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学位ってどうやってとるのか【博士編】
前回、学士と修士の学位の取得について紹介しましたが、今回は博士の学位取得に関してです。
学士や修士は経験している人が一定数いると思いますが、博士となるとそもそも行った友達もいないなんて人も多いかもしれませんね。
ということで、ここからは博士の学位取得について紹介していきましょう。
博士の場合
修士の説明の際に大学や学科によって多少卒業要件が変わってくるという話を紹介しましたが、博士はもっと顕著に変わってきます。
まず、前置きとして単位は研究によるものがほとんどです。授業をとってもいいですが、取らなくても3年間研究していれば、単位を取得することが可能です。
一方で、より重要になってくるのが、学外が関与する卒業要件です。
論文投稿
よく聞くのが論文誌(ジャーナル)に3本以上の論文を出すことですね。
実は、これは大学によってさまざまです。例えば論文を3本出しているのと同じぐらいの業績といった書かれ方をされていれば、必ずしも3本投稿している必要がありません。
また、よく聞くのがファーストオーサーとして〇本という表記です。ファーストオーサーとはその名の通り、論文の初めに名前が来る筆頭著者のことです。
近年の論文は1人で書くものではなく、たいてい共同研究者が数人いるものです。例えば指導教官の名前は当然入りますよね。
ここで問題になってくるのが、1つの論文に2人の学生が関わっている場合です。この場合2人の学生がそれぞれファーストオーサーとセカンドオーサーに分かれてしまいます。(名前の記載順序が最初か2番目かの違い)
このとき、ファーストオーサーの方が論文のメイン研究者とみられがちです。そして、セカンドオーサーになった学生はその研究をしていたのに学位取得のための業績には認められないといったバグが生じます。
最近ではこれを防ぐためには、2人ともファーストオーサーとするといった動きもあるようですが・・・いまだに根深い問題として残っています。
さらに論文の本数があいまいなだけでなく、その投稿難易度も様々です。
というのも、例えばNatureやScienceといった一度は聞いたことがありそうな一流ジャーナルに論文を通すのと日本学会が主催するローカル雑誌に通すのでは、その難しさは雲泥の差になります。
つまりNature 3本と日本のローカル雑誌3本ではそれにかかる労力が圧倒的に異なるというわけです。当然、業績としてはNature 3本の方がすごいのは言うまでもないですが、学位を取得するための業績としては同じとカウントされてしまう恐れがあります。※1
かくいう私の研究科は論文2本が要件でしたので、中堅ジャーナルに2本出して、要件を満たしました。そんなの余裕じゃんといわれそうですが、いろいろ紆余曲折あったのでかなり時間がかかってしまいました…(トップジャーナルに出して1年の査読の後リジェクトとか…)
他にも研究科によっては査読付き学会予稿(プロシーディング)を論文1本と数えたり、共著論文(ファーストオーサー以外)も1本と数えたりといったルールが適用される場合もありますし、そもそもジャーナルへの投稿を要件としていないところもあります。※2
さらに、このプロシーディングや共著論文といった微妙なラインは指導教官に委ねられている可能性もあるので、入った研究室によって学位取得の難易度が変わることも無きにしも非ずです。
とにかく、大学や研究科によって学位取得の難易度はバラバラです。私が観測している限り難易度の高い大学の博士課程は、やはり日本でトップレベルだと思います。一概に大学名(入試難易度)でくくるのは良くないですが、多少相関があるような気がしています。
このように書くと有名大学の博士以外はレベルが低いと受け取られそうですが、そういうわけではありません。
大学名に関わらず素晴らしい研究をする人はいます。たとえハードルが低くてもそれをはるかに高いところで飛び越してしまってる人たちがいるのも事実です。なので、そこらへんの偏見を持たないようにお願いします。(無名でもハードルがやけに高い大学もあるかもしれないですし)
ちなみに、海外の優秀な研究者たちは、修士の学位取得後、博士課程に進学し4, 5年かけてScienceやNature系列とったトップジャーナルに3,4本投稿して博士を取っている人もいます。
このような人たちは本物の研究者だな~と思ってしまいます。どんなに背伸びをしても届かないような人もいることは明らかですね‥
公聴会
そして、最後に大事な発表が公聴会と呼ばれる博士の卒業発表です。英語ではディフェンスとも呼ばれ、査読の先生たちからの容赦ない質問に答えていかなければ(防御しなければ)なりません。
日本では公聴会が誰でも聞ける公開発表の場として、それほど厳しいことは言われないなんて話もあります。その代わり事前に内々で開かれる予備審査というものが設けられ、実質それがディフェンスの役割を果たしています。
また、査読者も研究科内の身内の先生で固めるのではなく、学外や専攻外の先生にお願いし、引き受けてもらうという形が多く、これも大学や研究科によってまちまちです。
私自身、学内外・専攻内外の先生にお願いし、予備審査は1時間の発表と1時間半の質疑応答という人生で一番きつい発表であったことを鮮明に覚えています。
そして、この公聴会(or 予備審査)で十分力量があると認められれば学位取得となるわけです。
最後に
このシリーズでは、2回にわたって学士・修士・博士の学位の取り方について紹介してみました。アカデミアの方でなければ意外と知らない世界だったのではないでしょうか。
また博士には論文博士と呼ばれる人たちもいます。企業などで素晴らしい研究を行い十数本の論文を投稿し、その功績が認められて博士の学位を与えられた人たちです。その難易度はわかりませんが、一般的な課程博士とはまた違った大変さがあるのではないかなと思います。
というわけで、一言で博士といっても意外とそのレベルはまちまちってことになります。重要なことは博士を持っていることではなくて、その人がどんな言動や活躍をしているかだと思います。
私の周りには学士・修士・博士に関わらず超絶優秀な人たちがたくさんいます。そんな人たちを見習って、少しでも成長していかなくてはならないですね
※1
論文投稿難易度に関してはトップジャーナルは難しく、日本のローカルジャーナルは簡単というのは、ほぼほぼ間違いないと思います。一方、ローカルジャーナルであるから研究の価値が低いという評価をするのは危険です。近年話題になっているIF(インパクトファクター)問題の議論も然り、論文の価値の測り方は非常に難しいので注意が必要です。
※2
論文誌への投稿を要件としていないのにはいくつか理由があります。単純に論文投稿を必要としていないか、査読に数年かかる分野であり論文投稿を課してしまうといつまでたっても卒業できなくなるため、課さないということがあり得ます。
また私の研究室ではプロシーディングはノーカンでしたが、例えば機械学習系のトップカンファレンスなどではプロシーディングの採択が非常に難しいという話もあるので、この点においても研究の価値というのは簡単には測れません。
共著でも(ファーストでなくても)良しとするケースも賛否ありますが、例えば学生2人の多大な研究結果を1本のNatureにまとめたとなれば、セカンドだからノーカンとするのはかなりかわいそうな事態とも取れます。