なくとも私たちが生きている間は)越えられない壁があると考えています。

その領域まで達することができれば、AIに代替されるスキルではなく、AIを凌駕するスキルとして重宝されるのではないかというお話です。

AIには越えられない壁

私の経験上、考えることができるのはライティング(物書き)とプログラミングです。私自身偉そうにできるといえるレベルではないですが、勉強してみてAIには越えられないだろうなと思う点が共通して存在します。

結論から言ってしまえば、AIに越えられない壁というのは人間の意志や主張が介在する表現です。といっても何のことやらとなってしまうので、もう少し具体的に説明していこうと思います。

ライティングの例

まず、ライティングに関してですが、私はライターでもなければ記事の執筆講座に通ったことはありません。しかし、学生時代に苦しみながら論文を執筆したことはあるので、それを例に紹介しましょう。

論文の執筆を例に挙げれば、それこそAIに書けてしまいそうですよね。なぜなら、論文には、背景と実験方法があってその結果と自分たちの主張があるだけです。それらをまとめてあとはChatGPTによろしく!と言えばある程度書けてしまいそうなものですよね。

たしかにある程度わかりやすい文章を書いてくれるでしょう。しかし、そんなに甘い世界でもないんです。

論文やおそらく学術書と呼ばれるものは、不要な文がありません。基本的には必要最低限の文を論理的につないで文章にしていかなければならないのです。それはまるでパズルのような感覚です。

ただ、ここまではAIの得意な領域ですよね。きっと10年後には必要な情報を与えれば、きれいに論理が整った文章をつないでくれるはずです。

ここで重要なのは基本的にはといったところにあります。つまり、その先があるわけです。論理的な文章を書いたその先というのは、いかに読者に読んでもらえるような工夫ができるかということです。

そこには著者の主張や思いが存分に入り込みます。正直私はこの域に達することができなかったと思います。しかし、その直前までたどり着くことでそのような世界があることを目の当たりにしたわけです。

そして文章を書くときには読者を想定して書かなければならないし、そこに著者の意志を介在させる必要があると思って生活しています。

プログラミングの例

実はプログラミングも同様です。

プログラムも論理のつながりをプログラミング言語で記述するだけなのでAIの得意技と言えるでしょう。現に、ChatGPTを使えばどんな言語でもお手本のコードを書いてくれます。

しかしながら、プログラミングの本を読んで勉強してみるといかに自分が浅はかだったかわかりました。

プログラミングでよく登場するのは、命名規則です。プログラムの中で動く変数や関数、またはクラスと呼ばれるものにはプログラマーが意図した名前を付けてやる必要があります。これはAIにもできることなんですが、正解はありません。

素人プログラマーと比較するとAIの方が筋のいい命名をすると思いますが、きっとトッププログラマーはさらに良い名前を付けることができるはずです。なぜならそこには答えがないですからね。AIは無難な答えは出せても正解を出せるわけではありません。

他にも、プログラム全体の構造なんかは本当に奥が深いようです。私自身ちょうど勉強中ですが、シンプルにわかりやすく、それでいて堅牢なプログラムを書くというのは、まさに論文執筆を彷彿とさせるクリエイティブな活動です。

きっと、将来のAIは及第点を取れるレベルに成長すると思いますが、100点がない世界で究極のプログラムを書くことはできないでしょう。

翻訳の例

最後に翻訳を例にしてみましょう。ここではわかりやすいように英語を例としますが、どんな言語であっても同じです。

今ではAIの利用により、テキストの翻訳機能が格段に上がり、もはや英語の読み書きはほぼ不要になったと言えます。

そして最近では音声をリアルタイムで通訳するAIなども誕生したため、スピーキングとリスニングもほぼ不要になってきたといえるでしょう。

それでは英語の学ぶ必要はないのか?と言われるとおそらく学んだ方が良いというのが答えになります。

そもそも言語というのは1対1の対応になっていませんよね。わかりやすい例として日本語の“もったいない”というニュアンスは英語にはないらしく、“Mottainai”を流行らせようというのも見たことがあります。

つまり、翻訳という活動はまるで機械的にやっているようにも思えますが、究極的なところまで突き詰めると、一番それっぽい表現を当てはめて言語化しているというのが正しいと思います。

そのため、英語話者のニュアンスを完全に理解するためには、相手が言ったことを英語で理解する必要があるわけです。AIによって日本に翻訳された内容には、相手の表現したいニュアンスまで完璧に含まれているとは限りませんからね。

それではどうすれば英語のニュアンスを理解できるのでしょうか?それには相手の国や宗教といった文化的背景を理解する必要があります。

もはやコミュニケーションの域であり、AIにはどうしても越えられない壁があるといえるでしょう。

翻訳というのは、テキストでも音声でも発信者(相手)の意図をくみ取って、自国の言葉で表現しなおすという超絶クリエイティブな仕事であり、その根幹には文化の理解とコミュニケーションという非常に複雑な力が必要とされるわけですね。

これは私自身、4年間毎日英会話をしている中で感じたことですが、本当にニュアンスの理解というのは日本語に変換するのが非常に難しく、相手の言いたいことを相手の言語で理解しようと努力しなければなりません。

まだまだコミュニケーションが難しいと感じていますが、この努力はAIが普及しても継続していく価値があることだと考えています。

最後に

今回は、どんなにAIが高度化しても決して越えられないであろう壁について持論を展開しました。

多くのスキルはあっという間に陳腐化してしまいます。しかし、今回紹介したようなスキルは究極まで突き詰めるときっとAIに負けない最強のスキルとなると信じています。

もしかしたら1年後には考えが変わっているかもしれませんが、それでも常にこのような意識をもって生きていきたいなと思います。

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