For the Left Hand
~映画【にしきたショパン】
練習曲 for the left handが、映画を見終わったあと、いつまでも耳の中で響いています。映画のなかでも、エンドロールでも流れる『for the left hand』は、何か大事なことをつぶやいているようで、耳を傾けずにいられません。
「鍵太郎の大きな手は、ラフマニノフを弾くための手」「凛子の小さな手は、ショパンを弾くための手」
映画『にしきたショパン』は、そう言いながら、ピアニストを夢見ていた高校生鍵太郎と凛子が、阪神淡路大震災によってその夢の扉を閉ざされながらも、その後の人生を模索していきます。
ピアノを弾けなくなった鍵太郎が、凛子につらくあたったのは、すべてを持っている凛子に対する嫉妬からでした。『嫉妬』。これは誰の心にも潜んでいます。人が、他の人を妬んだり羨んだりするのは、自分を受け入れられないから。鍵太郎は震災で演奏できなくなり苦しみますが、実は、もっと前から彼は自分を受け入れられなかったのです。どうしてピアノを弾くか。二人で演奏し合ったあと自分の思いを話しますが、鍵太郎は「だって、ピアノを弾いているときは、忘れられるじゃないか。」凛子の答えは「ショパンを弾いていると、ふわふわ~っとして、とっても気持ちがいいんだもの」鍵太郎は何かを言いかけてやめます。あの時、何をいいかけたかったのか、とても気になります。「君は、すべてを持っているから、この世から逃れる必要などないからね。だけど僕は、現実から逃げるためにピアノを弾いているんだ」そんな言葉をのみこんだのではないかと思うのです。
そう、震災前から、鍵太郎の心には小さな嫉妬の種があったのですが、かろうじて鍵太郎はそれを抑えていたのでした。それが、ピアノが弾けなくなるという信じ難い不幸に見舞われ、嫉妬の種が津波のように大きくなって押し寄せ、鍵太郎だけではなく凛子までをも飲み込んでしまったのです。
人は、何か不幸なこと、ショックなことに遭遇すると、まずはパニック状態になるそうです。これは夢の中の出来事か現実のことなのか、わけがわからなくなり、そのあと、猛烈に否定します。「そんなはずはない、自分の人生にこんなことがあってはいけない」と。そしてやがて、その過程が過ぎると、なんとかしようと立ち上がるようになるといいます。
震災による不幸は、鍵太郎が受け止めるには大きすぎて、ずいぶん長いこと自分の身の上に起きたことを受け入れられないままに、時を過ごしてしまいました。が、やがてやっと次のステップに向かうきっかけをつかみます。そして、その機会を与えてくれたのは、他ならぬ凛子でした。
世界的に有名なピアニストの演奏はもちろん素晴らしいですが、そうではなくても、弾く人の心のつぶやき、あるいは叫びが調べにのって伝わってくるような演奏があるようです。そんな音色を聴いてみたくなる映画でした。
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