Rock|自慢のミック・ロンソン・コレクション
ジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイのバックバンド「スパイダース・フロム・マーズ」(The Spiders from Mars)のギタリストがミック・ロンソン Mick Ronsonです。
中学3年生でデヴィッドの「ジギー・スターダスト」(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)を聴き、「ムーンエイジ・デイドリーム」(Moonage Daydream)のギターソロを聴いてグラムロックの洗礼を受けた僕にとって、以降音楽を聴き続けて際のギターサウンドのガイドラインになっただけでなく、同じくデヴィッドの「ライフ・オン・マーズ」(Life on Mars?)、「クイックサンド」(quicksand)のようなストリングスアレンジなどは(ともに、《ハンキー・ドリー》(Hunky Dory)収録)グラムロックのサウンドを決定づけたといっていいでしょう。
今回は大好きなミック・ロンソンがメンバーとしてクレジットされている(バックバンドは除く)作品の中から僕が所蔵しているコレクションを紹介したいと思います。
スローター・オン・10th・アヴェニュー
Slaughter On 10th Avenue|1974年
ミックの最初のソロ・アルバムです。ジギー・スターダスト時代は、デヴィッドの片腕として活躍しましたが、ジギー・スターダストが封印されると、ミックはデヴィッドの元を離れて、ソロ・デビューを果たします。
エルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」(Love Me Tender)、ブロードウェイ作品の劇中曲「スローター・オン・10th・アヴェニュー」(Slaughter On Tenth Avenue)は、原曲を大きく変えたドラマティックなミックのアレンジは、このアルバムのハイライトといえます。
デヴィッドが作曲した「グローイング・アップ・アンド・アイム・ファイン」(Growing Up and I'm Fine)や、イタリアのシンガーソングライター、ルチオ・バティスティの曲に、デヴィッドが詩をつけた「ミュージック・イズ・リーサル」(Music Is Lethal)などもメランコリックな曲調で、どこかデヴィッドの《ハンキー・ドリー》を連想させます。
プレイ・ドント・ウォーリー
Play Don't Worry|1975年
2枚目のソロ・アルバム。前作後にはツアーが敢行され、セールスも好調ななか制作されました。アルバムの完成が間近になった頃、モット・ザ・フープル(Mott the Hoople)のイアン・ハンター(Ian Hunter)から声がかかり、バンドに一時加入。その後、イアンのソロ・アルバムの制作にも参加する中、発表されたのがこのアルバムです。
前作よりもハードなロックアルバムという印象で、「エンジェル・ナンバー・ナイン」(Angel No. 9)や、ヴェルヴェット・アンダーグランドのカバー(The Velvet Underground)で、デヴィッドのカバーアルバム《ピンナップス》(Pin Ups)用に収録されたテイクに、ミックがヴォーカルを重ねた「ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート」などは、デヴィッドの《アラジン・セイン》(Aladdin Sane)に入っていてもおかしくなさそう。
ミックが作曲した曲が前作より増えて、サウンドもハードロックよりになり、ソロ・ギタリストとして売り出そうという姿勢が色濃く見えますが、商業的には失敗で、ミックは以後、セッション・ギタリストとして70年代、80年代を過ごすことになります。
ヘヴン・アンド・ハル
Heven and Hull|1994年
1993年4月29日、ミックは肝臓がんによって46歳で亡くなりました。このアルバムは闘病中に途中まで制作され、以後、ミックを慕うミュージシャンたちによって仕上げられ、リリースされました。
ミックががんを宣告されたのが1991年8月だったそうです。闘病を続けながらも、ミックはクイーン(Queen)のフレディ・マーキュリーの追悼コンサート(1992年)に、デヴィッドやイアンたちとともに出演したり、デヴィッドのアルバム《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》(Black Tie White Noise、1993年)に参加するなど表舞台の活動を辞めませんでした。
アルバムの制作は1993年1月のスタートで、その4カ月後にミックはこの世を去っってしまいます。
アルバムのタイトルになっている「ハル」はミックの故郷で、イングランド北部の田舎町ハルを意味しています(エヴリシング・バット・ザ・ガール〈Everything But the Girl〉もこの町の出身)。
ボブ・ディランの名曲のカバー《ライク・ア・ローリング・ストーン》(Like a Rolling Stone)ではデヴィッドが、《ホエン・ザ・ワールド・フォールズ・ダウン》(When the World Falls Down)ではイアンがヴォーカルで参加。また、同郷のハル出身でこのアルバムの制作開始当初から参加しミックをさせたデフ・レパード(Def Leppard)のジョー・エリオットが随所でヴォーカルを務めています。
インストゥルメンタル《ミッドナイト・ラヴ》(Midnight Love)は、美しすぎるのあまり、かえって悲しさがこみあげてきます。
