理解がすべて
今日は、私が以前読んだマインドフルネスの本から抜粋してみることにしたので、最後までよろしく!
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遠くの農園で奴隷として働かせるために、あなたは誘拐されそうになっていることを想像してみてください。
誘拐されたら、二度と自由になれなず、一生その場所で過ごさなければなりません。
誘拐犯から逃れるには、数メートル下の川に飛び込むしかなく、その近くに安全な場所に連れて行ってくれるボートが待っていると想像してみてください。
飛び降りるのは勇気がいることだと思いますか?
もしかしたら、この場合、勇気が必要なのは「やらないこと」かもしれません。
「自分が何を必要としているのか。」
「飛び降りることがどれほど重要なのか。」
「飛び降りれば、たとえ足を折っても生きていける。」
「もし自分が捕らえられれば、永遠に奴隷として生きるしかない。」
そのことを理解すれば、飛び降りることは勇気のある行動ではなく、明らかな行動となります。
人生において、勇気を持つこと以上に必要なのは、理解することなのです。
私たちは、もし正真正銘の本当の自分であるなら、私たちの心の健康へのパスポートになることを理解する必要があります。
これは人間の生活の中で最も基本的なことで、食べるということよりも、また、何を食べるかということよりもずっと重要なことです。
もし私がすでにパンの耳を手にしているなら、食べないという言い訳の余地はありません。
奴隷の話をパンの耳のようなものを食べることにすり替えるのは、かなりおかしいことかもしれませんね。
理解することがすべてです。
理解していれば、リスクを取ったり、勇気を出したりする必要はありません。
現実がどのようなものか、その時に何をするのが正しいのかを理解した上で、それを実行して生きていくのです。
もしかしたら、他人からは「勇気がある」「危険だ」「狂っている」などと言われるかもしれませんが、あなたは、あるがままの現実を理解することだけです。
もし、自分ができる限り本物の自分でいることが現実で、それが内なる平和と調和の領域という最も安全なことであると知っていれば、たとえ誰も理解してくれなくても、自分が生きたい人生に近づけるような決断をすることに何のためらいもなくなるでしょう。
人に理解されることは必要ではないし、最も重要なことでもない。
大切なのは、自分自身を本当に理解し、自分が生きるべきことに生きることだ。
自分の人生で最も重要なことは、生きていることを実感し、そして、生きていることを実感させることを行うことだとわかっているなら、それは明らかです。
熟した果物のように落ちてきて、自分の目の前にあり、生きているということを理解しているなら、勇気はいりません。
ここに書かれていることは、たった一つのことに関係しています。それは、
自分の感じたことを自由に生きることが人生の目的で、精神的な恐怖がそれを妨げる唯一のものだということです。
自分の本質はこれだということを知り、それに従って生き、自分自身を生命と調和させます。
そう理解していれば、苦を感じずに生きていけます。
理解することがすべてであり、絶対的なものです。
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*翻訳したのは私なのですが、理解していただければと思いました。
「Vivir de corazón(心から生きる)」
Álvaro Gómez Contreras(アルバロ・ゴメス・コントレーラス著)