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農業と教育と多様性


最近はよく実家に帰る。

目的は農作業の手伝いや家の片付け。

こんなふうに書くと、
なんとも親孝行な娘のように感じるかもしれないけれど、
自分が楽しいことや興味のあることでしか
体が動かないわたしにとっては、

全部、自分がやりたいからで動いている。

親のためというより、自分のためにやっているという、
実際はまあまあなんともなお話…。

実家は柿農家で、
毎年柿もぎの時期には手伝いに帰っていたけれど、
今年はその前の作業から手伝うことに。

わたしはなめていた。

柿農家にとって、柿もぎがいちばん大変な作業だろうと思っていたけれど、
まだまだ柿もぎ前にも大変な作業はいっぱいあった。

やらなければわからないことがある。

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↑実家の柿畑と母が植えたバラ


パソコンと農作業のバランスがどうやらいいみたい

でも、大変な作業と言いながら、
それを楽しいと感じているから、
そんな自分に自分が驚いている。

どMが開花したのだろうか?


少し掘り下げて分析してみたところ、
どうやらバランスがいいみたいだ。

普段はパソコンと向き合う時間が多いけれど、
農作業手伝いに帰った日は全くパソコンを開かない。

いつもはパソコン画面を見つめて、
下を向いた猫背姿勢になりがちだけれど、
柿の摘蕾作業では上の枝を見上げる時間がほぼすべて。

さらに、
パソコン仕事中はエネルギーを使っている感覚があるけれど、
農作業中は自然からエネルギーを充電してもらっているような
感覚になる。

バランス。


こんな働き方を目指してたどり着いたわけではないけれど、
気がつけば半農半Xのような現在地に。

そんな日々の中で感じたことを今日はまとめてみたいと思う。


農業生産者の裏側、日本の仕組み、問題に対する想い、
農業と教育、最後は多様性の話まで。

よかったらお付き合いください^^

摘蕾、防除、草刈り、防除、草刈り…エンドレス

春になると柿の木は
黄緑色の爽やかな優しい葉っぱを
大きくしていきます。

そして5月になると実をつけ始め、
その実がだんだん大きくなり、
花が咲き、花が落ちる頃には、
もう立派な柿のミニチュア版のような状態に。

この時期、5月半ば〜6月上旬にかけて
柿の摘蕾(てきらい)作業というのをするのだけれど、
この摘蕾とは何かというと
“間引き”のような作業。

たくさんつけた実の中から
良さそうな実をひと枝に一つにしていく
(残りはポキポキ軸を折って落とす)

ほんとうに地味な作業

ひたすらポキポキポキポキ。
今日も明日も明後日も。

摘蕾シーズンの到来は、
防除シーズンの到来でもあり、
毛虫や害虫、病気予防のために薬を散布します。

防除の機会は通称SS(エスエス)と言われる機械で行うけれど、
これがまたいろいろどでかい。

大きさは普通車くらいで、
音もドデカければ、値段もどデカい代物で、
なんと1台500万超!!

高級車一台分…。

農家さんは農機具や肥料、薬などにかかるコストが
想像以上にでかいのです。

SSで撒く散布剤は虫を殺すもの。
当然、それを撒く人にとっても有害であることは間違いない。

SSは傾いた斜面などの土地に弱く、

バランスを欠いたため、防除中に亡くなられた方もいる。

健康面だけでなく、命の危険も伴う作業だったりする。

そんな防除を決められた回数やらなければならない

同時並行で、この時期は草もぐんぐん伸びていくから、
刈ってはまた伸びる草をエンドレスで刈りまくる。

この時期は気温も高くなっているから
文字通り汗だくになっての作業が続くわけです。


摘蕾→草刈り→防除→草刈り→仕上げ(見直し)→防除→草刈り…

エンドレス。

ヨーロッパの農業と日本の農業事情

最近、地球環境に負荷をかけない経済にシフトしている
ヨーロッパの話を聞く機会が多く、
ここで大きなモヤモヤが生まれる。

再生可能なエネルギーの循環、
農薬や化学肥料を使わないオーガニックな農産物、
できた食材を無駄にすることなく食すシステム、
生産者を守る新しい取り組み、
再生農業へのシフト…。

