美しく、そして危うい秋。
私たちはふだん、理性と本能の間でバランスをとって生きている。
無論私もそうだ。
しかし最近秋になると、このバランスが崩れるということに気づいた。
というのも秋になると、本能の影響を受けやすくなる。
「今これをやりたい!」という衝動が起きやすくなるし、感受性が豊かになり、景色がいつもより美しく見えたり、物語に感動しやすくなったりする。
思い返せば、受験生だった高校3年生の秋、映画やアニメにどハマりしていた。
ブラックラグーンやヨルムンガンドという、ふだん観ないハードボイルドな作品に妙に惹かれて、空を飛ぶような心地で観ていた。
大学生になってからも秋は妙に落ち着かない。
美味しいものが多すぎるせいでもあるけれど、食欲がふくれあがり、様々な栗とかぼちゃのスイーツを食べ漁ったり、果物とスープで食事を終えたりという極端な食生活をしてしまう。
思いつきや欲望も多くなる。
不意に絵が描きたくなって夜な夜なペンを走らせたり、朝日を横目に様々な仮説を立ててしまう。
観たい映画がどんどん出てくる。
今月はすでに8本観た。卒論がなかったらきっともっと観ているだろう。
芸術的な面でいうと秋はかなりいい。
欲望は一番のエンジンだし、思いつきは化石燃料である。
ただ優秀な人間生活を送ろうとすると支障をきたす。
昼夜逆転。やるべきことを放置。急に旅に出る。
これらの行動はまぁよくない。
後で私を困らせる。
それに今年は秋の敏感がひどくて、ちょっと視覚過敏ぎみだったり、嗅覚過敏ぎみだったりする。
いつもより眩しさに敏感で、洗面台の明かりをつけると時々くらくらする。その日に会った人の匂いがお風呂から出た後も鼻の奥に残っていたり、部屋の匂いが気になったりする。
秋の何がそうさせるのか。
多分、日が落ちるのがどんどん早くなることによる焦り。日増しに低くなっていく気温。伸びた長い夜。紅葉した葉の鮮やかさ。枯れていく自然。凛とした冷たい空気。クリスマスと大晦日が到来する焦り。一年が終わってしまうという焦り。終わりに向かって加速する時の流れ。
秋の移ろいの早さにあると思う。変わるものが多いから変化を強く感じる。それによってもたらされる焦り、新たな発見と言う刺激が私を敏感にする。
それに加え今年は学生最後の秋というのもある。
変わっていく周りの環境と年齢に自分の心をあわせようとして妙に焦る。実感はないけれど意識の泉の水面で戸惑っている。
22歳という年齢は今の自分にぴったりだと思うけれど、時々もっと子供でいたくなったり、はたまた熟年でいたくなったりもする。
秋は私にとって、美しくて危ういものだ。
私は美少女と夕方と秋にこの上なく惹かれるけれど、これらはすべて美しくて危ういから良いのだ。
つまるところ私は、美しくて危ういものが好きなのである。
とはいっても美しいと危ういは趣味の範疇で好んでいるのであり、生活のベースは穏やかで安定であってほしいというのが私の我儘だ。
なので私は、私を魅了する秋を素敵だと思いつつ、ちょっと警戒するのである。
でも人生にも生活にもスパイスがないとハリがないので、結局秋を栄養と捉え、愛することにするのである。
オーバードーズは危険なので、ほどほどに。
いつもありがとうございます🤍