Interview|「ペルー、ビフォアーコロナとアフターコロナの接点で」大野尚斗さん
料理人のあり方が変わる。確かに、そう思う。
もう少し正確にいうと、あり方というより、飲食店で料理を作る職業としての「料理人」から、レストランを飛び出して、さまざまなメッセージをもった料理人の存在の重要性が加速度的に増ししていく。そんな言い方の方がいいかもしれない。
それはたとえば、スポーツ選手が「アスリート」と呼ばれるようになって、勝負の結果だけでなく、生き方や考え方に共感が生まれたように。
一方で、世界を飛び回りながら各国の料理人と交流し、さまざまな料理をクロスオーバーさせるような、たとえるなら「グランメゾン東京」の尾花夏樹(木村拓哉)のような料理人にとっては、とても苦しい状況になった。
アフターコロナの世界では、それはもしかしたら日常とは別世界の人間、たとえば特殊訓練を受けた宇宙飛行士のような存在になるかもしれないが、どちらも同じように、料理が与える「生きる歓び」を生み出す存在であることに変わりない。
ウィズコロナやアフターコロナの世界でも、どうか生き続けてほしいと願う。
ロックダウン下のペルー・リマをオンラインでつなぐ
日本の裏側ペルーの首都リマにいた料理人、大野尚斗さんにオンラインで話を聞いたのは、3月28日のこと。リマの世界的な前衛レストラン「セントラル」で2カ月間のスタジエ(研修、給料はもらえない)のため3月2日に、アメリカを経由して入国していた。
大野さんは、生粋のガストロノミー(美食)に生きる料理人だ。2020年の2月から、2021年に都内にオープンするレストランの準備もかねて、北米から南米、そしてヨーロッパを料理しながらの旅の途上にあった。
その土地の食材にふれ、文化にふれ、そこで学んだ根源的な原理・原則を持ち帰り、日本の食材を使って世界中の哲学をミックスさせて、大野さんだけしかできない料理を作る。新しいレストランのコンセプトは、こんなイメージだという。
ペルーに入った3日後、大野さんはセントラルの厨房に入った。
しかし、わずか2週間後の3月16日、ペルー全土が、新型コロナウィルスの感染拡大と抑止するためにロックダウン(都市封鎖)。海外便の発着も禁止された。セントラルももちろん営業停止。大野さんは、帰国もできず、料理を学ぶこともできず、ただリマのホテルに閉じこもるほかなかった。
旅の序盤での足止めに、途方にくれているのではないか、というこちらの想像とは裏腹に、画面の向こうの大野さんは元気そうに笑っていた。
ペルーの伝統調味料でエビチリつくったり。外出制限のなかでも、スーパーで仔牛のフィレを1本900円っていう、日本ではありえない値段で買ってきて、ガスコンロとフライパンだけでしかないなかで、アルミホイルでローストして、それが思いのほかおいしかったり。いつもパスタを食べてるんですが、それも飽きてきたのでパスタをゆでて、冷やしてから焼いて、ソースを作ってかた焼きそばにしたり。時間はくさるほどあるんで、いろいろやってます。
じっさいに大野さんが宿泊先の小さなキッチンで作った仔羊のロースト。
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
ペルーの食材で生地から作った餃子。
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
「旅する侍キュイジニエ」が目指した南米
南米・ペルーの料理に注目が集まりだしたのは、2010年頃だろうか。
それはペルーの”食の外交官”ガストン・アクリオという料理人の存在が大きかっただろう。2015年には、映画『料理人ガストン・アクリオ 美食を超えたおいしい革命』が日本でも公開されており、その存在を知っている人も多いだろう。
そもそも南米自体がクローズアップされた理由のひとつに、コペンハーゲンのレストラン「noma」のレネ・レゼピの存在があげられる。
nomaでは、生のアリを使った料理がよく知られている。北欧という土地柄、柑橘類の酸味を使うことができないため、その代用としてアリが瀕死の状態で放出する蟻酸を利用したとされている。しかし、それよりも先にアリの蟻酸を利用しはじめたのは、南米ブラジルのレストラン「D.O.M.」のアレックス・アタラだともいわれている。
調べられた限りで2012年には、nomaのレネ・レゼピは、2012年にはすでにアリを料理に使い始めていた。当時、「世界のベストレストラン50」で2年続けて世界1位になっていた。多くの料理人が注目されていたのは当然で、当時、レネの視界にあった南米に、多くの料理関係者が注目し「次は南米がくる」と騒ぎ出したのではなかと、大野さんは指摘する。
