見出し画像

はははの話/誰もわるくないからこそ


 わたし(えりぱんなつこ)が、胃痛から仕事を辞めて、田舎に住む祖母と母と暮らしていたときの話を書いています。



※長文になってしまいました。
お時間と心の余裕があるときにでも、読んでもらえると嬉しいです。


↓はじめ




 わたしが一人暮らしをして働いているとき、母からのラインで気がかりなものがあった。

・祖母が騒いで寝てくれなかった。

・祖母が言うことを聞いてくれない。

・イライラしてしまった。

・ニュースで介護疲れから叩いたって見るけど、少し気持ちがわかる


心がざわつく言葉が何度か送られてきては、どうしたらいいものかと考えあぐねた。


祖母は認知症を患っていたから。


毎日顔を合わせ、他愛もない話をするはずの家族が、「普通の会話」ができず、介護を必要としている暮らし。一対一、家の中で相対するのは相当息が詰まるだろう。
母の精神衛生がとても心配になったが、わたしはそのときまだ心も体も元気で、仕事を辞めるという選択肢が頭になかった。


母からのSOSに対して宥める気持ちで
「そうだよねぇ」
「それはイライラするよ」
「昼寝したほうがいいんじゃない」
「デイサービス頼んじゃえば?」
などと返答していたと思う。



母からすれば、そんなこと言ったっておばあちゃんが気になって昼寝できないよ。簡単に気分転換なんてできないよ。デイサービスはタダじゃないんだから、とモヤモヤしていたことだろう。



 わたしは胃が痛くなって会社を辞め、祖父母の家へ引っ越すことにしたとき、見えない何かに「こっちにこーい」って言われてるのかも、なんて思うこともあった。なんかスピリチュアルっぽいけれど、なるべくしてこうなったのかなって。




母と祖母との生活が始まると、終わりの見えない介護の途方さが垣間見えた。
母は祖母のために、ごはんをやわらかく作る。飲み物にとろみをつける。毎回トイレに連れて行く。風呂場に暖房を入れ、脱衣所に置いてある簡易ストーブをつけ、床にはお湯をかけておき、体を洗ってあげる、などなど。祖母のことを気遣って、気を張る生活が毎日続いていく。


微力なわたしが手伝えることと言ったら、祖母の隣に座って話したり見守っていたりすること(これは、わたしがわたしの存在意義として勝手にしていたこと)、トイレに連れて行く(ついて行く?)こと、飲み物を作って飲ませることくらいだった。



母は寝る前にいつも、祖母の頭を撫でたり額に手を置きながら「夜だから寝ますよ。明日の朝起こしますからね。おやすみなさい」と声を掛け、祖母と同じ部屋に布団を敷いて寝ていた。
わたしは施設の職員さんみたいな言い方だ!って感動して、稀にわたしが声を掛けるときは真似していた。(本物の職員さんがどうなのかは知らないが、声のトーンと話し方が利用者さんに接するときみたいに思えた)


きっかけがあるのかは祖母の頭の中でしか分からないが、祖母は小さい子のように言うことを聞いてくれない日があった。母が何度言っても寝てくれない。歌をうたう。夜にしては大声だ。

ここがマンションだったら、うるせぇ!と隣人が怒鳴りに来るかもしれない。考えるとヒヤッとした。

わたしも何度か祖母の様子を見に行ってみると、介護ベッドと交差するように体を横一文字にして寝転がってしまっている。正しい方向へ寝かせようとすると、手をこわばらせ、ぎゅっとベッドの手すりを握り、身を寄せる。力では敵わないと思ったのか、そういうときは大声を出してくる。



うわああぁぁぁーーー!!



ベッドにきちんと横になってね、と言っているだけなのに、目の前で大声を出されるだけで精神が少しだけ削がれるような気持ちになった。


そんなに悪いことしてる?


大人しく寝てくれよ、と祖母を見ながら念じ、わたしも布団に入るのだが、祖母の歌声が聞こえてくる。ああ、うまく魔法をかけられなかった…と、魔法使い見習いのように残念な気持ちになった。


ふと、介護を知らない、したことがない人にこの声を聞かれたら、虐待してると思われるのかな、なんて思った。


祖母が寝てくれない日は寝不足になって、翌日は母もわたしもグロッキー状態だった。

わたしはオールでカラオケをしていた頃が懐かしくなったし、もう無理ができない体になったことを理解した。大人になると、深夜のバラエティや長電話よりも、睡眠がとても大事になるんだね。


幸い、祖母は次の日は静かに眠ってくれて、わたしたちの体はうまいこともった。もし、連日大騒ぎされて眠れていなかったら、体力気力共にすり減って、すぐにぶちギレてしまう余裕のない精神状態になっていたと思う。




母がひとり介護をしていたとき、電話をした。


母は、祖母をよく散歩に連れて行ってあげていて、そのときのとある日のことを話してくれた。
きっと祖母は不機嫌だったのだ。母が手を握ろうとしたら、イヤだと言わんばかりに手を振りほどかれてしまったそうだ。
母は祖母が転ばないように注視しながら(わたしは見ていないけれど、そうなのだろうと分かる)手は繋がずに歩き始めた。

途中、観光客だろう男性に「ちゃんと手を繋いで見てあげないとダメじゃない」と言われ、その人が祖母の手を握ったらしい。祖母は大人しく手を繋いでいたと、母はやるせない声で言った。




老いた祖母には、目ざとく人を見極めているようなところがあった。いつも面倒を見ている母の言うことを聞かないことはあったのに、医院の先生やヘルパーさんなどには行儀よくしていたのだ。


この人の言うことは聞いたほうがいいのか、歯向かってもいいのか。記憶は薄れてしまっても、自分に近しい人か、頻繁に会わない人かはなんとなく分かっているように見えた。おまけに祖母は客商売をしてきて、より人をもてなし、他人には失礼がないようにという心づもりを徹底してやってきたはずなので、それが意識に刷り込まれているみたいだった。



祖母の手を握って歩いてくれた男性は、みかん1個と飴玉1個を祖母にくれたらしい。
その人から見たら、母はひどい人に見えたかもしれない。

ただ、わたしは真面目な母が頑張っているのを知っていたから、胸が締め付けられた。






もしサポートいただけたら、部屋の中でものすごく喜びます。やったーって声に出します。電車賃かおやつ代にさせていただきます。