サン=セバスティアンでバル巡り~地元のバスク人がこっそり楽しんでいたバル文化
スペイン・バスク州アチョンド(Atxondo)に来て3日目の朝。今日も静かに夜が明けていく。昨日の「Asador Etxebarri(アサドール・エチェバリ)」にでの体験が体の芯に残っている。
なかなか時差ボケが治らず、どんなに遅くに寝ても朝5時くらいに目が覚めてしまう。東京なら2月末なら朝6時にでもなれば薄明るくなるが、アチョンドはまだ真っ暗。7時すぎてようやく薄明るくなる。上の写真で8時半だ。
4日目は、ゆったりしたスケジュール。午前中は、アンボット山(Anboto)に登ってみることにした。
僕たちが滞在したアチョンドは山の北側に位置しており、そこから見えるアンボット山は、ゴツゴツとした岩肌と切り立った山容が印象的で、村のどこにいても見守ってくれている、そんな存在である。石灰岩でできた山の標高は1,331m。
バスク民族の神話の地で、山頂近くに洞窟がある。そこはバスク神話の女神であるマリの住処とされており、いわゆる地域信仰の対象になった霊山なのだ。
アチョンド自治区のサンティアゴ(Santiago)村からの登山口を入り、山の中腹付近を目指す。
登山道の途中には、哲郎さんの自宅がある。もともとは、アンボット山に登る人に向けた山小屋だったそう。峻険なアンボット山を仰ぎ見る場所に立つと、自然の偉大さと尊厳とともに、どこか冷たく突き放されたような畏怖の念を感じさせられる。
哲郎さんの自宅から、さらに山道を上がっていく。道は整備されていて歩きやすい。しかし、このところの運動不足で、息が上がる上がる。30分ほどの登り道だったが、シャツ1枚になって汗を拭きながらなんとか登り切った。
3日間過ごしてきたアシュペ(Axpe)村やサンティアゴ村が目の前に広がる。当たり前だが、村と村は、離れているけど、地形的な合理性によって切り拓かれた道によって繋がっていることが実感することができる。
さらに哲郎さんの新店「Txispa」や、エチェバリがあるアシュペ村は、人が集まる(この地域では)大きな集落であることもわかる。俯瞰して物事を見ることは、何事においても大切なことなのだ。
午後は、哲郎さんの妻・奈緒美さんに車に乗せてもらい、街へ出てスーパーで日用品やバスク土産を買う。
エロ好き、いや「EROSKI(エロスキ)」という名のバスク発祥のスペイン全土に展開されている大型スーパーに行った。各国のスーパーは、その土地の暮らしぶりが見えるようで楽しい。
地元の商品にはバスクの旗をつけるなどローカル商品を差別化して買いやすいようにしている。もちろん、バスクがスペインから独立を目指しているという背景もあるとは思うが、地元食材をきちんと消費者が理解して買えるようにしているのは、すばらしいことだと思う。
アンチョビ、ツナ缶、ワイン、オリーブなどなどお土産たんまり買った。生ハムは日本には持って帰れないのが残念だった。
サン=セバスティアンは日本の横丁だった
バスクに行ったら外せないサン=セバスティアンのバル巡りが4日目の夜に実現した。アチョンドから車で1時間ほど。フランスとの国境近くの港町がサン=セバスティアンだ。
哲郎さんの案内で金曜の20:30頃から22時過ぎまでで6軒を巡った(6軒をGoogleMAPにポイントしてあります)。1軒に1品ずつあるお気に入りのピンチョスを目当てに、平均20分位の滞在でホッピングしていく。
Bar Goiz Argi
ここではエビの串焼きをオーダー。鉄板で焼いたエビにビネガーを効かせた刻んだ野菜がソースがわりにかかっている。哲郎さんのいわく「Bar Goiz Argi」では、このエビの鉄板焼きしか食べないというほど、代表的なピンチョスだという。1軒目なのでビールで乾杯。
Casa Urola
サンセバスティアンを代表するタパスバルで、店内はずっと激混み。今回行ったなかでも、若い層が多いように感じた。ホタテの冷たいスープ(めっちゃおいしかった)、タコのから揚げ(マヨ最高)、塩鱈の煮込み(アホアリエロ)。白ワインを飲みながら。
Txepetxa
アンチョビで有名な店。バスク州のワインでアルコール度数が低く、フレッシュで爽やかな酸味とミネラル感が特徴のチャコリとともに。泡がたっているのは、おそらくエスカンシアといってわざと泡立つように高い位置から注いだから(だと思われる。実際にはみてない泣)。
La Cepa de Bernardo
店内に生ハムが吊るしてある。やはり生ハムをオーダー。フワフワでとろけるよう。タコのアヒージョのような料理(?)もオーダー。 他の店に比べて年齢層が高いように感じた。昔から常連が多いということなのだと思う。 赤ワインを1本4人で開けて次へ!
