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10年前だろうと20年前だろうと、いいなと思った写真をずっと投稿し続けたい

病み上がりで1週間ぶりに外に出たら、心地よい気温と金木犀の香りが満ちていて「秋だあっっっっ!」と心おどっている。やっと過ごしやすい季節がやってきた。

秋の季節になると必ずSNSに投稿する写真がある。この金木犀の写真だ。もう10年くらい前に、始めた買ったフィルム一眼レフカメラCanonAE-1で撮影した写真だ。

毎年毎年、外で見かけた金木犀をデジタルやフィルムカメラiPhoneなどで撮影するけれど、この写真以上に「いいな」と思う金木犀の写真が撮れないので、なんとなく毎年SNSに上げている。

「写真はいつから始めたの?」と聞かれると、カメラを持ち始めたのは小学生くらい。人生の半分以上はカメラを持つ人生になっている。人に見てもらおうと、撮り始めたのは15、6年前くらいだ。

これだけ長く写真を撮っていると、「この写真以上に良いと思うものは撮れないな」と感じてしまう写真がいくつかある。モチベーションとかそういう話ではなく、もしあの瞬間に戻って同じようにシャッターを切っても、あのときの写真より満足のいく写真は撮れないと思うことがある。

写真は記憶であり記録。勝ち負けではないので、越えられなくて良い。そのとき撮った瞬間が、自分の人生にとって最高の一瞬だったということだと願いたい。

SNSに投稿する写真は季節ごとに毎年毎年あたらしい写真を投稿しなくちゃいけないルールはない。だけど、みんなが常に新しい写真を撮影して、タイムラインに新しい写真が日々変わるがわるアップされていくのを見ていると少し心が疲れるときがある。撮ること自体だったり、新しく撮影した写真をすぐにフォロワーに見てもらいたいみたいな感じが、ひねくれ者の私は消費されているようにしか感じなく、写真自体を純粋に素敵だなと思えないことがある。(特定の人を咎めているわけではないです。なんかもやっとそういうイメージです)

自分は承認欲求は少ない方だ。撮影して「いい写真が撮れたな」と思っても、SNSに速攻でアップしないし、自分の気持ちとリンクするタイミングで投稿している。正しい悪いのことだとは思っていないし、デメリットの方が多いのだろうなとは感じている。

じゃあ、なんのためにSNSやってるの?という話になるけれど、大多数の人に見てもらいたいとか、「いいね」をもらいたいというよりは、写真を通して自分と同じ気持ちでいる人が一人でもいれば嬉しいなというくらいの気持ちでやっている。

新しく撮影した写真じゃなくてもよくて、
「あのとき感じた気持ちと、その瞬間に撮影した風景が、だれかの心に響けば良いな」が一番なので、10年前だろうと20年前だろうと、いいなと思った写真はずっと投稿し続けるのだと思う。むしろ、そういう写真がたくさんたくさん残っていって、いつか写真集のようなもので纏めたいなと思っている。それは、すぐに作ろうと思ってできるものでもないし、おばあちゃんになってから、ゆっくり写真を見返しながら作りたい。

新しく撮影するモチベーションがない、というわけではないけど、今まで撮った写真を大切にしつつ、新しい景色を写真で残して、自分のお気に入りの一枚として残せるように、写真を撮り続けたいなと思う。この頃です。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!