Art|ゴーガン《花瓶の花》 静物画の楽しみ方
3/3から開幕予定だった「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が延期になって1週間が経ちました。会場の国立西洋美術館の臨時休館にともなうこの延期。閉館予定は16日(月)までになっていますが、予定通り17日から開幕になるのか、それとも再延期となるのか、まだまだどうなるかわかりません。
展覧会ファンにはどうしようもできないことですので、ここはおとなしく、開幕の報を待つほかありませんよね。無事に来週開幕を願って、今週のArtでも、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」から作品を1枚紹介しようと思います!
ゴーガン? ゴーギャン? どっちにすべき?
今週の1枚は、ポール・ゴーガンの《花瓶の花》です。
え、ゴーギャンじゃないの? という方、鋭いですね。確かに、19世紀末のポスト印象派で、フランスの画家、Paul Gauguinは、日本ではポール・ゴーギャンと表記されることが多いです。
2016年の「ゴッホとゴーギャン展」(東京都美術館)や、2009年に画家の最大の傑作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》が来日した「ゴーギャン展」など、広く知れ渡っています。
しかし、フランス語の発音ではゴーガン(Gauguin)の方が近く、最近は、ゴーガンに限ったことではなく、できるだけその国の発音に近づけるのが主流ということもあって、ゴーガン表記が増えてきました。とくに国立西洋美術館では、率先して展示のテキストなどをゴーガンに統一しています。なので、今回の展覧会でも表記は「ポール・ゴーガン」です。
じっさい、2018年の映画《ゴーギャン タヒチ、楽園への旅》の予告動画を観てみたのですが、はっきり「ゴーガン」(なんなら、ゴゥガンぐらいの勢い)って言っていますね。なので、ここでもゴーガンと表記するようにします(早く根付くといいですよね)。
絵画のヒエラルキーでは下位のジャンル
このような動かないモノを描くジャンルを「静物画」といいます。静物画には、花瓶などの活けた花のほか、パンや魚、果物などの食材や、本や彫刻などのオブジェなど、さまざまなものが含まれます。
ポール・ゴーガン《花瓶の花》
1896年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
絵画には、静物画のほかにもいくつかのジャンルがあります。
「宗教画」ーキリスト教などの宗教のお話を描く 例)レオナルド・ダ・ヴィンチ、ブリューゲルなど
「歴史画」ー建国の歴史や王様の偉大なる戦歴などを描く 例)ベラスケス、ドミニク・アングルなど
「肖像画」ー国王や貴族の肖像画を描く 例)ジャック=ルイ・ダヴィッド、ヴァン・ダイクなど
「風俗画」ー一般の人々の日常風景を描く 例)フェルメールなど
「風景画」ー実際の風景をそのまま描写する 例)クロード・ロラン、印象派の画家
「静物画」ー動かないものを描く
このジャンルのなかで、もっとも崇高とされたのが「宗教画」と「歴史画」でした。それに次ぐのが「肖像画」です。この絵の注文主(クライアント)は、王侯貴族や教会などでしたから、長らく王侯貴族の邸宅や教会内などでに飾ってもらえ、かつ十分な予算をかけて制作できるので、画家としても名誉なこと。画家を志したものは、みな一度はこれらのジャンルで成功することを夢見ます。
一方、そのほかの風俗画、風景画は、静物画とともに宗教画や歴史画、人物がに比べて下位のジャンルとされていました。
しかし、絵を注文するクラインが王侯貴族や教会から、新興市民(ブルジョア)に代わると、インテリすぎる上位の絵よりも、親しみやすい静物画や風俗画、風景画に人気が集まります。
こうした社会の流れに呼応して、明るい色と新しい手法を使って、親しみやすい風景を描いたのが「印象派」でした。この時一気に、風景画の需要が集まります。
同時に、静物画や風俗画も絵画の価値として見直されて、とくに19世紀末には「花の静物画」のブームが起き、一定数のファンが生まれました。ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の最大注目作品のゴッホの《ひまわり》も、そうした19世紀末の花の静物画ブームのひとつの側面として見ることもできます。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》
1888年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
画家の意のままにできる花の静物画
そうした新たなニーズとともに、もうひとつ19世紀末の画家たちが「花の静物画」に挑んだ理由があります。
それは、色彩や構図の研究です。
たとえば風景画でしたら、天候によって色が変わるので、意のままにはできないですし、向こうに見える山をひとつ削ろう、なんてこともできません。
風俗画でも、衣装をころころ変えたり、何時間もポーズをとらせたりすることはかなり困難です。さらに、モデル代もばかになりません。
いっぽう花の静物画は、たくさん花瓶に花を活けることもできれば、2、3本寂しく活けることもできます。極端なことを言えば、花が差さっていない花瓶だけにすることもできます。お金もそれほどかかりません。花の色も、色の組み合わせによる効果を狙って、自由に変えることができます。
「色」に新しい芸術の可能性を見出していた当時の前衛画家にとっては、画家の意のままに構図や色を組み合わせられるのは、好都合だったのです。
つまり、19世紀末の花の静物画には、画家の実験的な取り組みを読み取ることができる、貴重なジャンルであるといえます。
2枚の花の絵を見比べるチャンス!
そんな視点で、ゴーガンの《花瓶の花》を見てみましょう。
花自体は、調和のとれた色遣いと、立体感のある陰影処理で、まるで息をしているかのような花の存在を感じます。
その一方で、テーブルや花瓶には奥行きがなく平面的です。鑑賞者からどれくらい離れて花瓶があるのか、見当がつかなく、まるで宙に浮いたように見えるのを、かろうじて、絵の下ギリギリに描かれた、テーブルの端によって空間表現がなされています。
平面的といえる空間処理の一方で、花の周りを明るくすることで、背景の壁とは一定の距離感を感じさせています。壁の奥行きを示すのは、テーブルとの境目と、枯れ落ちた花頭。空間を把握できる情報はそれくらいで、あとは色彩だけで、テーブルの奥と壁の距離を表現しています。そのため、僕には、どこかイメージのなかにぼんやりと現れた花瓶の花のようにも感じます。
同じく平面的とされるゴッホの《ひまわり》と比べてみても、空間の構成の狙いや、色彩の組み合わせの狙いなどが明らかに違っているのがわかって面白いです。
今回の展覧会はでは、ゴーガンとゴッホの花瓶の花の絵を近くで見ることがができますので、実際に2人がどんなことを試そうとしているのかを見比べて想像してみるのも面白いかもしれません。
静物画のコーナーは、ついつい「キレイだなぁ」くらいで、見飛ばしてしまいがちですが、画家の探求の意図を探ってみようとすると、また違った見え方がしてくると思いますよ。
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