辞めることに理由付けする文化
こんにちは、えりんぎです。
2020年も始まりましたね、新春らしい投稿、、、と考えましたがいつものかみじえりこらしい投稿から初めていきたいと思います!
最近、会話の中で
「日本人は何か辞めることに関して辞めて次何するかはそんなに興味がないのに対して辞める理由の追求は激しいのではないのか」
と感じるようになりました。
最近初めて会う人だったり、就活の面接で、日本の大学を辞めてマレーシアの大学に行ったというと
なぜ大学を辞めたのか
(辞める場所の環境が合わなくて辞めたと仮定されて)大学つまらなかったの?
(私の元々行っていた大学は知っている人が多い大学だったので)もったいない!辞めるの!なんで辞めちゃったの!
と言われることが多いです。私はこの3パターンを自分なりに解釈してみました。
その1:辞めることに慣れていない
その2:辞める=悪いイメージを払拭できていない
その3:自分の価値観押し付けているのを気づいていない
その1:辞めることに慣れていない
終身雇用制度があるように「辞める想定をしない制度」が日本には存在しています。
加えて社会には辞めることが想定されていないことがマレーシアに比べると少ないのかなと感じます。
辞めてからのオプションが少ないが故に辞めようとする人も少ない。
辞めることになれる環境がないが故に何かを辞める人に対してギャップを感じるのかなと思います。
その2:辞める=悪いイメージを払拭できていない
日本の文化として「辞めることを良し」としない文化があると思います。
ふと、マレーシアを思い出してみたんです。
マレーシアで同じ話をするとします
『日本の大学に行ってたけど辞めてマレーシアに来たんだ!マレーシア最高だもの!』
っていうと辞めた理由って聞かれたことないんです。
逆に
マレーシアで勉強するって良いチョイスだよ!良い選択だ!
って言ってくれる人が多くて
辞める理由よりも辞めて次何するかを重要視している人たちだなって感じました。
逆に日本は何かを辞めること「前の場所で悪いことが起きたからそれを払拭しようとする行為」と捉える場合が多いのかなと(私の経験上での話ですが)
プラスの意味での「辞める」という行動に慣れていないのかもしれません。
その3:自分の価値観押し付けているのを気づいていない
「辞める」=いけないこと、もったいないこと
という風に捉えている人も中にはいるのはないかなと思うようになりました。
というのも私がこの「大学を辞めた」話をするとそういう場面に何度も立ち会って来たからです。
私の元々通っていた大学は世間に名前の通った学校です。となると大多数の反応は
「えええ!!〇〇大学通っていたのにマレーシアにしたの!!もったいない!!」
というもの。
しかしこの発言からも彼らの価値観の押し付けを垣間見ることができます。
元の大学の価値>マレーシア
しかし、私は自分の価値観で元の大学よりもマレーシアに価値を見出しました。かみじえりこの価値天秤にかけたところによるものです。
辞めることに慣れていない人はもしかしたら自分の価値観、社会の『当たり前』と共に生きていることで、辞めるという社会の枠から、彼らの当たり前からはみ出してしまうと自分の価値観を押し付けてしまうのかなと感じました。
最後に
最後に野本響子さんが書いた「日本人は辞める練習が足りていない」という本。本当にその通りであって、この辞める練習が足りていないからこそ、辞めてしまう人は「変」というか「変わり者」レッテルを貼られてしまうのかなと感じました。
日本人は辞める練習が足りていない、この本をもう一回読みたくなりました。