私は、多分、明日、飽きる

書きたい自分に気づいてしまったので、
私は私にこの場を用意してあげようと思う。

手の中にあるのは、
自分自身の感受性と
日常がこなせる程度の語彙だけ。
ユーモアも、誰かの視点もその中にはない。

死ぬまで続く、今日しかない今日を記したい。





2023/06/25
ここ数年、SNSとうまく付き合えず、
紙のノートに浮かんだことを殴り書くことを続けてきた。
誰からの「いいね」も付かないその紙の上で、
私は私の感受性の芯を取り戻すことができた気がする。

ここ最近、「書きたい」という気持ちが湧いてくるようになった。
ノートに書いているのに何故だろうかと
自分自身の中を掘ってみると、
書いたものを外に出したいという気持ちがそこにはあった。

その気持ちに気付いてから、もう何週間が経っただろう。
30歳から10年かけて少しずつ手放してきた
「私なんかが・・・」と
「センスがないと思われたらどうしよう」の呪いが、
いまだに根深く己の中に残っていることに気付いたのは、つい、今さっき。

40歳、いい加減、ダサさ全開にしていいだろう。
時代に合ったユーモアもセンスも持っていないのだ。

理不尽を味わい尽くして死にたいと思う。
そのために、地べたを這いずって生きていたい。

それならば、とっ散らかしながら、
また始めてみよう。
明日、飽きる時まで。

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