Art|東大寺三月堂の思い出
30歳になった記念に、奈良に一人旅をしました。もう13年も前の話です。
人生の節目に、落ち着いて物事を考えたいと思ったのかもしれません。ちょうど、「名文で巡る国宝シリーズ」という自分が発案した企画が初めて本になった頃で、仏像を拝観しに、関西の寺をよくまわっていたころです。
いくつか好きなお寺があって、たとえば奈良・薬師寺の東院堂の聖観音立像だったり、奈良・唐招提寺金堂の廬舎那三尊像、大分・富貴寺の阿弥陀坐像などは、印象に残っているかなぁ。
そのなかでも、東大寺の三月堂の不空羂索観音像は好きな仏像で、30歳の時に行った東大寺も、三月堂が最大の目的でした。
二月堂内は、1300年かけてできた自然の空間
東大寺は、平安時代末、平清盛が武装化した東大寺の僧侶たちを征伐するために平重衡に攻撃をさせ、聖武天皇以来の大寺をほぼ全焼させてしまいます。『平家物語』の「南都炎上」に詳しいこの物語で、現在の南大門はこのあと再建されたものです。南大門の中に安置されている巨大な吽形と阿形の8mにもなる仁王像は、源氏に東大寺再建の命を受けた仏師運慶・運慶がわずか2カ月ほどで完成させてものです。
この南都炎上の戦禍で奇跡的に焼けずに残ったのが三月堂(法華堂)です。
二月堂も焼けずに残ったのですが、寛文7年(1667年)のお水取りの最中に焼失しています。
奈良時代の創建である東大寺のなかで、創建当時の建物が残っているのは、この三月堂のみなわけです。しかも、東大寺の前身とされている金鍾寺時代の遺構ともいわれていて、1300年も前の建物なわけです。
しかも、不空羂索観音像も三月堂創建当時の仏像といわれていて、752年(天平勝宝4)の『東大寺山堺四至図』に「羂索堂」と記されていることからも、すくなくともこの時期以降は、不空羂索観音像を安置するための像として東大寺にあったことがわかります。すごいですね。
僕が30歳のときに三月堂を参拝したときには、不空羂索観音の両脇に日光菩薩と月光菩薩が脇侍として従っていました。
この日光・月光両菩薩は、大陸的なのっぺりとやさしいお顔でとても好きな仏像で、この三尊像を一度と三月堂のバランスがなんだか好きで見ていて飽きないものでした。
しかし不空羂索観音像と日光・月光菩薩はもともとは一緒にいなかったという説もあります。その説の一つの根拠になっているのが、仏像の制作方法です。
不空羂索観音は、中が空洞になったマネキンみたいな脱活乾漆造という造り方なのに対して、日光・月光菩薩は塑像という粘土を使った彫像方法です。仏像の作り方は、時代ごとに流行があるので、この彫像方法の違いは、時代の違いや仏師の違いを指摘するには十分な根拠で、もともとは別の目的で作られた可能性が非常に高いといえます。
元々違う用途で作られた仏像が、一つの場所に安置されている。ちょっとおかしな気もしますよね。しかしそれなのに、三尊像はその空間にあっているのが不思議で、余計にこの空間のアンバランス、緊張感が心地よいのかなと思ったり、確かに不空羂索観音と日光・月光菩薩の体高が違うなぁと思うようにも感じる一方で、どこか必然のようにも思ったり。
誰かが、別のところから持ってきたという前提で、それでもここに置こうと思ったんだと思うと、その人も必死に考えていくなかで「これでいい」と置いたんだと思うと、その人にもすごく興味がわいてくるんですよね。
さらにもしかしたら、源平の南都炎上の時や、戦国時代の松永久秀と三好党の戦いでも炎上しているので、そういう戦禍に際して、仏像を持ち出して非難させたとしたら、再配置することもあったんだと思うんです。そうすると、すこしずつその場に馴染んていくこともあるのかもしれないと感が足りすると、1300年の間にいまのようになっていったと思うと、この空間が苔むしていった自然の姿のようにも見えて、その時間の流れにお邪魔しているようなそんな気にさせられたものです。
ちなみに、不空羂索観音のような塑像は、木彫りの像に比べて軽いので救出しやすかったという説もあります。じっさい、興福寺の有名な阿修羅像も塑像で、興福寺の仏像はけっこう鎌倉時代の像が多いなかで無事に残ったのは、塑像だったからといわれています。
何百年もの当たり前が急に終わる
それから7年後に再び東大寺に行ったときも不空羂索観音に会いに行くのがとても楽しみでした。
三月堂に入ってみると、あれ、なんか違うぞ、と感じる。
30歳のときにぶわっと迫ってくるようなイメージがあったのに、どうもすっきりしてるなぁと感じるわけです。
あ、日光と月光菩薩がいないんです。
あれ、どうしたんだろう、7年もないから僕の記憶違いかな、と思って調べてみたら、2011年にできた「東大寺ミュージアム」に移されて、日光・月光菩薩はそこに安置されているそうです。
そうか、残念。もうあの三尊の姿をみることはできないのかぁ。
何年、何百年とあったあの空間は、もう二度とみることはできないのか。終わりは突然にくるんですね(知らなかっただけですけど)。
さびしい一方で、また1000年後は、またこの三月堂の風景が変わって見えるだろうし、その時代に生きている人たちは、どう見ているのかを想像するのも楽しかったりします。
そんなことを考えながら。
そういう意味で、仏像を観るというよりも、あるべき場所にある仏像、その空間との関係を楽しんでいる。それが僕の仏像の楽しみ方なのです。
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明日は「Food」。「おいしいってたのしい」のコンテスト用の記事を書いてみます。