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牛坂 (115の坂が語ること#4)
文京区には、115の名前がついた坂がある.
武蔵野台地の東の周辺部に広がるこの区には、本郷・白山・小石川・小日向・目白という5つの台地が広がり、台地と谷を結ぶ坂には、江戸時代につけられた名前が今も使われている。
牛坂は、牛天神の北から西にかけて境内に沿い、安藤坂下の通りまで下る急勾配の坂である。
安藤坂を下ったあたりから、ビルの谷間にこんもりと生い茂る緑地帯が見える、そこに牛天神のお社がある。夏詣の幟をくぐって階段をのぼり、御本殿の前で二礼二拍手一礼。振り返ったところに中島歌子の碑があった。ここは朝の散歩のコースにあり、高台にあるこの碑から、いつも町を眺めながら一息入れた。
先週の土曜日の夜、樋口一葉がテーマのオンライン茶会に出て、中島歌子が主宰する萩の舎で、一葉が歌の素養を身につけた、と説明があった。それを聞き、散歩で何度も通った牛天神を囲む緑陰と青空、そして中島歌子の碑から見た、ビルが連なる飯田橋の町なみが頭に浮かんだ。そういえば最近、すっかり散歩に行っていない。春先から、幾度考えても答えが出ないことどもが、換気扇の油汚れのようにしつこく頭の中にこびりつき、風通しが悪くなっていた。一度淀んだ思考に陥ると、ささやかな楽しみや日々の張り合いさえ、意味がないものに思え、億劫になってしまう。
『廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる 三階の騒ぎも手に取る如く・・、
・・・大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の 申しき。』
お茶会で、『たけくらべ』の冒頭が朗読された。読み上げる女性の落ち着いた声と一葉の美しい文章が、つい最近まで、早朝に散歩する穏やかな日常があったことを思い出させてくれた。
週が明けた火曜日、牛天神まで2ヶ月ぶりに朝の散歩にでかけた。境内にある碑から見える空は、厚い雲に覆われていたが、切れ目から薄日が指していた。梅雨明けも間近である。