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Art|トマス・ゲインズバラ 《水飲み場》 小説のような風景画
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の出品作の中から毎週1枚を取り上げて紹介していく、火曜の「Art」。今回で14回目(14枚目)になります。
昨年末から『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 完全ガイドブック』(朝日新聞出版、1540円)を編集・制作していて、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 すごいぞ!!」ということを素直に感じて、ぜひ自分のnoteでもその魅力を発信していこうと始まった企画です。
今回の作品は、トマス・ゲインズバラ の風景画《水飲み場》です。
お金のために肖像画を描いた風景画家
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展は、ルネサンス以降の西洋絵画の歴史を、イギリス側から立って視点で7つの章を立てて構成されています。その6章に「風景画とピクチャレスク」があります。
イギリス絵画史のなかで、西洋美術史の主流となるような数少ない美術運動のひとつにイギリス独自の風景画の系譜があります。フランスやフランドル(現在のベルギー)の古典的な風景画がイギリスに入ると、18世紀後半には、古典的な美の規範を乗り越えて、「美」と「崇高」という2つのテーマを内包した「ピクチャレスク(絵画のような)」と呼ばれる絵画が好まれるようになりました。
展覧会では、「風景画とピクチャレスク」の章タイトル通り、およそ200年のイギリスの風景画史を丁寧に観ることができます。
この章には、フランス、オランダなどの風景画がならぶことになっていますが、そのなかで僕の1点推しは、このゲインズバラの 《水飲み場》です。
トマス・ゲインズバラ 《水飲み場》
1777年以前 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
1727年にイギリスで生まれたゲインズバラは、こうしたイギリスの風景画史における2つの時代のはざまで、両時代に橋をかけた画家の一人です。「ゲインズバラって人物画だよね?」と疑問を持つあなたは、かなりの美術通です。
たしかに、ロンドン・ナショナル・ギャラリーには、ゲインズバラの肖像画の名作がいくかあります。
トーマス・ゲインズバラ《アンドリュース夫妻》
1750年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
トーマス・ゲインズバラ
《ウィリアムハレット夫妻(「モーニングウォーク」)》
1785年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
たしかに、人物画は、高貴さを感じますよね。しかし、背景には必ずといっていいほど、田舎の自然風景が描かれています。
じつはゲインズバラ自身が「肖像画は生活のために、風景画は楽しみのために描く」と言っているように、本心では風景画を描きたいと思っていたそうです。以前も書きましたが、風景画というジャンルは、絵画ジャンルのヒエラルキーでは下位に属するものでしたので、生活のために肖像画を描くというのはありえる選択です。なんか、人間臭くていいですね~。
小説の始まりのようなゲインズバラの風景画
ゲインズバラの風景画は、まず観るポイント、絵画の入り口がしっかりデザインされています。
おそらく多くの人が、この絵を観たときに、スポットライトに照らされた白い牛と羊に目が行くはずです。
そこから、茶色の牛がいることや、水飲み場ではしゃぐ子羊の存在に気付くことでしょう。その羊や牛の群れの奥に、牛飼いの姿が見えます。そしてその奥には、特徴的な姿の山に目が進んでいくでしょう。
向こうの山は、夕日に照らされ、ほのかに赤らんでいます。
ここで多くの鑑賞者は絵の部分を目で追うことから、絵全体に視野を広げていくことになります。
そうすると、牛の群れの左側に、女と2人の子どもの存在を発見するはずです。そうか、牛飼いの家族も休んでいるのか、この山をもつ家族の日常の一瞬だったことに気づくわけです。
この絵を観たときの目の動きは、かなり多くの人が同じ道をたどるのではないでしょうか。
白い牛が、山のなかに湧く水飲み場にいる。のどが渇いたのか、色違いの茶色い牛や、無邪気に水遊びをする子羊たちが続いて集まってきた。それに続くように牛飼いの男は、水飲み場にたどりつき、「やれやれ」といいながら、牛たちが水を飲み終わるのを待っている。
気が付けば夕方、そろそろ家に戻らなければいけない。そんなことを男は考えていたが、牛たちも、一緒にいる妻と2人の子どもたちも呑気に休憩をしている。
「お父さん、今日は楽しかったね」
長男がそう話していると、水飲み場に差し込んでいた夕日が、すぅっと影に飲み込まれて消えた。
こんなふうに、これから何かのストーリーが始まるような、小説の冒頭を思い起こさせる風景画に僕は思える。そう、この絵は、風景画でありながら物語を内包している文学的な絵画なのです。
ゲインズバラは《水飲み場》を描くにあたって、フランドルの巨匠ルーベンスの同名作品を参考にしたのではないかということが指摘されています。
ピーテル・パウル・ルーベンス《水飲み場》
1615~22年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
たしかに、テーマも同じなこともあって、似ているといえる。しかし、ゲインズバラの《水飲み場》のような、デザイン性の高い構成はルーベンスの作品にはありません。
こうしたデザイン性の高さは、おそらくゲインズバラ独自の解釈なのだろう。
風景画はついつい見逃してしまったり、ただボケっと美しいかどうかを見ていることが僕もあるが、ゲインズバラの作品は、絵の中の物語に強烈に引き込むデザインがしっかりとされていて、はっとさせられます。
UI/UX UI(ユーザーインターフェイス / ユーザーエクスペリエンス)が高いロンドン・ナショナル・ギャラリー展の僕的な推し風景画として、実際に対面して体験してみたい作品です。
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