Borda Berri
ここもかなりの人気店。サンセバで最初に向かったけども混んでて入れず時間をおいて再訪。なんとか店の隅に入れた。作り置きではなく注文してから作るピンチョスなので、どれもおいしかったし、おいしそう。女性が酒からオーダーまで一人でぶん回しててすごいかっこいい。
Ganbara
22:00の閉店直前21:30頃に到着したが満席。「外でいいよ」といって向かいの建物の窓枠をテーブル代わりにしてピンチョスをつまむ。また楽しい キノコ炒めと塩だらのコロッケを頼んだ。コロッケおいしかったなぁ。
話は変わるけどトイレはどこの店も比較的きれいだった。
このあともう1軒、コンステシオン広場に面したカフェのような店に寄って帰ってきた(写真はなし、寝てた笑)。
約1時間半で6軒を巡ったことになる。平均滞在時間は15分程ということになる ちょうどキリスト教のカーニバルの時期だったので、バルが密集している旧市街のパレードを見られて貴重だった。
サン=セバスティアンで、バルが密集している旧市街は、ほんとうに小さなエリアだったことにもっとも驚かされた。おそらく300~400m四方くらいなのではないか。
もともとサン=セバスティアンは、フランスの富裕層のバカンス先として、美食をからめてブランディングしたものだというが、この小さなエリアが、フランスだけでなく、世界に知れ渡る美食の街になったというのだから、世の中、どのように情報が知れ渡るかというのは、わからない。
「これくらいの小さなエリアに飲食店が密集しているのは、世界で見たら珍しくない。たとえば新橋なんて、サン=セバスティアンに似ていると思う」と、哲郎さんはいいう。確かにその通りだ。日本の昭和感のある横丁は、サン=セバスティアンの雰囲気によく似ている。そのなかで、なぜサン=セバスティアンだけが世界に知れわたったのか。
さらに哲郎さんは、こんなことも言っていた。
「昔から地元の人が、こっそり楽しんでいた文化が発見されてしまった、それだけだと思う」
こっそり楽しんでいたこと――。なるほど、実際に行ってみるとそこは理解できた気がする。というのも、店は、若い人恋人同士から年寄りのグループまで、多少は店によって客層は異なるが、あの小さいエリアに、いろいろな人が集まって、好きなものを食べて、好きな話をしている。その圧倒的な食への関心が、サン=セバスティアンを根本的に支えているように思う。
新橋も、確かにサン=セバスティアンに似ていると思うが、食への関心というより、サラリーマンの鬱屈とした愚痴の掃きだめであって、美食とはなかなか言いにくい。しかし、この愚痴の掃きだめ感は、新橋の立派に根付いた文化であり、これ自体を活かすことは、新橋を世界的なエンタメの街にする可能性を秘めているともいえるだろう。
今回の旅の一つの目的に、日本の地方都市が「サン=セバスティアン化」を掲げて地方創生事業を展開しているなかで、サン=セバスティアン化がひとつの手段として理解したうえで、本質的に何がサン=セバスティアンの特異性なのかを、自分のなかで腹落ちさせることだった。
「地元の人が、こっそり楽しんでいた文化を発見する」ということなのだと、自分自身では理解できたのは良かったことだった。
(2023年2月17日)
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