学級委員と不登校生徒による文通
断捨離していたら、中学の時に不登校だった子からの手紙が何十枚も出てきた。
私は当時学級委員で、休みの子宛にその日の授業内容や明日の時間割を書く連絡用紙を毎日書いていた。そこにはメッセージ欄があった。他の不登校の子へのメッセージは一方的なものだったけれど、一人は手紙を書いて私に返事をくれた。それを担任の先生からや、ごくたまにその子から直接受け取っていた。思いのほか量があった。
Yちゃん(と記すことにする)は、学校に行きたいと思っているけれど毎日来校することは難しい子だった。Yちゃんは、絵や、特に字のデザインが上手だった。私の名前でロゴデザインをしたイラストを描いてくれたこともあった。
手紙を読み返すと、当時の私なんかよりもよっぽど自己理解ができており、将来のことも考えていると分かった。ネットで知り合った、信頼していて大切な人もいたようだ。将来が決まらない私の相談へも、的確で思いやりのある返事をしていた。私は学級委員をしており成績も良かったが、そんな外側だけ取り繕って分かりやすい評価にしがみついている自分よりも、彼女の方が人間性が高く尊敬できる人だと痛感した。
文通は中学3年から始めたため、短期間しかやり取りしていない。連絡先も知らず卒業後のことは分からないが、Yちゃんのことをもっと大切にしておけばよかったと後悔した。
私にとってYちゃんは、当時学校に何人もいる友達の内の1人で、連絡用紙は学級委員としての仕事の一貫で毎日書いていた節があった。やり取りは楽しんでいたが、Yちゃんのことを本当の意味で考え、寄り添ってあげられていなかったと思う。彼女にとっての私は、毎日学校や自分のことを話し合える、ネット以外では唯一の人だったのかもしれない(これはかなり過剰な自意識かもしれないが)。
私との話がとても楽しく、感謝している旨が手紙から伝わってきた。
中学校の友達で今も友達の人なんて片手で数えられるくらいだから、当時連んでいた上辺の友達より、彼女をもっと大切にすればよかった。
悔しいし、会ってみたいけれど、今楽しく元気に過ごしてくれているならこれ以上のことはない。
私が書いていたメッセージが、一瞬でも彼女の心を癒せていたなら嬉しい。
中学時代、Yちゃん以外で、今思えば私にSOSのサインを出していたと感じる人が数人いる。それに気づけず適切な声掛けをできなかった自分の幼稚さには反吐がでる。これからは、そのような過去を二度と繰り返さないようにしたい。
彼女らが、健やかに笑って日々を送っていることを願う。
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