見出し画像

Life|とうとうカミングアウトしてしまったこと

毎朝7時から、これまで書いた自分のnoteを1本選んでそれについて話す  #ラジオ江六前 をClubhouseで配信しています。

そこで、今日、とうとうカミングアウトしてしまったことがあります。

「僕、じつはおいしいものにそれほど興味がないんです」

これ、じつは少し前から薄々気づいていたんです。たとえば、料理雑誌の編集を始めたのも、ある意味で会社の方針で始めたものだし、おいしい料理を求めて、食べ歩きをするような趣味もない。

料理に興味はあるし、おいしいものは好きだけど、「もっとおいしいものを食べたい!」という探究心はないし、自分に比べたらもっと探究心のある人もいます。そういう人に対して負けないぞ!とも思わないし、自分がわかる程度でおいしいものを感じられればいいという気持ちがありました。

それを決定的に思ったのは、Clubhouse を始めてから。

おいしいものを語り合うRoomだったり、「おいしいとは何か?」というようなことを討論するようなRoomを聞きに行くこともあるのですが、どうも長居ができず、話を聞いていても楽しくないなと、明確に感じている自分に気づくわけです。

あら、いよいよ、自分の本当の気持ちに気づいてしまったぞ……。

それよりも、自分が興味あることは、料理を通じてどんなコミュニケーションが生まれるか、であったり、それぞれの「レストランと家庭」という、それまで上位と下位で分かれていた世界を横断的に話し合うことだったり、料理の歴史とかの方がすきだったりします(ジャック・アタリの『食の歴史』の感想を言い合うRoomとかのぞいて見たい!だけぢ、まだ読んでないから無理)。

今日のClubhouseでも話したのですが、どうやら料理は僕にとってはあくまでコミュニケーションツールであって、料理を通じて作った人(料理人)、素材を作った人(生産者)、食べる人(自分)、一緒に食べる人(あなた)がいったい何を共有するか、とかの話の方に興味を持っていることが強く実感しました。

Clubehouseに対してRoomの乱立が指摘されますが、選択肢が多いからこそ、自分は何に興味があるのかというのが如実に見えてくるよなぁと思ったりもします。

自分にあったレストランの楽しみ方を

おいしいものに興味がない」となぜ僕は言えなかったのでしょうか(薄々気づいていたのに)。そこには、やっぱり自分が料理人の方々に近いところにいさせてもらっていることが大きな要因のような気がします。

やぱり「おいしい」というのが、料理人の方にとっても商売道具なので、そこに興味がないといってしまうのは、失礼なような気がするというか、嫌われてしまうとか、幻滅されてしまうんじゃないかという怖さがあったように思います。味音痴と言われるのも、認められていないみたいでいやな気持もあります。

ちなみに、Clubhouseで、おいしいについて話していたときに、「おいしい」が食事の絶対条件になるのは外食だけで、家庭の食事では「おいしい」の優先順位が下がるみたいな話もあって、そこもおもしろい指摘だよな、と思ったりもしています。

また、まわりの食の編集者やジャーナリストを見ていると、おいしいものが好きで、さらにおいしいものを求める人が多いので、そのなかで「おいしい」という理由でものを考えないということは言い出しづらいというのもあります。

第一、尊敬する料理人の料理はおしなべて「おいしい」ので、それが当たり前のことなので、そこを否定するようなことを言う必要がないわけです。

そんななかで、とうとう言ってしまった言葉。

だけど、自分としては、スッキリしたということもあります。別段、おいしいものに敬意がないわけではないですし、おいしいものを作るための苦労を知っているので、軽視しているわけでわありません。

感謝の気持ちで、その料理を食べるのですが、僕はそのときに料理の味を見ていない。その奥にある、作った人や育てた人、一緒に食べる人を見ている。そこに僕は興味があって、レストランに行っているのです。

たいしたカミングアウトじゃねぇな釣りだな、なんて思われるかもしれませんが、僕にとっては「とうとう言ってしまった」という後戻りできない思いです。

でも、いま料理がコンテンツ化して、過剰な価値が付きすぎているんじゃないという危惧もあります。誰かが言っているから価値があるのではなくて、価値は自分が決めるものじゃないかという、個人的な思いもあります。

あとは「おいしいハラスメント」とでもいいますが、ある種のブランディングが「おいしい」に影響を与えすぎてしまっているような気がしてもいます。顔の見える生産者の食材がすべておいしいわけじゃないし、SNSでフォロワーの多い料理人の料理がすべておいしいわけでもない。だけど、どこかで「知っている=おいしい」というバイアスがかかっている気もするんです。

そういう状況のなかで、あえて「おいしい」ということを求めないことで見えてくることもあるんじゃないか。そんな気がしてます。

自分にあったレストランの楽しみ方を、自分がもっともリラックスできる食事の仕方を。そういったことをぜひ大事にしていきたいという宣言でもあるのです。

ーーーーーー

明日は「Art」。「30歳の時に行った東大寺」、旅のお話、場所のお話。

いいなと思ったら応援しよう!

江六前一郎|Ichiro Erokumae|Food HEROes代表
料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!