死を感じなかったダミアン・ハーストの桜
六本木の国立新美術館で開催中の「ダミアン・ハースト 桜」がよかった。
2018年に全部で107枚の桜の絵を描いたなかで、ハースト自身が選んだ24作品が展示されている。
すべての作品が2m以上もあり、真っ白な展示室の壁にかかった風景は圧巻としかいいようがない。じっさいの桜を見るように見上げながら、展示室をまわっていく。
すこし寄ってみると、桜の花びらや葉は、筆跡(筆ではないかもしれないが)が残り、ぼっこりと盛り上がっているのがわかる。遠くから見えていた花びらや葉は、近くに寄ると絵具に変わっている(その境目はいったいどこなのか)。
桜シリーズを見るとアメリカの画家、ジャクソン・ポロックの作品を連想する人も多いだろう。桜展の図録には、このあたりのことがハースト自身の言葉で語られていたので、引用する。
絵筆がカンヴァスに接する、そのことで感情がカンヴァスに伝わる。ハーストは、彼を代表する「スポット・ペインティング」(すべて違う色のドットが規則正しくならんでいるシリーズ、リンク参照)の機械が書いたように人間が描くというコンセプトが、この言葉で理解できるような気がする。感情を切り離すことをあえてすることで、絵画の本質ともいえる表現価値に目を向けようとしたのだろう。
一方で、ハーストがまるでついっさきまで描いていて隣の部屋で疲れて眠っているのではないか、というような作家の熱気・エネルギーが絵の中にあることは、ポロックのアクションペインティングに通ずるものだと思う。
(フレッシュさ、鮮度といったことを永久に保存することができるのか?という問いかけは、料理の世界に置き換えてみるとおもしろい。何か新しい料理が生まれてきそうな気がする)
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近くによって気が付いたのは、葉の表現だった。躍動感と生命力あふれた筆遣いのように見えるが、桜の葉の葉脈を意識している(ように見える)。
一方で、花びらについては、ドットに近く、ハーストのなかでの観察対象の違いを感じた。そこは、桜シーリーズの直前のシリーズ「ベール・ペインティング」や「カラー・スペース・ペインティング」(ともに、スポット・ペインティングとは異なり、筆跡を残し人間が描いていることがわかるもの。ドット〈または筆跡〉が集まった絵であることにはかわりない。)を引き継いでいるのかもしれない。
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24枚の作品のなかで気に入った作品を書き残しておきたい。
三連画の『生命の桜』。中央の絵は中央の太い幹から、桜の木を真横から描いているかのように感じるだろう。一方の両脇の2枚は、左右から枝が伸びているように見えるので、桜のトンネルの天井を眺めているようにもみえる。
別々の視点の3つの絵が合わさると、一つの木のようにつながり、途端に鑑賞者の視点がどこにあるのかもわからなくなる。木の真上から見ているようにも見えるし、桜の木が手を伸ばして抱きつこうとする立体的な絵にも見えるからだ。
図録のなかでハーストは「重力」という言葉を頻繁に使っている。もしかしたら無重力の鑑賞者がフワフワと浮かんで、自由に桜の木を見ているような錯覚を起こそうとしているのかもしれない。そんな想像をさせる三連画だ。
木の幹も枝も見えない。空も見えない。桜の花びらだけに包まれるような気持にさせられる。むしろその甘美な色彩も相まって、どこか幻惑、トリップ、サイケデリックな香りするらする。僕には「幻惑な桜」に映った。
24枚の桜のなかで、もっとも寂しさを感じた桜。その絵に「知恵」という名をつけたハーストの真意を考えてみたい。
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「〈桜〉のシリーズは美と生と死についての作品なんだ」というハーストの言葉が会場に掲示されていた。
僕自身は咲き狂うように満開の桜を見て「美と生」について感じることがあったが、その空間にあって「死」を連想することはあまりなかった。
もちろん栄枯盛衰、桜は必ず散ることを知っているので、そこを死と感じることもできるが、同時に次の春を楽しみにする自分がいるので、どちらかというと桜は「喜びの象徴」という方がしっくりくる。
「美と生」に固執するのは、まだ生きていたい、やりたいことが多いという「欲」があるからなのではないかと思っている。まだ足りない、もっといい仕事をしたい。旅もしたい、食べたい料理がある。死を考えられないくらい、自分には欲がある。
いつか時間を経たときに、欲が抜けて死の訪れを楽しむことができるのだろうか。それともいつまでたっても死から逃れるように欲をもって生き続けるのか。その答えは、いつでるのだろうか。
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展示室には、作品名もキャプションもなく、24枚の作品だけがかけられている。僕は入り口で、作品リストをもらって、作品名と作品を照らし合わせながら見てしまったが、もしかしたら、それを見ないで、24枚の作品の表面だけをみることに徹したほうが、より絵のメッセージが感じられるかもしれないと思った。
というのも、作品名があると、その言葉のイメージで作品を見てしまうからだ。しかもその想像は、あくまで自分自身の経験でしかなく、ハーストの言葉でもない。おそらく、まったくかけ離れている場合もある(ほとんどがそうだろう)。
むしろ、自分の拙い経験で作品をとらえて、わかったつもりになるくらいなら、「言葉」の情報をなくして、絵の表面だけを見て、徹底的に絵から感じた方がいいような気がする。そして、そのうえで作品名を見る。いわゆる答え合わせのようなことをした方がいいのではないかと思う。
ぜひ、このnoteをみて「ダミアン・ハースト 桜」展を観に行こうという方がいたら、作品リストを見ずにまずは24枚の絵をじっくり鑑賞することをおすすめしたい。
そのうえで好きな作品を選んでから、リストを見る。自分で感じたことと、ハーストが感じていることの差を見ていくことで、作品と作者との会話が始まる。
ぜひためした感想をお聞きしたい(僕は、もう一生できないので)。
追記
ちなみに、写真撮影(フラッシュ・三脚などはNG)が可能な展示会なので、写真好きはカメラを持っていくとをおすすめする(動画はNG)。
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