夜中の雨
雨が続いている。
私は子供の頃、雨降りが好きだった。
激しい雨であればなお好きだったのだが、雨降りは嫌いな生き物も引き連れてくる。
世の中、プラスとマイナスでできているとつくづく思わされた。
雨の日になると、蛙が活発になる。
道端に大きなミミズが這う。
花壇に大きなナメクジがデレンとだらしなく存在する。
私はそれら全てが苦手なのだ。
ミミズやナメクジなら這っているだけなので、その場から素早く逃げられる。だが、蛙は予測不能に跳んでくるので、逃げるには難易度が高くなるのだ。
私は蛙が特に苦手だ。
気絶レベルだと言っても言い過ぎではない。
理科の教科書の表紙に蛙の写真が載っているのを発見すると、もう触りたくなくなり、泣きながら母に助けを求めた。
ランドセルに理科の教科書を入れることも拒むので、母は仕方がなく蛙の部分が見えなくなるようシールを貼ってくれた。
「これは写真なの。紙ね。怖くないでしょ?!」
母は呆れたように言っていた。
呆れられても困る。私にとっては三次元の蛙も二次元の蛙も恐怖なのだから。
蛙は跳び跳ねる。
雨の日はアホかというほどにテンション高く飛びはね、車に敷かれている。
沢山のつぶれた蛙の死骸がアスファルトにくっついて、生臭い臭いを放つ。
仲間の大惨事だというのに、生き残った蛙たちはピョンピョン楽しそうに跳ねることを止めないのだ。
まるで仲間の不幸を喜ぶかのように雨祭を楽しんでいる。
アホとしか思えない。
この世の中で一番醜いと思う格好をした気持ち悪いブヨブヨが、ゲコゲコと不快な鳴き声をあげてピョンピョン跳び跳ねるのだ。
さらに、奴らは私が歩いているところへとわざわざ跳ねてやって来る。私は呼んでもいないのに、何度も何度もだ。勘弁してほしい。私は蛙が嫌いなのだ。嫌いという表現では甘すぎる。嫌いの最上級、『 駆逐してやる!この世から、一匹残らず!』という意味の単語があれば、そちらを使いたいと思うほどだ。
大人になるにつれ、私は雨が苦手になった。
嫌いなものに遭遇する確率が上がる事を知ったからだ。
雨降りの日、駐車場から車を下りて家へと二足歩行しなければならない時、毎回警戒しなければならない。
大抵私は余程のどしゃ降りでない限り、傘を差さずに全速力で走るのだ。
外にいるときの雨は好きではない。
でも、夜中に降る雨は好きだ。
雨音が耳に心地よい。
別の次元に行ったかのように、癒される。
心が穏やかになり、深い眠りに落ちられる。
ここは安全なベッドの中、奴らはいない。
私だけの癒しの空間だ。
家の中での雨降りなら、大歓迎だ。