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感情労働 emotional labor

一応わたくし看護師をやっているのだが、
思うことが多くある。
自分に向いてるのか向いてないのか、そんなことも含めて、色々とダークサイドが多いこの業界。閉鎖的だななんて。それらについて考えてみたので書きます。相変わらず物好きだけど、この感情を書き残しておくべき気がしたから。

要は、仕事の愚痴を書きます!!

そもそもなんで看護師になったかという点から詰めるべきだと思うのだが、それは後日綴るとして。

なってしまったからには仕方ない。


表題の件について、
看護師は実に「感情労働」だと思う。
Googleで感情労働と検索して、例として最初に出てくるのも看護師だし、なんなら研修で教壇に立ってた偉い看護師もそう言ってたから間違いない。

感情が揺さぶられるとき(ポジティブもネガティブも含めて)
・患者の病状告知に関連したメンタルケア
・予後の短い患者の療養先や過ごし方についてカンファするとき
・患者が経済的な理由で治療を絶たなくてはならないとき
・退院支援の過程で患者-家族の関係に振り回されたとき
・患者の気分の落ち込みから奮い立たせるとき
・しんどさに共感するとき
・未告知の病気を知らないふりして接するとき
・笑顔で退院見送りながらきっとすぐ再発するだろななんて嫌な予感が過ぎってしまったとき
・意味不明な病院のルールを破っていたら注意しなきゃいけないとき

挙げればいくらでもある。
ポジティブなことなんてほとんどなかった。
だいたいはマイナスな感情をプラスに変えるために自分の気持ち抑えつける。もしくは、プラスな感情の患者に対して(未告知の)マイナスな感情を抑えてプラスにシフトする。

特に精神が削られるのは予後不良の患者の治療方針のこと・退院支援のことかと思う。
自己決定権が定着してきたのはよろしいが、
その分決定する本人はそれなりに感情を揺さぶられるし、きつい決断をくださなければならない。そして自己決定に際して、看護師サイドとして何がつらいかといったら、その過程でいろんな感情を経ていくこと。感情に振り回されるのは人間だから仕方ないが。キューブラー・ロスは受容の5段階を提唱したが、まさにその通り。看護師はそれぞれの感情に振り回され、気持ちを抑えて、いい方向に落とし所をつけるオリエンテーターみたいな役かもしれない。
ちなみに5つの段階とはこれ
否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容

もちろんすべての感情をそばで見ることは少ないが、それなりに現実と乖離する患者の感情に私も心がついていかない。
医療者からみた現実と患者の精神的な現実に大きな溝があって、私はその底知れない溝へ迷宮入りするのだ。奈落の底へ落ちていく感覚。しかもそういうケースに限って患者が人間的にいい人だったり、自分の歳もしくは親の歳に近くて、なんとなく自分と重ねてしまったりする。それが良くない。


やや話は変わるが、看護師って宗教じみてて気持ち悪い。そもそもナイチンゲール云々がキリスト関連なのかなんなのか、その辺の癒着がありそうだからルーツ的に理由はわかるが。
ただ、我々が無信仰なのをいいことにここぞとばかり無償の献身性みたいなものを叩き込まれては困る。
看護師やったことある人ならわかるかもしれないが、学校でも職場でも「看護観」とやらを無駄に考えさせられる。大して経験もしてないうちから何が看護観だ。そんなもん長年働いてやっと確立するもんだろ。だいたい、医師が医者観とか薬剤師が薬観とかリハ師がリハ観とかやるか?
同じようなことをXで見て♡ボタンを連打した記憶がある。

看護師の大半が手に職という現実的な気持ちでやってるのに、そんな奴らに看護観なんて求めて何になるのかわからない。人を殺さないように、倫理的に外れたことをしないように、という意味だったら他の医療職もやればいいのに。やってるのかもだけど看護師だけこんなに濃密にさせられるのは何故なのやら。
このことが感情労働とどう関係するかというと、
上っ面だけのペラペラ看護観しかない若いナースが、長年のご勤労で確固たる看護観を醸成してきたベテランに、理解不能な価値観でブン殴られる。まだ私はその域に達していないと思いつつ、そうですねと疑問や私的感情を抑えて共感。特に上記の治療方針・退院支援に際してはもう、お局たちによる看護観の見せつけ合いみたいな雰囲気さえある。
私にとってはこれも立派な感情労働だと思った。


他にも
患者の感情にシフトすることに必死になって自分の感情が行方不明になった状態を何年も何十年も続けてるから、きっとお局級看護師は平気で家庭を捨てて仕事しかしないとか若手独身のシフトを平気でコロコロ変えるとかするんだと思う。つまり人間の心をなくしてしまう。思いやる心を忘れてしまう。


看護師だって人間なのに。


人間ってことを忘れて、
寄り添う看護だか、手当ての心だか、なんだか知らないが、
そんな綺麗事謳った看護観で
患者ファーストし過ぎてるから
自分のココロ忘れちゃうんだよ。

大した看護観じゃないのに看護観看護観言われるから、献身的じゃきゃいけないみたいになってしまう。

だったら、空っぽの看護観を謳うより
「患者の前での立ち振る舞いと自分の本当の感情との乖離にどう対処するか」を考えさせてほしい。先輩方のそれを教えてほしい、参考にさせてほしい。

こんなこと若手のぺーぺーが嘆いても響かないと知っている。そういう閉鎖的な業界だから。
けど、この悪き風習をどこかで止めないと看護師から患者になっちゃう人が減らないと思う。
もちろん倫理的な振る舞いで他者と接するという点で看護観も必要だと思う。けどそんなに求めないでほしい、強要しないでほしい。


いろんな事象が絡まりあって感情労働の嵐と化している、そんな職場、今日この頃。

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