メモ帳みたいな、なにか

脳内のぐちゃぐちゃさ、そのまま発露。たぶん読んでると気持ち悪くなると思う。フックだけ置いておく、また気になったときに戻ってこれるよう。完全自己満。なぜ投稿した?ってレベル。

次に読みたい本、ドグラマグラ。
ひとつめ、精神病患者だって。最近のあの事件(検索で飛んできて欲しくないのでぼかし)の犯人が死刑に決まったけどなんだかね。精神がおかしい人をころした人をころすのは、国、精神おかしくないですか?わたしがおかしい?あの人の手記を全部読んだわたしとしては、理解できる部分が多少なりともあった。というか読まれる価値のある、いたく誠実な文章を書く頭のいい人間だと感じた。少なくともわたしよりは確実に社会問題に一石を投じることのできる理論と経験を積んでいる。誠に惜しい。
これを叩く人に言いたい、正義という剣であんたのその溜まった鬱憤を晴らして気持ちよくなってるの本当に気持ち悪いからやめてくれ。ちゃんと犯人の手記読んでないのに言ってるでしょ?理解しないで自分の意見と異なるから否定して潰す、みたいな思想、人生トータルで特大ブーメラン返ってくるだけだからやめたほうがいいよw と思いながら。
話がそれた。精神病ってブラックホール感。おじさん幻覚見て叫んでて怖かったけど。何にアクセスしてたんだろうな。人間の脳みそ不思議。政府や社会に廃棄された人間の行方。何を考えて生きていたのか。

二つ目は「脳髄論」について。人間の感覚や記憶や意志や判断は、30兆ある細胞の個々に籠もっている。脳髄は、それら細胞の意識や感覚を反射し交感する仲介機能、すなわち単なる”電話交換機”と同じであって、脳髄の反射交感機能が損なわれた時に精神異常が起こる、と言う小説内論文。(らしい、まだ読んでない) めちゃくちゃ面白そう。
人間の身体って宇宙。全ての細胞に意識があって生きている。破壊と再生を繰り返している。全てのつながり。神秘的合一。そういやこの境地に至るにはどんな宗教においても大体二つに分かれている。言葉や論理で詰めていくのとひたすら修行する系。ユダヤ教と仏教の似てるとこ。禅ブームだから禅で言えば臨済宗が前者で曹洞宗が後者かな。とあとちょっと気になる人。井筒俊彦さん。30以上の言語を操ってわたしの知りたいこと全般を専門にしている。東洋思想、老荘思想、コーラン、スーフィズムか、強い。強すぎ。

ん、話が脱線しかしていない。ま、メモ帳だからいっか。ドグラマグラのくだり終わり。今日考えてたことのメモ続き、ルーティンと法律。前者は自分で決めたことを守ることにより効率化や正確性を得る、順番を考えたり取捨選択に費やす余計なエネルギー消費の阻止。後者は社会的規則に従って安全という保障を得る。というかざっくり、自分で決めたものか他人に押し付けられたものか(既存のものを自ら導入したか)。生まれてから今までで刻まれたルールって凡そここ三種類?アインシュタインは『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』と言ったが、18以降はそれらひとつひとつの見直し、点検をすることが自由と幸福への鍵ではないか。この三種類、仮説の時点でしかないが考えてるとぐちゃぐちゃになってきて分ける意味ない気がしてきた。とりあえず、要らない価値観は捨てて、要るなら生み出すか外部のものを採用するなどして増やして、のトライアンドエラーって感じ。

あれだな、歩いてるときあんなに冴えてるのに止まると忘れちゃうからボイス録音したほうがいい。ウォーキングって割とゾーン入れて楽しい。

わたしの全ての原動力って自分の感動や感嘆(美しい...!みたいな感覚値に頼るもの)を好奇心のままつまびらかにして解き明かしたい、あわよくばそれを習得して自らreproduceしたいっていう気持ちなんだけど、恐らくこの感覚は全人類持ってて、生きる気力がない人間はそれを忘れているんだろうなあと思う。というかその機能が錆ちゃって動かないのかな。どっかでバチコーン💥てなるといいなあ。
なんかもう社会疲れるねえ、わたしは宇宙の果てを知りたいんですよ、へへへ。それがベースでありたいんです、社会生活は正直暇つぶし。あの、お金とか地位よりもその領域に行きたい。自分の身体で体験したい。RPGってクリアするのがとりあえずのゴールじゃないですか、その感覚に近い。いろんな人間に会うのはゲーム内で出てくる登場人物みたいな。教えてくれる人たち。だからわたしもだれかのRPGの登場人物になってたらいいなと思うわけで。あくまでもメインは物語を進めることなんですよね。冒険者は常にひとりなんですよ。まあ、ほんとはひとりじゃないんだけど。みんなわたしの中にもういるんですが。
さて、こんな崇高な時間の使い方ができるのはありがたい。寝ようっと。



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