流れる時間を噛みしめて
たった一人しかいないガランとしたオフィスを見渡して思う、ゆっくりとした時間が流れている。静かに流れるBGMを聞きながら、コーヒーを片手に流れる時間を噛みしめる。
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「先生、宿題チェックしてー。」
「先生、教科書忘れちゃった。」
「今日学校でね、ドッチボールして、、、」
先生はいつだって大忙しだ。夕方5時から始まるクラスは学校が終わった生徒がお父さんお母さんに連れられてやってくる。宿題チェックから始まって、それから生徒を席に着かせる。教科書を忘れたり、学校で起こった出来事を話し始めたり、授業も時間通りに始められることなんてめったにない。
私は2年前まで大手英会話学校のキッズ主任として働いていた。
会社に着くと掃除をすることろから始める。そして、授業の準備を始める。生徒に配るプリントを用意したり、レッスンの戦略を考えたり。生徒が来るとてんやわんやで、毎日予想もしないことが起こる。もし、何事もなく授業がスムーズに進めばラッキー。
夜の10時に帰宅することにはもうクタクタだ。最寄り駅までバスで約20分もかかるど田舎に勤めていたので、帰りに寄り道できる場所はコンビニかスーパーマーケットくらい。
時間が流れる。朝起きて学校に着いたと思ったら、あっという間に外は真っ暗になっている。時計の時間をがれかが誤って進めているのではないか、と思うくらい一日が早い。
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約2年前に転職して、日本のビジネスの中心と言われている丸の内で働いている。
今、コロナの影響で、まるで止まることを知らない都市がこれから眠りにつき始める準備をするかのように静かになっている。
電車の中に人を押し詰めるために立っている駅員が見当たらない。エレベーターに乗る人は私一人だ。スタバもタリーズも閉まっている。朝の新聞の見出しには「感染拡大」の文字。
コツコツとハイヒールで歩く音が響き渡る。「いつも、こんなにヒールの音が響いてたっけ」。空気が緊張している。今まで経験したこともないような突如として現れたコロナという大敵にみんな怯えている。
でも、だれもいないオフィスで思う。
「こんなのも悪くない」
私たちは、毎日急ぎすぎていたのではないだろうか。
私たちは急ぎすぎていた。何のために?
もっと豊かになるために。もっと人から尊敬されるために。もっと高い目標を達成するために。もっと良い評価を得るために。もっともっと幸せになるために。
でも、この静けさの中でふと立ち止まる。誰もいないオフィスを見て思うことがある。もっともっと、って何かを追いかけ続けるのもいいけど、今のある静けさの中、今の時間を噛みしめて、ゆっくり流れる時間を楽しむことも悪くない。
考えてみると、この長い人生の中、こんな静かに過ごせることなんてめったにない。小学校になると周りから追い立てられるかのように習い事や塾に通い始める。中学生や高校生は毎日部活に大忙しで、受験にも失敗できない。大学生になると就活を始めて、社会人になったら毎日夜遅くまで働いて、アッという間に墓場にいたなんてこともよくある話。
時間が流れる。仕事についたら誰もいない静まったオフィスで今日の始まりを感謝する。ゆっくりと流れるBGMに耳を傾ける。まだ、こんな時間なのかと思いながらコーヒーを飲む。ゆっくりと流れる時間に身を任せる。
ただただ時間を噛みしめる。
これでいいんじゃないか。
これがいいんじゃないかと思う。