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雨宮まみにならなくていい。

書店に行ったら、平台の上に、帯に大きく「追悼」と書かれた『東京を生きる』が並んでいた。
雨宮まみさんが死んで、もう2年半も経ったのか、と思った。

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雨宮まみ、というライターがいた。
AV批評のライター出身で、『女子をこじらせて』や『女の子よ銃を取れ』、『東京を生きる』など多くの著作を出版した。
女の生きづらさを強く抱え、それを素晴らしい文章に昇華させていく人だった。
怖いくらい人生に切実に向き合って、真正面からぶつかって傷ついていくような、時に痛々しささえ感じるような、そんな文章だった。

雨宮まみさんのことを知ったとき、私はたしか二十歳くらいだった。
色んなことに簡単に傷つく、繊細で頑なで自意識過剰の、普通の大学生だった。
そんな私に、雨宮まみさんの文章はよく刺さった。彼女の文章を読むことで、持て余す色々な感情を癒された。
まみさんの言葉は、温かく包むようなものではなくて、自分自身の生々しい傷跡を見せて、一人じゃないんだと教えてくれるものだった。
まみさんの苦痛によって、私をはじめ、多くの人たちが癒されていた。

もともと小説を書いたりはしていたけれど、その頃から私はブログを始め、エッセイのような日記のようなものを書くようになった。その文章は、まみさんの影響を強く受けたものだった。
自分の深いプライベートや痛みを、えぐってさらけ出すような、自分を切り売りする言葉。
当時、まみさんをはじめ、多くの女性ライターがそういう文章を書いていたように思う。
苦しい、つらい、助けてほしいと書きながら、その反面、何かを表現し続けるために、傷を負うことや憂いや痛みを、常にどこかで望んでいた。
そういうやり方でしか文章を書けなくなっていた。

実物の刃物でなかっただけ。
体に傷をつけなかっただけ。
自傷行為と同じだ。

文章に限らず、クリエイターの世界にはずっと「不幸なほうがいいものが作れる」という神話が横たわり続けている。
私は、まさしくその呪いの中にいた。

雨宮まみさんは、決して「不幸じゃなきゃおもしろいものが書けない」なんて言う人じゃなかった。むしろ、そんなくだらない神話と全力で戦おうとする人だった。
それでも、彼女の文章はいつもどこか破滅的で、死を漂わせることで生を引き立てるような、そんな危うさがあった。

身を削って人を救うような文章を書き続け、2016年、唐突に雨宮まみさんは死んでしまった。

何かにまみさんが書いていた。
言葉と添い遂げるつもりで指輪を買ったと。
そのエピソードは私の中に深く刻まれて、それ以来私は指輪を買うたびに、何かを誓わなきゃならない気がしていた。
何かを捨てなきゃ、何かを欲してはいけないような。

書店で「追悼」と書かれた帯の本を見て、久しぶりに雨宮まみさんのことを思い出して、もう彼女の死から二年半も経ったのだ、と気づき、それから何かがほどけるように、「私、雨宮まみにならなくていいんだ」と思った。

暗いものが持つ引力は強いけど、そこに囚われる必要はない。
自分で自分を傷つけて、流れた血で文字を綴るようなやり方はもういい。
書けば書くほど命を削るような、そんなやり方で、言葉を紡がなくたっていいんだ。

欲張りでいい。
幸福でいい。
悲しみや不幸が美しいドラマを生み出しやすいのが事実だとしても。
明るいほうへ向かう力で言葉を紡ぎたい。

さようならまみさん。
あなたの文章のたくさん救われました。
でも、私は指輪に誓わない。
それはただきらきらと綺麗なだけだ。

#エッセイ #雨宮まみ #追悼 #言葉 #東京を生きる

ハッピーになります。