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英語ができてもマインドが日本人
『グローバル社会で羽ばたける人材に』
そういうキャッチフレーズをよく耳にします。
日本人全員がそうなった方がいいかどうかは置いておいて、自分もそうなりたい、子どもをそう育てたい、と思う人は少なくはないでしょう。
ですが、言語だけができても慣習や文化を知っておくことも大切です。
初対面の時の挨拶で日本風のお辞儀はしない、「つまらないものですが」と言ってプレゼントをあげない(気に入るといいんですが、などと言う)、褒められても、謙遜しすぎず「ありがとう」と答える、など。
上記のようなことは、英語を学んでいる人なら、一度は耳にしたことがあるかもしれません。
では、「マインド」はどうでしょう。
英語という言語も、文化の違いを理解するのも、「知識」ですが、考え方や視点という「マインド」も自然に日本式から脱していくものでしょうか。
例えば、ふとした瞬間に人を「決まった形」に当てはめていないかということです。
日本式のマインドが良いか悪いかはさておき、私も含め、日本で育ってきた人の場合、多かれ少なかれ「年齢」や「性別」などで区別することが当たり前の環境に囲まれていました。
なのでそれに影響された考え方や視点から抜けきれなくなることがあります。
「年齢」「性別」「外見」に関することは特にありがちです。
日本育ちの場合「あの人、40歳なのにビキニ着てるんだよ!」とか「男子なのにピンクが好きなんだって」とか「太ってるのにミニスカート履いてる」というような人も少なくはありません。
今の世代の人だと、かなり少ないかもしれませんが。
欧米に住まわれたことがある方は、お分かりだと思いますが、年齢も体型も関係ない!という格好の人がほとんどですので、「こうだからこうあるべき」という見た目での定型枠がないんですよね。
我が家は日本人家族なんですが、先日私自身も子どもについ言ってしまい訂正したことがありました。
子どもが、「(仲良しの女の子)Mがね、”早く中学行きたいー!”っていうんだよ。”ケンカとかしてみたいから!”だって!」と。
Mちゃんは、髪も片方刈り上げてるようなファッションのちょっと活発系の女の子だったので(とても礼儀正しく賢い子です)私は大笑いしたんですが、その発言を聞いた後。
「面白いねー。なかなかいないよねー普通。男の子なら、”ケンカとかしてみたい!”っていうのもあるかも…でも、女の子だしねー」
と言っていました。
子どもは無反応だったので、どう思ったかわかりませんが、数秒後にふと自分で気がつき、
「いや、女の子でもそう思う子いるよね。男の子だからとか関係ないよね。今なんて特にね」と。
心の中では、「しまったー!」でした。
ちなみに、子どもはすでに中学校に入っているのですが、Mちゃんは希望だったケンカは全くしておらず(笑)、元からですが成績も優秀で美人さんなので先輩男子からモテまくってるらしいです。
「女の子なのに筋肉すごいね」とか「50代なのにクラブに行って踊ってるらしいよ(恥ずかしいね、の意味)」とか「結婚してママになったら目立つ格好はみっともない」とか。
「筋肉すごいね」だけでいいのに、「女の子」と言う冠をつける。
「50代なのにクラブ行くなんてかっこいいね!趣味があっていいね!」ならGood!
「ママになっても目立つ格好でおしゃれでいいね」
それでいいんじゃない?と思うんです。
もちろん、服装などに関しては時を場所を考慮してということはありますが。
でも日本はそういうことを気にする環境にあるので、仕方がないです。
うちの親もそうです。日本にいる時は私に「もっとちゃんとした服で外出たら?」とか言います。近所や学校に行くだけなのに。(ちゃんとした服って一体…。普通のジーンズとシャツとかなのに)
時々、英語ペラペラ、海外長い、という人がそのようなことを言うのを聞いたりすると、私は「あれ?マインドは?」と思ってしまのです。
英語がすらすら出てくるようでも、ふとしたときの発言がマインドとギャップがあるものにならないように、と自分への戒めも兼ねてちょっと綴ってみました。
お読みいただきありがとうございます。