供養されました
“わたしはどうしても、他人に頼れないから、ひとりで戦うし、ひとりで戦っている世界中のひとと繋がっていたい。頼れないというか、永遠にだれかを付き添わせるのはわたしのメンタルが持たない。それくらいなら一人で生きていきたい、と思ってしまう。どう頑張っても上がり下がりはあるから、それならそれを感じないくらい離れててほしい。どれくらい辛いかは他人が知ったこっちゃない。わたしも他人の辛さなんぞ知ったこっちゃない。それくらいの構えでいかないと、勝手に分かった気になって、勝手に助けられるような気になって、お節介したくなって、だらけてると「なんでやらないの、わたしはやってあげてるのに」なんて言いたくなるでしょ。”
ん...?気にかけてくれるタイプの人にこの言葉が刺さるのは知ってるよ。弱いものや立場の低いものに人一倍敏感なんだよね。あなたはほんとうにやさしい。そんな繊細なこころをもったら生きてくのは大変だ。いたわってあげたい、助けてあげたいというあなたの優しさや真心は痛いほど伝わっている。ごめんね、悲しくさせていたら。でも、それゆえにこちらとしてはそれに応えられない辛さもあるんだ。その優しさを無碍にしてしまうような、どうしようもなさ。すごくうれしいと同時に申し訳なさでいっぱいになるんだ。わたしは何も返してやれない。それでもいい?うーん、わたしがしんどいんだけどね。わたしみたいな人間によくしてくれてありがとう。
きっとさ、あなたも何もできない自分に無力感を感じてると思うんだ。そう思わせてるのはわたしのせいかもしれない。それは、ごめん。でもね、その無力感の半分くらいはわたしがいなくても感じるものだよ。厳しいって?笑 でもさ、ちゃんと伝わってるから。あなたは無力じゃない。ほんとうに、ありがとう。だから。その半分はさみしさなの。自分が自分のことを見てあげられてないから。あなたもさみしいの。一緒だね。ふふふ、わたし以上に可哀想な顔をするんじゃないよ。大丈夫。わたしも自分のことからやる。だからあなたも。自分の辛さをまずちゃんと自分がわかってあげるといいよ。自分にどれくらい時間とお金、手間暇をかけるかは、自分で決めていい。全くかけなくても、めちゃくちゃかけても。自分の身体とこころだから。そしたら、またそのときに会おう。時期が来たら会える。みんな自分が一番大切で、それでいいと思うんだ。高みも低みもないんだから、本来。テキトーに、気ままに生きる。何回も言ってないと、忘れちゃうでしょう?
どうも〜