まだ南米には行ったことがなかったのが、今回南米を選んだ大きな理由です。
それに日本でも、ペルーのガストン・アクリオに師事した太田哲雄さんなど、南米の料理が少しづつ知られるようになってきましたが、いまだ日本人の料理人が欧米にくらべて少ないですよね。僕は、日本人がいない環境に身を置くことは重要だと思っています。
7月には、東欧のスロベニアで研修が決まっていたこともあり、南米にいられるのは2カ月程度。
チリにあるレストラン「ボラゴ」など、南米の何店かのレストランに、研修の受け入れを打診するメールを送ったが、なかなか返信はない。返信がきても研修は「3~半年でないと無理だ」と断られたという。
そのなかでセントラルは、返信がなかったレストランのひとつだったが、あきらめない大野さんは、セントラルのオーナーシェフのビルヒリオ・マルティネスが、オンラインの状態の瞬間を見計らって、研修をしたいというメッセージを送った。
「突然のメッセージ、失礼します」というふうに、すごくていねいなメッセージを送ったんです。そうしたら、シェフ・ビルヒリオから返信がきて、研修がきまったんです。待っているだけではダメなんだな、と改めて感じた瞬間でした。
中央がビルヒリオ・マルティネスさん
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
90%以上が外国人客である「セントラル」
新型コロナウィルスの感染拡大の影響で当初、予定していた2カ月間を考えるとはるかに短い、わずか2週間の研修期間だったが、十分な経験をすることができたと、2021年に自分の店をオープンしようとしている大野さんにとっては、学びが多かったという。
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
大野さんの計画している新店では、ほぼすべての食材を信頼する日本の農家から直接仕入ようとしている。そのため、海外の研修で知った稀少で日本で知られていない食材であっても、それを輸入して使うことはできない。
そうなると、研修で学ぶべきことは、その地の文化や、そこで料理する人たちの考え方といった、根源的な原理・原則になる。
南米でナンバーワンと呼ばれるセントラルですが、世界の最先端の料理に比べると、テクニック的には10年前に流行ったもの。たとえば、エスプーマやコンスターチを加えtr乾燥させたチップスなどです。それでも、セントラルがなぜ、世界中から食通を集めるのかといえば、ペルーの食材しか使わないことを極限まで徹底している。ペルーの文化から抜けたことはなにひとつやらないことなのです。
ペルーは、ジャガイモの原産地として知られ(原産地とされるアンデス山脈は、ペルーを含む)、その種類は5000種類にも及ぶともいわれている。
セントラルは、そのアンデス山脈に「ミル セントロ ラボ クスコ」(以下、ミル)というラボ(研究所)兼レストランの姉妹店をもっています。ミルの研究チームには、セントラルから2、3名が参加していて、ジャガイモだけでなく、ペルーの食材をひたすら研究していんです。そこでの彼らがすごいのが、自国の食材であっても、自分たちはその食材のことを知らないという前提で研究をしているんです。
これを日本に置き換えて考えると、たとえば「ユズ」のように日本料理で多く使われて、世界でもその代名詞といわれている食材であるが、本ユズと花ユズがあり、そのうちの本ユズの原産地は中国であることをどれくらいの日本の料理人が知っているだろうか。
そういった研究の成果を、セントラルのチーム全体で共有して、ペルーの食材しか使わない料理とは何か、という問いに答えを出していっている。
セントラルの客単価は3万円ほど。それは、ペルーの1カ月の給料に匹敵する。とうぜんですが、ゲストの90%は外国人。そもそも向いている方向が、国外なのです。すべての人がペルーに対する知識がないなかで来店されるわけです。そうしたゲストに対して「ペルーとは何か」を料理を通して伝えていくことが、セントラルに求められていること。技術において新しいものを取り入れて表現することは、セントラルにとって重要なことではないんです。
大野さん自身、多くの国々のキッチンに入り、その地の文化を含めて学んできた。ローカルの食材に徹底的にこだわる姿勢は、たとえばスウェーデンの「ファビケン」やコペンハーゲンの「ゲラニウム」といった北欧のレストランにもある。しかし、そうしたローカルな食材にこだわるというのはあるが、食材を深く調べることよりも、その地の料理人がどう表現していくかということに注力しているように感じると、大野さんは言う。
