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生まれつきのファンタジー脳は、どうしようもない

小さい頃、テーマパークや映画といった想像の産物を始めとし、学校や郵便局、公共交通機関などのありとあらゆる世界や世界観(小説や映画の中のもの)は、空の上やどこかにあるなんらかの得体の知れない大きな力によって作られているとずっと思っていた。現実とは全く異なる次元にある世界にファクトリーがあり、そこからなにかトランスファーする技術があって、対象の設定の建物や空間、作品などをいきなり出現させてるような、そんな世界観で生きていた(カタカナなのはそのニュアンスの方が近いから)。今考えてみれば、夢みがちもいいところである。そんなわたしが、この世界が明確に人間の手で作られていると気づいたのは、自動的に動かされていると思っていた電車の先頭に、車掌さんなる人の姿を見たときである。それまでは日常空間のことをぼんやり「ズートピアに迷い込んだときの異世界」のような捉え方をしていたのが、そのときハッキリと「すべてはわたしとなにも変わらない人が考え、作り、動かしているのだ」という認識に変わった。夢から醒めた瞬間だった、と言ってもいいかもしれない。「自分が命を預けているこの動く生きもののことを、たしかにわたしは信頼しているが、これらは神のような万能な存在が管理しているのではなく、”わたしと何も変わらないこの人間”が動かしているのだ」という驚きだった(*実際は管理司令室やシミュレーションシステムなど様々あると思うが)。あれは何才の頃のことだったのだろう。とはいえ、この人が暴走したらわたしは死んでしまう!類のネガティヴなものではなく、感覚としては、自分は(車掌さんにすらなれるのだから)何にでもなれるんだ!という可能性に満ちたワクワクしたものであったと記憶している。これは、自分と世界を切り分けて、自分のかたちを他人にも投影することで、他人が自分と同じ種のbeingであると認識しそこから敷衍した初めての経験だったと思う。とにかく強烈に心に残っている。

先日この話を久しぶり思い出し、友人にしたところ、その人は、そのような経験などないらしく、ふ〜んという反応をした。え?みんなないの?となった。世界が不可分だった頃、みんなはどういう解釈でその世界を生きていたのだろう。今回は、特にオチなどない。自分が気になったから、もし同じ感覚を経験したことがある人がいたら、面白いなと思った。もしよかったら、おしえて。




どうも〜