Art|言語化モンスターたちに追われた僕を癒すルノワールの絵
今年の年末年始の反省のひとつにSNS、とくにTwitterとnoteのタイムライン補正しとけばよかったなぁというのがあります。
普段から、この2つのSNSについては、ビジネスやIT、デザイン関係の人をフォローさせていただいています。それには、なんとなーくするするっとやっちゃう自分の仕事を、きちんと整理していきたいという狙いがあって意識的なもの。また、今までの職業では聞けない話も多いというのもあります。
しかし、それがどうも年末、とくに年始あたりから、言語化モンスターたちがタイムラインに現れ始めて、「今年の目標どうするのさ!」って、四方八方からプレッシャーをかけてきたのです。
「ああ、なんでもかんでも、いま決めろっての無理!!」みたいな気持ちになったと同時に、おだやかな年末年始のためにも、来年はゆるい感じのタイムラインを12月ころから意識していないと気がもたないぞ、なんて思っていました(ならSNSを見るんじゃねーよって話では話ではあるのですが、言語化モンスターは憧れでもあるので本当は、めっちゃ参考にしてます)。
そんなことを考えながら、年始早々渋谷の駅でルノワールの《ピアノを弾く少女たち》がデザインされたポスターを見かけました。
「そうそう、ルノワールみたいに楽しくなる絵がいいのよ」
言語化モンスターの傷を癒した少女たち
僕が見たのは、横浜美術館で開催中の「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」という展覧会のポスターでした。
この展覧会には、ルノワール中期の代表作《ピアノを弾く少女たち》が出品されています。この絵は、ほぼ同じ構図とサイズの絵が全部で6枚あり、今回来日しているのはそのうちの1枚です。
6枚のうちおそらくもっとも有名なのは、パリのオルセー美術館が所蔵するヴァージョン(下の画像)。これは、完成した1892年にフランス国家が買い上げられました。51歳になっていたルノワールにとって国家買い上げは初めてのこと。印象派という前衛画家としてデビューしたルノワールが、ようやく名実ともに認められた瞬間でした。
《ピアノを弾く少女たち》
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1892年 オルセー美術館蔵
オランジュリー版もオルセー版もどちらも良い絵なのですが、背景の描き込みが少ないオランジュリー版の方が、言語化モンスターに追われる僕にとっては心地良かったので、ほかの絵と見比べてみたいと思います。
フェルメールの方が真面目に描いてる?!
比べるのは、ルノワールが生きた時代からおよそ100年前のオランダに生まれた画家、フェルメールの《ヴァージナルの前に立つ若い女性》です。
ヴァージナルとは、ピンと張った弦をピンと張った弦を弾いて音を出す楽器でチェンバロの仲間です。ですので、鍵盤に繋がったハンマーで叩いて音を出すピアノとは、見た感じ同じでも、まったく違う音が出ます。
2枚の作品を比べるに当たって、楽器の違いはかなりあるのですがその辺は、無視してもらえればと思います。
《ピアノを弾く少女たち》
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1892年頃 オランジュリー美術館蔵
《ヴァージナルの前に立つ若い女性》
ヨハネス・フェルメール
1770〜72年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
上の2枚の絵の違いを探します。
①ルノワールに描かれているのは2人、フェルメールは1人
②ルノワールは演奏に夢中で、フェルメールはカメラ目線
③フェルメールの絵の女性の方がアクセサリーをして、高そうな服を着ている
④フェルメールの絵の背景には絵がかかっていたり、窓があったりして、状況がわかりやすい
⑤フェルメールの絵は、床のタイルまで描いている
⑥フェルメールの方が丁寧に絵を書いている
こんなところは、見比べてみるとすぐにわかりますね。とにかく、フェルメールの絵の方が、細部まで丁寧に書き込まれている印象です。