そう考えるとセントラルは、研究者的。それは、ペルーの気質というよりは、完全にシェフ・ビルヒリオの個人的な特性だと思います。シェフのお兄さんも大学の研究者だそうで、そういう環境にあったのでしょう。シェフは、若い頃から世界中を旅していたといいます。海外に出てあらためて、自国のことを良く知りたいと思ったのではないでしょうか。
ペルーには、パカエ(下の画像)という大きな豆がある。それを地元では、豆は食べずに捨てて、サヤの中にあるワタを食べるという。そのワタを食べた大野さんは、そこにモモやライチのような香りを見つけた。
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
それなら、日本に帰って今まで捨てていたマメのサヤを食べみよう。
日本にたくさんの豆の種類があっても、ワタを食べることはまずない日本では、とうてい得ることができない経験。こういった刺激を受けることがが、海外での経験でもっとも大事なことだという。
こういう発見は、その地に2週間以上しないと滞在しないと見えてこないことだと思います。僕が、パカエを食べて「ライチの味がする」とシェフに話したんですが、それは日本人にある感性だったようで、ペルーの人たちにとっては新鮮な完成だったようです。こういったことが、文化に触れる、食材に触れるということだと僕は思っています。
もしかしたら僕が10代から、料理の世界としては本流ではないアメリカのニューヨークにいたことも関係しているかもしれません。つまり、あまり食材に対して既成概念がないんです。
2020年2月からニューヨークからスタートした大野さんの旅は、9月10日まで、およそ7カ月間を予定していた。ペルーのあとは同じ南米のアルゼンチンへ。その後ヨーロッパに渡り、ドイツを経由してスロヴェニア、フランス、北大西洋のフェロー諸島、デンマーク、マラガ、モロッコ、イタリアを周る計画だった。
一つのところに長くとどまって物事を学ぶことは、より深い経験を得られるすばらしい方法だと思います。一方で、多くの土地をまわって、先ほどお話したような、土地の文化にたくさん触れることもまた、ひとつの学びの方法だと思います。その中で僕には、後者の方があっている。ハングリーに、自分が知らないことを知りたい、行ったことのない土地にいきたいんです。
大野さんが「旅する侍キュイジニエ」と呼ばれる理由も、そうしたハングリーさによるところが多い。しかし、一つの場所に長くいないことで、ルーツを見失うことはないのだろか。
料理の基本は大事だと思っています。僕にとってそれは、フランス料理。18歳から2年間、皿洗いしながらフレンチ見ていた。その時期に、料理に入る姿勢、ベースをきちんと極めておかなないと、フワフワして料理に落とし込むことができない。土台がきちんとしていないと家が建たないのと同じです。基本がやっぱり大事なんです。
基本の大事さは、アメリカ・シカゴのミシュラン三つ星で、世界のベストレストラン50 の2019年版で37位にランクインした「アリニア」というレストランでの経験が大きかったという。
「アメリカで一番厳しいレストランに行きたいので紹介してほしい」とアメリカ人のシェフに聞いたところ「それならアリニアだ」と教えられてことがきっかけだった。
営業中は、シェフの指示に応える以外の言葉や音をたてることは禁止。音が必要な調理は、うつくしい料理にならない、というシェフのGrant Achatzの考えが反映されている。さらに、営業中のキッチンでは、どんなに短い距離でも、全力疾走で、1日20時間以上、勤務することもあった。
あれだけアバンギャルドなことやっているけど、味の根本はフランス料理であることに気が付いたんです。僕は、多くの世界中のトップレストランのキッチンに入って、シェフ以下の料理人を見てきたのですが、スーシェフ(副料理長)より下の料理人には、基礎的な料理の知識と技術がない。たとえばベシャメルが作れないわけです。だけど意味不明のチップスは作れる。セントラルでもギモーヴ(マシュマロ)を出していたのですが、それがフランスの伝統的な菓子であることを、ほとんどの料理人が知らなかったんです。それでも「おいしければいい」という考え方もできますが、僕は、それではカッコわるいと思うんです。
レシピだけを覚えるのではなく、作り方の意味まで知ることが必要だと大野さんは言う。
失敗したり、想定したものとは違うものが偶然できあがっても、改善すべき箇所やその打開策を出すことができる。さらに、仕事の優先順位を自分で組むこともできる。とくに海外で仕事をする場面では、基礎を持っていると、そこで得られる情報が格段に増えるのだ。
