小さな世界の朝ごはん
朝起き抜けに、夢と今日の間で朝ごはんの気配を感じるのが大好きでした。
寝室がキッチンの上あたりに位置していて、なんとなく母がキッチンで作業をしている感じがするのです。
包丁のトントントンという軽やかな音や、蛇口から水が流れ出るジャーっという音を聞きながら、少しずつ意識が今日に傾いていく。
1日のはじめにいつも考えるのは、苦手なクラスメイトの顔ではなく「朝ごはん、なんだろ」でした。
そんな風に朝を迎えて、階段を降りながら鼻をクンクンして、リビングに入って朝ごはんの答え合わせをする。
たまに登場するグラタンパンだと、「よっしゃ!」ガッツポーズ。
朝ごはんを食べながら、ニュースやめざまし占いを見て、なんとなく今日の日課を思い出してみたりして、なんとなく母に支度を急かされて、なんとなく登校をする。
いろんな理由で学校に行くのはすごく憂鬱だったはずだけど、ふわふわでトロトロのチーズオムレツに包まれるように、美味しい朝ごはんに守ってもらうことで学校に向かえました。
当時の私にとって、教室は紛れもなく小さな戦場で。
逃げ場もなければ、敵がいつ襲ってくるかもわからない、とにかく戦いまくるしかないような場所でした。
ゆえに、1日の終わりには「あぁ〜眠ってしまえばまた明日が来てしまう…」などと今とさほど変わりのないことを考えては、いつの間にか眠ってしまうというのを繰り返す日々。
ただまた朝起きれば、あの優しくて温かい気配がするのです。
それでまたなんとなく、私は起きて、小さな戦場に向かう。
確実に私は、朝ごはんに生かされていました。
美味しい朝ごはん。
猫にご飯を催促される。
植物を日のあたるベランダに出す。
あの服を着る。
いつもと少しだけ違うメイクをする。
明日起きる理由は、なんだって良いのだと思います。
小さな世界を日で照らし、あの時の私のように「大丈夫今日もここに美味しい朝ごはんがある」みたいに思える何かがあれば、人はなんとなく生きてしまう。
辛い時、なんとなく、くらい脱力して生きられれば、多分なんとなく大丈夫。