Rock|モット・ザ・フープル《MOTT》
1960年代後半から、1970年代初めにかけて、イギリスのひとつのムーブメントとして「グラム・ロック」と呼ばれるジャンルがあった。「グラマラス」を語源にもつことが示すように、きらびやかな衣装だったり、化粧をしたり、セクシャルなイメージを前面に打ち出したスタイルが特徴だった。
デヴィッド・ボウイ、T-レックス、ロキシー・ミュージックといったイギリスのミューシャンたちのほか、アメリカではルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドやイギー・ポップなどもグラム・ロックのくくりに入れることができる。
上記のミュージシャンたちにくらべて、かなりマイナーなグラム・ロックのバンドに「モット・ザ・フープル」(Mott the Hoople、以下モット)がいます。デヴィッド・ボウイが、名曲「すべての若き野郎ども」を書き下ろしてプレゼントしたバンド、と言えばピンとくる人もいるかもしれない。
スーパーバンドではないが、クセになるスルメバンド
モットのベストアルバムといえば、とうぜん「すべての若き野郎ども」が収録されている同名アルバムで間違いないのだが(デヴィッド・ボウイのプロデュースでもある)、ある意味で完成度が高すぎて馴染めないという理由から、僕個人としては、モットらしいラフなロックン・ロールが多数収録されている、その次のアルバムで1973年リリースの「MOTT」(邦題:革命)を推したい。
モットの魅力はなんといってもヴォーカリストでソングライティングの大半をこなすイアン・ハンターの、ソングライティング能力と、まるでボブ・ディランのような(もちろん、過分に影響をうけている)もっさりとしてるのに意外と澄んだ歌声だ。
じつはそれ以外は、大きな特徴はないといったら失礼だが、確実にレッド・ツェッペリンやザ・フーのようなロック史に残るスーパーバンドではないのは、聴いてもらえればわかるとおもう。音楽的に見れば王道のロックソングだし、同時代のブルースの影響は受けているが、ファンクやソウルといったものの影響は薄く、一方でディランの影響をもろに受けたカントリーテイストが強い。
しかし、どうもモットには、そういったものを超えた、バンドとしての不完全さからくる魅力のようなものがつまっている。
なかでもこのアルバム《MOTT》は、前作の成功から、まったりと甘いメロディーに図太いリズムとサウンドのグラム・ロック路線へのシフトがうかがえる。
オープニングの「All the Way from Memphis(メンフィスへの道)」は、その典型で、完全なる8ビートのやぼったいロック・ソング。モットにとってはライヴの定番になるもので、クイーンのブライアン・メイがカバーしたこともでも知られている曲だ。
4曲目の「Honaloochie Boogie(ホナルーチー・ブギー)」なんかも、ポップなメロディのロックソングで、ザ・イエロー・モンキーもカバーしている。
イエモン版。ほぼ完コピで、モットへの愛を感じる。
ほかにも、「Violence(バイオレンス)」なんかも、ロック色が強い。
ロックン・ロールは敗者のゲーム
しかしながら、《MOTT》の真骨頂は、こうしたロックナンバーではない。4曲目の《Hymn for the Dudes(邦題:野郎どもの賛歌)》や、モットのバンドの歴史を歌った《Ballad of Mott the Hoople (26th March 1972, Zürich)(邦題:モット・ザ・フープルのバラッド)》、《I Wish I Was Your Mother(邦題:母になりたい)》といった、イアン・ハンターが切々と歌い上げるバラードナンバーだ。
この3曲は、現在も現役でソロ活躍するイアン・ハンターにとっても歌い続けられており、イアン・ハンターのヴォーカリストとしての魅力を存分に発揮している。
とくに、《Ballad of Mott the Hoople (26th March 1972, Zürich)》の一節は、僕自身にとっての美意識を支えてくれるものであるので、併せて紹介したい。
Rock n' roll's a loser's game, It mesmerizes and I can't explain
The reasons for the sights and for the sounds,
The greasepaint still sticks to my face,
So what the hell I can't erase
The rock n' roll feeling From my mind.
ロックン・ロールは敗者のゲーム、催眠術にかけられて俺は説明できない
恰好や音の理由を
グリース・ペイントがいまでも俺の顔に
だからなんてこった、俺は消せない
俺の頭の中にあるロックン・ロールの感情を
――敏 訳
10代の頃この曲を聞いて、「成功しているバンドが、どうしてロックン・ロールは敗者のゲームだなんていうんだろう?」って理解できずにいたが、いまならわかる。
それは、勝者とは何かを考えることから始まる。
社会に対する勝者とは、階級社会が強いイギリスにとっては、生まれたときから何不自由ない生活を送るような、経済力の高い人たちのことをいうだろう。
しかし、ロックン・ロールの虜になった者たちは、そんな存在に憧れているわけではない。彼らにとってそれは、成功や勝者とはいえないからだ。
音楽で成功するには、だいたいどこか狂っている。常識を逸した、どうしようもない社会不適合者で、そういった者が、前例を打ち壊し(Rock)、新しい地平を見せる。異端な人間が生む新しい表現の繰り返しころ、カルチャーの歴史だ。
つまり、何も持たざるものが、生涯をかけて挑む大博打なのである。もちろん、負ければ、社会からつまはじきにあい、とことん落ちていく。イアン・ハンターが言うように、敗者のゲームそのものだ。勝者はそもそも、ロックン・ロールなんてものに生涯をかけない。
ロックン・ロールは、始まったときからポジションの決まった下ームなのだ。
僕は、この「敗者のゲーム」に今も憧れている。何もない、そのままではまったくもって敗者が、一発逆転を狙うのは、イアン・ハンターにとってロックン・ロールだったように、僕にとっては編集したプロダクトなのだ。
だからなんてこった、俺は消せない
俺の頭の中にあるロックン・ロールの感情を
僕にとって人生は、敗者のゲームなのだ。
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