note|まるいがんもさんのnoteを読んだ
noteでは、僕のように文章を書き綴る人もいれば、マンガを書かれている方もいらっしゃるんですよね。
まるいがんもさんが高級レストランに行かれた話を書かれていました。なお、主人公がまるいさんご自身であるかは、わかりません。
高級レストラン=庶民には理解できない世界
高級レストラン(星が付くレストラン)に行ったら、料理メニューだけを紹介され、なかなか想像力が展開できずにいながらも、おいしく食べた。だけど、炊き立てのご飯を食べたい、箸で食べたいと、いつもの食事が恋しくなるというお話です。
まるいさんの漫画をいくつか読ませていただくと、いわゆる共感を誘うあるあるのオチや、ほろっと哀愁のあるコミュニケーションなどが描かれていて、争いや批判、ディスっぽいことはまったくありません。
もしあるとすれば、経済社会や行き過ぎた文明を暗喩するようなものは感じられますが、そこに悪意のようなものはなく、あくまで少し距離をとって冷静に見つめているように僕は感じます。
そんななかで、「高級レストラン」がテーマとして取り上げられたことが少し気になりました。というのも、「高級レストラン」を見つめる視線に「おいしいし、わからなくもないけど、なんか違う」という、タイトル通り「馴染めない思い」を感じました。
僕自身、レストランが好きで、そこにあるたくさんの文化の集積に魅力を感じているのですが、やっぱり届かない人には届きません。なので、僕にとってはまったく違うレストランでも、ある人にとっては「高級レストラン」または「星付きレストラン」という価値基準で括られてしまうこともあるのです。でも、やっぱり悲しいんですよね……。
それに、「食べること」自体は、どんな人も毎日していて、高級レストランにいっても、行為自体は同じことをしているのに「馴染めない」と感じてしまう理由は、どこからくるのでしょうか。
もちろん、まるいさんが描きたかったことはそこではないし、僕だからこそ違った見方で考えてしまったことであるので、作品に対する批判というか、幻滅のようなものはまったくありません。
ただ「高級レストラン=庶民には理解できない世界」という雰囲気がコミュニケーションを成り立たせていることに、ちょこっと残念な気持ちになるです。
芸術家、アスリートへの敬意を料理人にも向けさせたい
本日1月4日に、菅総理大臣が緊急事態宣言の発令を検討しているという発表をしました。さらに、東京都では飲食店に対する時短要請が20時に前倒しされることにもなりました。
それ自体は、この状況下で仕方のない選択だと思います。しかし、それより1年近く新型コロナウイルスの感染拡大を抑制するにもなんの策もせず(要請だけで保証がない)ほったらかしにしながら、飲食店に負担ばかりを強いるというのには、本当に落胆するばかりではあります。
今回は、その話題ではないので、話を戻します。
ちょうど4月に緊急事態宣言発令されたときにレストランのシェフたちが、休業補償を得るために国に掛け合っていたときに、「高級飲食店なんて行かないんだから、潰れていいでしょ」「いままで散々儲けておいて何言ってんの?」という声が、ネット上に匿名で上がっていました。
僕が文化だと思っていたレストランは、他の人にとってはまったく存在価値がなく、大きな谷で分断されている、とその時に強く感じました。
それ自体は、当たり前だし、全世界の人がレストランラヴァ―になるなんて不可能なことはわかっています。だけど、絵画や彫刻、インスタレーションを創り出す人にどんな状況であっても敬意を持つように、アスリートの弛まない努力に憧れるように、せめてレストランにどんな価値があるのかくらいは共通にもってもらいたい。
そこにある谷を少しでも埋めるのか、橋をかけるのか、どういう方法がいいのかわかりませんが、どうにかして飲食店のこと、料理人のことを知ってもらうようなら、たとえ小さな自分の発信であっても、何かの意味があるのではないかと思ったのです。
今日の緊急事態宣言騒動で、ちょっとナーバスになってしまったのかもしれません。まるいさんの作品を別の日に読んだら、まったく違うことを感じたのかもしれませんし、何も感じなかったのかもしれません。
ただ改めて、自分ができる、レストランの素晴らしさ、たくさんの人たちが関わってできる総合芸術としてのレストランを伝えるようなことをしていきたいという、自分の思いの原点を再確認することができました。
noteには、さまざまな出会いがあるんです。
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