真面目で不器用なわたしへ。
予定まであまり余裕はないけど、今日は思考がゆったりでコーヒーを飲んで旅の日記を読んでいた。
旅行中、毎日記録をつけたかったけど
結局バタバタしてて書けてない日が大半。
だけど中盤から慣れてきて、疲れも出て
少しメンタルが落ち込んだ日もあり。
そこからまた書くことを意識していた。
汚い字でばばばっと書いた日記だけど、読み返すとなんだか自分へのラブレターのような気がした。
ポエマーのようにただ思ったこと、感じたことをつらつらとただ書くだけのnote。
旅を通して思うこと、自分に伝えたいこと。
当たり前の日常を過ごすことが
ちっとも悪いわけじゃないのに、
変化がないと自分を認めてあげれない。
変化がない=何もできてない=悪
という解釈になっていた。
そしてその変化も周囲まで気づいちゃうような
奇跡的なものじゃないとっていう我儘つき。
私たちは何もないようで
毎日価値観をアップデートしている。
人は簡単には変わらないというかもしれないけど
毎日コツコツ変化し続けている。
でも見えないものの変化は
認めてあげられない自分がいることに気づいた。
というか気づいてるけど、責め癖がついてると言った方がいいのかな。
自分が思っている以上に、完璧主義で
どうにもできないことですら
コントロールしている自分。
なんとかせねばと執着している自分。
まだまだ足りないことばかりに目を向けていて、
すでに持っているもの、自分の価値を
自分でちっともわかっていない。
そして周囲と比べて、こんなんじゃだめだなぁと
自分を責める。
「あなたってこうだよね」と言われると
そうでないとダメな気がして
でも器用だから演じたりもして
他人に作られた自分で生きて、うまくいかないと落ち込んでいる。
とある方のnoteで
「自分を否定したりすることは、自分に対するDVと同じだ」と仰っていてハッとした。
私を傷つけてたのは、環境や周囲のせいでなく
私自身だったんだと。
そしてあれこれ考えていると
結局は「愛すること」が全てにつながってくると思って。
自分を愛してるから、たとえ否定されてもそれが学びだと思えるし
自分を愛してるから、決断を迫られても自分にとってのベストな選択ができ、
自分を愛してるから、どんな1日でも「たのしかった」で終われる。
自分を愛してるから、褒められた時素直に「ありがとう」と思える。
自分を愛してるから、他人を愛せる。
他人を愛せたら、周囲や環境が変わる。
愛するまで理解が深まらなくても、
自己受容できれば変わりそうだな。
旅の最中、こんな感じで物思いにふけていた時
私はもう大丈夫、大丈夫なんだよ。と
ふと心の中で想いが湧き上がってきた。
その言葉が、なんだか私の本当の心の声のような気がして涙が出た。
そんな時に限って、プレイリストから
宇多田のバラードが流れて
余計に感情をえぐられた(笑)。
うまくいかなくてもいいし、
楽しめなくてもいい、
思いっきりだらけていいし、
つらかったらつらいって言っていいし、
情けなくてもいい、
お金のことが不安でもいいし、
やりたいことが見つからなくてもいい、
さみしくってもいい、
適当でいい、
どんくさくてもいい、
人の期待に応えなくていいし、
誰かに好かれる私でなくていい、
急がなくていいんだよ
なんだっていいんだよ
今日1日たのしかったらいいんだよ
どんな自分でも大丈夫なんだよ
まだまだ自分の本心が見えなくて
もやもやに包まれているようでスッキリしないけど、
この旅で気づけたことは、とてもシンプルなようで奥深い
「愛を知る」ことだった。
ただ行きたいところを巡って、やりたいように過ごした旅の中に
色々な気づきがあるとは思わなかった。
まだまだマイペースな人生の休暇をいただくことになりそうだけど
一見のんびりそうに見えるこの休暇は
私にとってはなんか試練のような気がする。
振り返ると1年前にはこんなこと
全く考えず、自分を責めていたな。
何もしていないようで、私もちゃんと
変化し続けていた。
そして自分の心がソワソワしたり、
ずーんとなったり、
うまく笑えない時は
足して気持ちをごまかすんじゃなくて、
動きを止めて心を休めること。
そしてそんな時自然に触れるのは
究極の心の癒しだということも知れた。
またパワーアップして動き出せるように。
せっかちで落ち着きのない私に
「ゆるめる」ことを言い聞かせて。
ぼちぼちやっていこう。