アルバムのラストには前述したフレディーの追悼コンサートでイアンとデヴィッドと共演したグラムロックを代表する名曲《すべての若き野郎ども》(All The Young Dudes)のライヴ音源の収録されています。
The Rise And Fall Of Bernie Gripplestone And The Rats From Hull|1998年
デヴィッドと出会う前にミックは故郷のハルでラッツ(The Rats)というブルースバンドを組んでいました。そのラッツの音源をまとめてミックの死後1998年にリリースされました。
1~4曲目は、ミック在籍以前の曲で、初期のキンクス(The Kinks)やフー(The Who)といったモッズサウンドを聴くことができます。
5~12曲目がミック在籍時のもの。
「The Rise And Fall Of Bernie Gripplestone」は、1967年収録のサイケデリックナンバー。6~8曲目(1968年収録)は、途中バンド名をTREACLEに変更していた時代の曲。「Guitar Boogie」では、カントリーブルースっぽい曲調をミックが弾き倒しています。
11、12曲目はライヴ音源。収録年は不明ですが、若きミックの荒々しいブルースギターを聴くことができます。これは貴重。
ミックはデヴィッドの《世界を売った男》に参加したのち、再びハルに戻って一時、ラッツのメンバーとロノ(Ronno、ミックの愛称)を結成して「4th Hour of My Sleep」と「Power of Darkness」を録音しています。
この2曲、20代のころどうしても収録している音源がなく聞けなかった曲なのですが、今YouTubeで探してみたら両方ともあがっているじゃないですか。なんということでしょう。念願がかないました。
ミックが影響を受けたジェフ・ベック(Jeff Beck)のサウンドをかなり意識しているような2曲ですね。ミックのギターがかなりフューチャーされています。
一匹狼
YUI ORTA|1989年
ミックとイアンは、1975年のイアンのファースト・ソロ・アルバムからともに制作をしていますが、あくまでイアンのソロ・アルバムにゲスト参加している立場でした。
YUI ORTAは、「イアン・ハンター/ミック・ロンソン」として初めて共作クレジットされ、1989年リリースされた作品です。
最後の曲「スイート・ドリーマー」(Sweet Dreamer)は、ミックのインストゥルメンタルで、その後のライヴで何度もプレイされたミックらしい美しい旋律の曲です。
Just Like This|1999年
《スローター・オン・10th・アヴェニュー》《プレイ・ドント・ウォーリー》に続く3作目のソロ・アルバムとして録音されながらも、リリースされなかった幻のアルバム。ミックの死後リリースされました。
前作よりもさらにギターがフーチャーされているのと、曲調がかなりアメリカの乾いて陽気になっています。コーラスワークも、きれいなハモリで決めていて、ザ・バンド(The Band)やイーグルス(The Eagles)なんかを彷彿とさせるのは、ボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューのツアーに参加した影響かもしれません。
タイトルナンバーの「Just Like This」は、ミックらしいポップなアレンジが光佳曲。
ちなみに、本編とは別にアウトテイクをまとめたボーナスCDがもう1枚ついています。
SHOWTIME|1999年
1976年(1~7曲目)、1979年(9曲目)、1989年(8、10、11曲目)などのライヴ音源をまとめたもの。このライヴアルバムもミックの死後リリースされたものです。
収録された年から推測すると、1976年のライヴは、幻のソロ3作目「Just Like This」の制作後に行われたライヴのようです。収録曲を中心に演奏しています。
1979年のライヴは、おそらくイアンとのハンター/ロンソンバンドでのテイクではないかな。1989年の音源は、おなじくハンター/ロンソンバンドで、YUI ORTAにともなるツアーでの演奏だと思います。
インディアン・サマー
Indian Summer|2000年
ミックが関わっていた映画のサウンドトラックとされているアルバム。どんな映画だったのか、どんなプロジェクトだったのかはまったく不明で、1980年代の録音とされています。
Chinaは、イアンのソロアルバムに収録された曲の別テイクだったり、Indian Summerは、ミックの遺作《ヘヴン・アンド・ハル》から漏れた作品として知られている以外は、初の音源化されたものばかり。ほとんどの曲は、ミックが一人ですべての楽器を演奏して、自宅で録音されたといわれています。
ミックのソロ・アルバムとしては、生前に3枚、死後3枚リリースされました。ラッツ時代の音源集とイアンとの共作アルバム1枚ずつが、ミック・ロンソンがクレジットされた作品ということになります。
この中で、ベストアルバムを上げるなら、ソロ1枚目の「スローター・オン・10th・アヴェニュー」です。メランコリックで美しいメロディ、アレンジ力が際立っています。
こうして改めて聞き返してみると、ミックはあまり作曲能力は高くないことにきづかされます。曲の良さで言ったら、デヴィッドやイアンと比べるとやっぱり並といったところ(比べる相手が悪いけど)。そういう意味では、ソロ・アーティストとしては失敗している理由がわかります。
一方で、アレンジャーとしてはロックの歴史を見ても、かなり高いと思うので、来週の日曜は、アレンジャーやゲストミュージシャンとして参加したアルバムを紹介したいと思います。お楽しみに!(楽しみにしている人はいるのか??)
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