以前の絵画鑑賞のnoteにも書いたのですが、写真が実用化される18世紀中頃まで、絵画の役目は現実世界を以下にカンバスの中に再現するのが最大の目的でした。「まるでこの絵、本物みたいじゃん」「そこに実際の景色があるみたい〜」と言わせたら勝ちなわけです。
その点でフェルメールの絵は、背景もしっかり書かれていて、後ろに掛かる絵の額縁の輝きまで気を配っています。
比べて見た違いで出た⑥の床のタイルまで描いているのも背景の奥行きを見る人に認識させるためのテクニック。さらに画面左の窓や手前の椅子も、絵を見ている場所(鑑賞者の位置)と女性の位置、そして奥の壁の位置関係を設定するための小道具です。
仮に下のように、手前の椅子とタイルをトリミングしてみると、一気に鑑賞者と女性、後ろの壁の位置関係が曖昧になってしまうことがわかります。
こうした空間を設定する構図や表現テクニックはフェルメールはとても優れているのですが、その説明はまた別の機会に。
昔の絵は暗号だらけで読み解くのが前提
④の背景の絵は、気になりますよね。へたしたら女性よりも目立っちゃってるんじゃないのってくらい大きなキューピッドの絵が描かれています。
背景などに描いている絵は「画中画」と呼ばれて、画家はどんな絵を入れるか考えに考え抜いてわざわざ描いたもの。演出上の小道具です。
絵画では、たとえば映画などでまれにある監督が意図しないもの(時代劇なのに現代の携帯電話が映り込んでいたとか)が画面に映り込むことはありません。画面にあるものは、画家が何かしらの意図を持って描いているものです。
キューピッドは、フェルメールの時代よりも昔から愛の象徴とされてきました。ですので、この女性の背後にキューピッドの絵を一緒に描いているということは、この絵が愛に関する絵であることを意味しています。
③の首飾りの真珠は、純潔や子孫繁栄を意味するものでもあり、この女性がまだ男性を知らない存在であることをにおわせます。
そもそも楽器自体がじつは愛やセックスの象徴で、「叩いたり、擦ったり、口で息を吹き込んだりすると、美しい音色(声)を出す」という、現代なら完全にセクハラな理由があったりします(これは、けっこう本当の話です)。
つまりフェルメールの絵には、西洋美術の何千年もの歴史の上に作り上げてきた暗号がこれでもかというくらい書き込まれているわけですt
ちなみにフェルメールの絵のクライアントは、もしかしたら結婚前の若い娘を持つ裕福な家庭だったのではないでしょうか。若い娘を思い、恋をしてほしいと思いながらも、誘惑に負けずに愛する人に対して貞操を保ち、理知的な女性になってほしい。そんな、口うるさい、説教好きな親の影までもがどうも見えてしまいます。
年末年始はルノワールに限る
一方のルノワールは、同じく愛を象徴する楽器を2人の少女が楽しそうに演奏しています。
しかしそれ以外は、何もありません。
背景も雑にササッと描かれているので、この家の裕福さや部屋の広さもまったくわかりません。服は簡素で、カジュアル。家族にだけしか見せないような、ラフなスタイル。フェルメールの絵にあったような、女性の趣味や男性経験を示すようなアクセサリー、画中画もありません。
ただただ、2人の少女が夢中になってピアノを演奏している。どこまでいっても、それだけなのです。
ルノワールは、美しい女性や楽しい食事の時間、旅先の風景などを好んで描き、「人生の歓びを描いた画家」と呼ばれています。
たしかに、ルノワールの絵には、批評性や皮肉めいた暗号などは、ほとんど描かれていません。絵のなかにいる人々は、底抜けに楽しそうで、人生を謳歌しています。悩みや苦悩、そういったものがないのです。
これは、西洋絵画の中で唯一無二といっていいと思います。だいたい人って、カッコつけてインテリぶるものです。しかし、ルノワールにはそれがない。
年末年始に現れた言語化モンスターたちに追われていた疲れた僕にとって、この「見て楽しそうって感じるだけでいい」ルノワールの絵が、すこぶる心地よかったのです。
みなさんも正論や正しさばかりの世界に疲れたら、ただ眺めて感じるだけでいいルノワールの作品を見てみるのはいかがでしょうか。
横浜美術館の展覧会「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」は、今週末の3連休、1月13日(月・祝)まで開催中です。僕のnoteでルノワールに癒されたいと思われた方は、最後のチャンスですので、ぜひ横浜美術館に足を運んでみてください!