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誰もが「先生」の時代に
職業柄「先生」と呼んでいただくことが多い。
今とは全く異なる仕事をしていた会社員時代にはなかったことで、現職に就いてから、急にこう呼ばれる日々に慣れるのに、少しの時間がかかったことを思い出すことがある。
そう思えば、学校の先生などは、結構気の毒だとも思っている。
学部を卒業して、20代前半ですぐに「先生」と呼ばれてしまう。
子供からすれば、20代前半は一見立派な大人のように見えるかもしれないが、保護者からすれば、年齢に関係なく、自分の子供の教育を任せるに十分なのかを問いたい存在だ。
ところで、私は「誰もが何らかの分野の先生である」と思っている。
仕事にしていようがしてなかろうが関係ない。
人に教えられるような技術や知識を、誰もがひと分野ぐらい持っているのではないだろうか。
趣味でも、社会的役割でもいい。
きっと詳しい分野があることと思う。
そんな誰もが先生の時代に、私の講義を受け、難しい課題にトライしてくださることに、ただただありがたいと思うばかりだ。
「先生」と呼ばれることの多い講師の仕事は、信頼を寄せて発注してくださるお客様と、お客様のもとで講義を受けることを決めてくださった受講者の方がいないと、全くもって成立しないのだ。
先日担当したクラスで、最終講義日に、受講者の皆さんからの一言が書かれたカードをいただいた。
毎日出席簿に押していたハンコが押されていて、それがなかなか味わい深かった。
私にブルーが似合うからと、ブルーのハンカチセットもプレゼントしてくださった。
ピンクや花柄も候補に入ったと伺ったが、ブルーが似合うと決めてくださったそうだ。
そういう過程が嬉しい。
ありがとうございます。大切に使います。
そんな話を伺ったので、帰りに清々しい青空を撮った。
余談だが、私は一つの大きなPJが終了すると、自分にご褒美を買うことに決めている。
今回は、帰りの書店で見つけたパンダのシールにした。
20匹並べてみた。
誰もが先生と呼ばれる時代に、「先生」と呼んでいただき、共に学んでいただいた20名の皆さんの幸せを願います。
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