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人間は総じてキモい
以下は、自分への戒めである。
お前も俺も、全員キモい。
ほんとうにキモい。知っているだろうか。自分のキモさを。他人のキモさを。なのに必死に隠して、清廉潔白な態度をまとう。コンプレックスを最大限隠した装いをする。ハズレないような流行で最新のものを身につける。いつからそうなったのだろうか。クラスの友達に言われた「男なのにピンクだっせー!」。近所のジジイがテレビを見ながら一言「あんなんバカじゃねえの!」。一風かわった動きをする人間とすれ違えば「見ちゃいけません」。子どもが選んだものに「そんなのみっともないからやめなさい」。高架下でゴミと共に暮らしている人間に出会えば「ああならないように」。我らは理由も説明されずに、ただこれはあれはキモいのだ恥なのだというモヤモヤした感情だけを投げつけられる。そして当の本人は綺麗な顔をして生きている。清潔感なんぞを漂わせて。まるでいつでもこうですよ、と言わんばかりに。キモすぎる。ほんとうに。一方でこの人類という生き物は、あろうことか自分のキモさは直視せずに、親しい人間にそのキモさを押しつけて受け入れてもらえるかどうかで愛を試していたりもする。
全くをもって茶番である。
尚、このキモさを黙らせるのは、基本的にお金である。我らは、このキモさを隠すために富や権力を手に入れようとする。そのためなら何でもする。身を粉にして、文字通り何でも。だがこんなイマジナリーな世界観は永遠には続かない。いつかは破綻し、”それ” は最も哀れな形で顔を出すこととなる。周りの人は「昔はこんな人ではなかった」、「挨拶もしてくれたし真面目そうな人だと思っていた」、「威勢のよかった悪口もすっかり陰を潜めてしまった」などと言うのが関の山だ。あえて強い言い方をすれば、気づかなかった人間も同罪である。気づかないフリをしてでも何か隠したいものがあったのだろう。人類総じて罪人である。わたしはキリスト教信者ではないが。
なんだ?この違和感は?
キモいこととは何なのか?我々はなぜキモさをキモがってしまうのか?本質的には、ただキモいというだけであるのに。得体の知れないもの。何故か拒否感があるもの。見た目の悪いもの。信じがたいもの。ほんとうに、ただキモいというだけである。キモさ自体に人を傷つける要素は何一つとしてない。だかそれを隠すことによって、取り繕うことによって、もしくは結託して陰口を叩くことによって、強奪、騙し、脅迫、裏切り、この世に蔓延る精神病もすべて、なんでも起こりうる。人間は弱い。
それはそうと、一度寝たらその相手を必要としてしまう人とそうではない人間の違いは、自分の中のキモいの順位にそれ以上があるかどうか、そしてそれがどれほど周囲に受け入れられ、他で代替可能と捉えているかにある、と結論付けたことがある。これは何も、夜の話に限ったことではない。ただの比喩表現である。その人間にとって何を最もキモいとしているかは、神のみぞ知る。というのも、周りからしたら全く理解のできないものであることも少なくないからだ。そもそも人によってその感受性の度合いは異なるものである上、当の本人があまりにも忌避しすぎて意識できていない場合もある。だからこそ自分のキモさに嘆いているのならば、おめでとう。上手く賢く使うこと。自分にとっての毒に留めておくな。全身にまわして流して無効化して、挙げ句の果てに他人に飲ませて薬にしてしまえばいい。悲劇を悲劇のまま終わらせるな。その先に行け。
とりあえず、人類は総じてキモい。それでもそのまま、自分のキモさを見ろ。キモいと言え。泣き叫べ。枯れるまで。大丈夫、みんなどこかしらキモい。きっとそのキモさなんて、どんぐりの背比べだ。ならばどうしようもないそのキモさを、お前が世界をもって証明しろ。それが自分と他人を傷つけない一番の薬になるから。それしかお前に世界も他人も救えないから。
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