Rock|サウンドトラック《ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ》
レンタルDVDショップなんて、見なくなった今、映画作品の出会いってどうなってるんだろう。
オフ・ブロードウェイミュージカルから映画化され日本でも何度も舞台化(三上博史さん、山本耕史さん、森山未來さんが主演)された《ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ》との出会いは、それこそレンタルDVDショップでした。2005年くらいだったと思うんです。
《ロッキー・ホラー・ショー》をほうふつとさせる、グロテスクなメイクをしたドラッグクイーンがジャケットになっている映画を手に取ったのは、やっぱりデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック、T-レックスといったグラムロックの香りを感じたからだと思います。
実際、映画のなかには、本当にたくさんのグラムアーティストへのオマージュがちりばめられていて、グラムロックファンのツボがしっかりおさえられています。
しかし、単なるロックへのオマージュ映画ではなく、「人がもつ個性は誰によってマイノリティにさせられるのか」、ということを考えさせられる素晴らしいテーマをもった映画です。
2017年にはオリジナル版の主演、ジョン・キャメロン・ミッチェルが主演する舞台の日本ツアーがあったのですが、これを一緒にみた妻が「何を悩んでたんだろう、私は私でいいんだ」と涙していました。妻は、まったくロックの文脈を理解しない人ですが、この作品のテーマ自体にはすごく心を打たれたようです。
2001年に公開された(日本では2003年)映画版のサウンドトラックが《ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ》です。
映画のストーリーはこんな感じです。
旧東ドイツ生まれでハンセルは、自由を求めてアメリカを目指します。しかし、東西統一前の東ドイツからの渡米は困難なものでした。そのため米兵の妻にとして渡米することを計画し、性転換手術を受けます。
しかし、その手術は失敗。「1インチの”しこり”(アングリーインチ)」が残ります。
渡米してすぐ恋人の米兵に捨てられたハンセルはヘドウィッグと名乗り、ホームシッターをしながら場末のレストランで、幼い頃ラジオから流れてきたグラムロックをルーツにした歌を歌い始めます。そんななか、純粋無垢な少年、トミーに出会い恋に落ちます。しかしある日トミーがヘドウィッグの体を求めたときに、股間に残ったアングリーインチに触れてしまう。
狼狽したトミーは、ヘドウィッグから一目散に逃げだします。
愛を求めるヘドウィグは、幼い頃に母から聴かされた「自分のかたわれ」はトミーなのか、それとも「かたわれ」(愛)などそもそもないのか。そんなヘドウィッグの人生を象徴する歌が収録されている《オリジン・オブ・ラヴ》(愛の起源)です。
ザ・フーやクイーン、レッド・ツェッペリンのようなロックオペラ調の曲調の《オリジン・オブ・ラヴ》は、人類には太古の昔3つの性があったという、古代ギリシアの哲学者プラトンの『饗宴』から発想を得た語りから始まります。
男と女、男と男、女と女の3つの性。人類は、神の怒りをかい、電によってそれぞれがバラバラにさせられてしまいます。この太古の記憶をもつ人間は、男と女、男と男、女と女は一つになろうとする本能をもち、それが「愛」である。
そんな内容の歌詞です。サントラのなかでもっとも好きな歌です。
とくに好きなところが、上の動画の4:50くらいのところ。曲が盛り上がってきたところで、いったんすっと抑えを利かすところが、おしゃれなんですよね。
日本語の対訳付きの動画もあるので、こちらもぜひ。
《ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ》のサントラは、ロックのコンセプトアルバムとしても本当によく完成していて、何度も聞き返しています。
もう1曲好きな曲。これは、デヴィッド・ボウイの《ロックン・ロール・スーサイド》のパクリ、いやオマージュ。最後の「手を掲げろ」と叫ぶ姿は、「手を差し伸べて」と叫びながら最期を迎えてジギー・スターダストをイメージさせ、デカダンな美の世界が貫かれています。
この2曲に、この映画のすべての美意識が詰まっています。
ーーーーーー
明日は「Life」です。