にんじんケーキとキャロットケーキの境界線
子どものころ、何より憧れていたのは、お母さんが家でケーキを焼くことだった。想像するだけでワクワクドキドキが止まらない。家でケーキを焼く。私が当時持っていた児童書の8割には、お母さんやそれに代わる誰かが主人公におやつを作る場面がある。そのような描写がある本ばかりを選んで買っていた。ドーナツだったりケーキだったりプリンだったり、洋菓子に目がない子どもの心をつかんで離さない。
楽しく作って食べる物語とは違い、現実世界では思い通りにいかない。母はそもそも台所に立つこと自体が好きではなく、ひと手間省いてふた手間増やすタイプの料理人で、簡単でおいしいレシピを至上のものとしていた。インターネットがなく、今のようにレシピ本があふれていない昭和の時代、同級生のお母さんや知り合いなどから、日々のおかずやお菓子の作り方を仕入れてくることは一般的だった。そんなときはウキウキしながら料理をしていた。もし、「簡単」か「おいしい」か、どちらか選ばなければならないとしたら、母はおそらく「簡単」を選択していただろう。どこからか聞いてきたきゅうりのチャーハンは、おそらく簡単だったろうが、衝撃的においしくなさすぎて40年経った今でも忘れることができない。
そんな母は、手間がかかる上に難しいお菓子作りが大嫌いで、私が観賞用に買った洋菓子の本を見ることは皆無だった。「本のようには絶対にできない」「私はプロではない」と何度も言っていたので、あえて避けていたのかもしれない。たまに人から聞いてきたバターケーキなどを作ったことはあったが、膨らまないケーキを前に、イライラして終わるのが常だった。そんなときは、「失敗したけど食べてよね!」と言い残し、寝室のドアをバタンと閉め、夕食を作る時間までふて寝していた。起きても不機嫌だったので、子どもはずっとビクビクしている。料理でもうまくいかないときは同じ調子になる。例えば、気合を入れて作った餃子が、焼いてみたら鉄のフライパンからうまく剥がれず、底の一番おいしい部分を全部フライパンに持っていかれたりしたときだ。こんなとき、父は露骨に嫌味を言う。母は無言でますます機嫌が悪くなる。食卓が親の機嫌をうかがう気まずい場になる。怖すぎたので、母が作ったものはきゅうりのチャーハン以外残したことはない。
小学4年のある時、学校から帰宅すると、母がなんとケーキを焼いて待っていた。それは初めて聞く「にんじんケーキ」というものだった。あのクセのあるにんじんがケーキになると初めて知ったのはそのときだが、そんなことはどうでもよかった。私がにんじん嫌いなこともどうでもよかった。とりわけお菓子を作るのが嫌いな母が、ケーキを焼いてくれたことにとても感動した。
今思えば、ろくすっぽ日本語も読めないのに、いつもお菓子の本ばかり見ている幼い娘を不憫に思ったのかもしれない。それか、私の洋菓子熱を無言の圧ととらえて、仕方なく誰かから聞いてきたレシピを試してみたのかもしれない。とにかく、初めて作ったにんじんケーキがうまくできたその日の母は上機嫌だった。にんじんケーキはとてもおいしかった。にんじんはジャガイモのようにほっくりと生地になじみ、苦手だった臭みもなく、心と身体にしみるケーキだった。「すごく簡単だったからまた作るね!」と初めて笑顔で手作りケーキを囲んだ日だった。
このことを学校の日記に書いた。お母さんがケーキを焼いてくれたことがどんなにうれしかったか、それがどんなにおいしかったかを熱っぽく書いた。小4の担任の能登先生は女性で、母と同世代でとても面倒見がよく、私にとっては怒らないお母さんのような存在だった。実際、何度か「お母さん」と呼んだことがある。その小学校では、学年末に学校文集に載せる作文を各自が日記などの作文の中から選ぶのだが、私は迷わず「お母さんのにんじんケーキ」を選んだ。その年、もっともインパクトのある出来事だったからだ。
ある日の放課後、先生に呼ばれていくと、別の作文の方がよいのではないかということだった。先生は私が傷つかないよう慎重に話を進める。先生が選んだのは、球技の授業での敗因を分析した「今日の失敗」という日記だった。先生は提案しているだけで、強制するような感じではないし、実はこのように言われることは、あらかじめわかっていた。「今日の失敗」には、花丸と先生の長いコメントがついていたし、自分が書いた文章の中でも、大人受けがよいタイプのものだと思っていたからだ。最終的に選ぶのは自分だ。悩みに悩んで「今日の失敗」を選択した。文集を読むのは大人だし、そこにうまい文章が載ると母が喜ぶ。結局、にんじんケーキ日記はお蔵入りとなる。
とはいえ、にんじんケーキの喜びを活字に残したい気持ちも大きかった。母がにんじんケーキを作って、弟と3人、おやつの時間に幸せな気持ちで食べたことは、私の中で密かに、母が理想のお母さんになった瞬間だった。ただ、心の底にしまってあるその気持ちまで日記に落とし込めたわけではないから、母のにんじんケーキが10歳の少女の中で意味するところは文字にならない。しかし、この輝かしい出来事は、自分の中の折れない柱のひとつとなる。
それから数十年がたち、2人の子どもの親となり、にんじんケーキの存在はすっかり忘れていた。あるとき小学生の娘が「キャロットケーキが食べたい」という。保育園のおやつによく出てきて、大好物だったそう。キャロットケーキなら簡単だし、ここはレシピを構築して、自分だけの特別なキャロットケーキを作ろうと試作した。ナツメグをおろし、シナモンを効かせる。スパイスの種類を増やすと、スペキュラースやホットクロスバンズのような風味になってしまうので2種類にとどめる。ナッツは刻んだアーモンドとピスタチオ。常備してあるラムレーズンも加える。
オーブンから出てきた試作品はすでに完成形だった。焼きっぱなしもよいが、クリームも作ることにした。定番のクリームチーズは使わず、カッテージチーズを作って砂糖と生クリームを混ぜる。クリームをはさんで一晩おくと、水分が生地にしみこみ、全体がしっとりと一体化し、それはあまりにもおいしい。無口で不機嫌な中学生の息子まで、思わず「美味しい」と言ってしまうほどだ。焼きっぱなしのにんじんケーキがキャロットケーキに変貌した瞬間だった。
ただ、本来、素朴であるはずのケーキに手を加えすぎているような気がして、少し心がざわつく。あふれる思い出をリセットしたかのように感じてしまうのだ。
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