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夢では生きて、お兄さま


 体温は35.8度。左手首にムスクを2プッシュ。部屋には、バーデンベルギアを飾った。よし、完璧だ。海島美月はシーツと毛布の間に身体を滑らせた。

 波の音が聞こえてくる。目を開けると、すすきのゆらめく丘と灯台。奥には雄大な海が見える。間違いない。今回もちゃんと引き当てた。

 美月は一直線に、灯台の中に入っていく。窓から一筋の光が入った、静寂の室内。宵闇のような美しい髪が、机にふしている。美月はプラム色の唇をゆっくり動かした。
「兄さん」


 兄は、美月の唇と同等の速度で起き上がる。頬を太陽の祝福がゆるやかに撫でていく。

 美月は兄を冬の精だと思っている。雪のような白い肌。銀世界に浮かぶ赤い花。身のこなしは妖精のごとく、
「美月か」
 

 兄はようやっと口を開いた。
「ええ。ひさしぶり。今日も兄さんのことが大好きよ。私だけじゃない。みんな!」


 早口でまくしたてる。兄は苦笑いしてドアを開ける。すると兄妹たちは崖の先に立っている。いつものパターン。
「冬休みの宿題、ちゃんとやった?」
「うん。昨日終わった」
「昨日?」
「うん。お母さんが来てたから」
 

 兄の唇が急速に色を失っていく。ああ、これも違うのか。
「違うの。お母さんじゃなくて、私がお母さんって呼んでいる人がいて、それで」
 兄は美月を見ていない。徐々に海は近づいてくる。
「聖一兄さん!」
 派手な水しぶき。目を開くと、金魚たちの湖が、揺れている気がした。すぐ隣には、未だ学生服の聖一の写真。萎れたバーデンベルギアに、寄りかかられている。

 兄が死んだのは冬のせいだと思う。冬が大切にしているものを枯らしてしまった。しかたのないことだ。けれど私は何度でもやり直したい。たとえ真実でなくても。

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マリヤ・トウゴウ
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