じっさいにわずか2週間のセントラルでの研修では、当初前菜の下処理ばかりしていたが、同じセクションのスタッフを超える仕事の速さと、同僚をサポートして改善していく提案をしていくことで、信頼を得て、新メニューの開発会議にまで参加するまでになったていた。
セントラルでのミーティング風景。
(大野さんwitterより:@SamuraiCuisiner)
まさに、これから本番、といった矢先に、ペルーにロックダウンが発令させる。
ペルーに残って状況を見ながら旅を続けようとしたが、日を追うごとに新型コロナウィルスの感染は世界的に拡大していく。この後予定していたヨーロッパの研修先も休業を決めたという情報が入る中、ペルー国内のロックダウンも解除される見通しが立たず、やむを得ず、大野さんは帰国を決意する。
4月18日にブラジル・サンパウロ経由でマレーシア政府が準備したチャーター機(自費)に乗りこんだ。そして、4月21日におよそ2カ月ぶりに日本に帰国した。帰国の過酷さは、大野さん本人のnoteが詳しい。
とうぜん、予定を繰り上げたので日本での予定はない。しかも平時の何倍ものチャーター機の登場料を払って帰国している。想定外の状況に、さまざまな計画の見直し、変更に迫られているだろう。
世界が初めて直面する状況に、正解といえる判断はどこにもない。すべての決断を考えに考え抜いてしていかなければいけない。大野さんであっても、それは例外ではない。
インタビューの最後に、大野さんはこんなことを話してくれた。3月末のことではあるが、この記事の締めくくりに書き残しておきたい。
このまま休業が続けば、セントラルであっても潰れるかもしれません。日本でも自粛してては、死んでしまうというけど、死ぬ必要はないと思うんです。生きている限り、ばん回できる可能性はある。現に、ペストといった世界規模の伝染病や、地震やハリケーンによる災害を乗り越えていきているんです。ですので、焦らず、今を見るより、先を見た方が大事なんじゃないかと思っています。
大野尚斗(おおの・なおと)
1989年、福岡市出身。福岡県の高校を卒業後、ニューヨークにわたり、料理学校のカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ (The Culinary Institute Of America、略称:CIA)に入学し、2年間料理を学ぶ。その後、ニューヨークの「The NoMad Restaurant New York」、シカゴのミシュラン三つ星「Alinea」などを経て帰国。都内の会員制レストランなどのシェフを経て、現在は2021年の独立に向けて準備中。
note:https://note.com/samuraicuisinier
Twitter:https://twitter.com/SamuraiCuisiner
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(編集後記)
取材から1カ月以上経ってしまい、時期錯誤な感はある。しかし、それでも書き残そうと思ったのは、貴重な時期の料理人の声であることに変わりはないからだ。
冒頭にも書いたが、世界を飛び回るグローバルな料理人にとって苦しい状況である時期ではある。しかし、コロナ禍によって、人類が目指してきたグローバリズムが制限されてはいけないのではないか。大野さんが、ビフォアーコロナとウィズコロナの接点で語ってくれたことが、時代を進める際に改めて立ち返るべきポイントになるのではないかと思っている。
また、このnoteを公開した当日は、BSフジで2週連続で放映される大野さんの特集番組『旅する侍キュイジニエ』(5月9日、16日、ともに18時~)が放映された日でもある。
ウィズコロナ、アフターコロナの世界では、国の往来が制限さて、大野さんのように、世界各国の料理を学んで、だれも見たことのない料理を作るような人が生まれる可能性が極端に減ってくる可能性がある。むしろ、そういったイノベーティブな料理が不要ということがいわれることになるかもしれない。
しかし、進化とはつねに越境によって起こるイノベーションから生まれてきた。しかし、このコロナ禍によって、そうした越境の料理史が断絶されてよいものかなのか。私は、そうは思わない。
大野さんが、ビフォアーコロナとウィズコロナの接点で語ってくれたことのなかに、その断絶を再接続させる記録になるのではないかと、私は思っている。
もちろん、2021年の新店も楽しみだ。
もし、このnoteにサポートをしてくれた方がいれば僕ではなく、ぜひ大野さんに直接サポートをしてほしい。