人にも自然にも地球にも優しい農法で
経済が循環している世界がある一方で、

まだまだ
人にも自然にも地球にも負荷をかける農法で
高齢な生産者たちが無理をして
ようやく食べていける収入を得られる世界。

何かがおかしい。
このままではいけない。

そんな気持ちが日に日に大きくなっていく。

なのに、どうしていいかわからない。
舵を切って始めるリスクに怖さを感じる。

生産者と消費者の間にある農協

きっと消費者の人だって
安心安全な野菜やお米を食べたいはず。

けれど、安心安全=無農薬の農作物
を作ることは難しいわけです。

農家さんにとっては今以上の労力と時間がかかる。

しかも日本の場合、“きれいな野菜”が当たり前だから、
曲がっていたり、傷があったり、虫食いだったりすると
買ってもらえない。

売れなければ収入にならないから、
売るためにきれいな野菜を作る。

結果、虫さんが寄り付かないように農薬を使う。

あともう一つ、
生産者と消費者の間にある農協の存在も大きい。

農協に出荷する農産物は、
農協が定めた規定に沿っていないものは出せない

農協の規定=農協が定めた農薬や防除、肥料を定めた時期に行うこと

農薬や防除、肥料を使うことが出荷の条件になっているのだ。

だから、柿も農協が定めた防除を定めた回数行わなければ、
生産者は出荷することができない仕組みになっている。

もちろん、農薬や防除を使わず、
より安心安全な農作物を作って売ることは可能だけれど、
その販路を生産者一人一人が独自に開拓していき、
生活していけるだけのお客さんを確保することは現実的に難しい。

生産者はオーバー70世代

ネットにも不慣れな場合が多いし、
毎日の大変な農作業をこなしながら販路開拓は
想像以上にハードルが高い。


形は悪くても安心な野菜がほしい!

大きさが不揃いでも安く買えたら嬉しい!

自然農の農家さんを応援したい!

そんな人がどんどん増えていったら
間違いなく変わると思うんだけど、
まだまだ日本は先の話な気もしてしまう…。

三角、そばかす、おケツに双子、柿の実の多様性

柿の摘蕾の話に戻そう。

摘蕾作業はひたすらポキポキしていくと
前のところで書いたけれど、
この地味な作業をひたすら果てしなく行っていく。

ひと枝に数十個…大きな枝だと数百個くらいの
ミニチュア柿がギュウギュウ鈴なり状態で
実をつけているから1本の木をやり切るまで
なかなかの時間がかかる。

ひと枝に一つ残す実は、
位置、形、向き、隣の枝とのバランス、葉の形などをもとに
選抜していく。

当然、この時点で形が変だったり、
ヘタの葉の数が4枚でなかったりするものは
真っ先に切り落とされていく。

大きくなっても値がつかない柿たち。

市場が受け入れてくれない、
消費者に選んでもらえない、

要するに、美しくないものは価値がない
となるわけです。

だいたいは美しい柿になる可能性のある
器量よしこちゃんが多いのだけれど、
やっぱり枠から外れたやんちゃものもいるんです。

けっこう出合う想定内のやんちゃもの、
何千個に一個くらいのレア的やんちゃもの、
思わず摘蕾メンバーでシェアせずにはいられない奇跡のやんちゃもの。

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左から順に
残るべき柿に選ばれる美しい柿
ヘタが3枚の三角柿
切り込みの入ったおケツ柿
ヘタが2枚のかなりレア柿

面白いもので、
そういった実に出合うとテンションが上がる。

市場には受け入れられず、
「価値なし」と地面に落とされる運命なんだけど。


大きくなったらどんな形になるんだろう?

どんな味がするんだろう?

味に違いがあるんだろうか?


そんな妄想をしてみるも、
それが実現しない、できない虚しさに
いつも着地するのであった。

ついつい想いを馳せてしまう教育の話

わたしの場合、ついつい何でもかんでも
教育に結びつけてしまいたくなる癖がある。

この日も摘蕾作業をしていて、ふと思う。

農作物だけじゃなくて、
私たち大人は子供たちにも同じようなことを
していないだろうか?

子供たち一人一人違った個性を
そのままの形で花ひらかせてあげるのではなく、

大人がおもう美しい姿にしようと
それこそ手をかけ、正し、教え込もうと
していないだろうか。

多様性を受け入れるより、
均一化をうながすような方向に
まだまだ向かっていないだろうか。

枠に当てはまらない個性的な子ほど
畑(学校)の中で居心地悪さを感じる教育を
せっせと農薬撒いて、防除して、肥料で整備してないだろうか。

市場(社会)に受け入れられるために、
野菜(子供)をどれも同じ形に美しく育てようとすることは、
その野菜(子供)の幸せとは限らない。

多様性の時代と日本人

多様性の時代。

きっとこれからはますます生き方、価値観が
多様になっていくことは間違いない。

けれど、日本という国の歴史を見ていくと、
外からの人や文化、影響を受け入れてきた
日本人の在り方がある。

外からきたものに対して、
自分たちとは違うものに対して、
対立や争いではなく、
調和させていく道を選んできた日本人。

本来、多様性の時代が最も得意なのは
日本人なんじゃないかという気もする。

「これじゃなきゃダメ」
「こっちが正しい」
「美しく完璧なものに価値がある」

ではなく、
「それもいいね」
「それもありだね」
「面白く変わってるものって豊かだね」

そんな価値観にシフトしていけたら最高。

これって農業や教育の話だけではなく、
生き方や働き方、ものづくり、暮らし方…
すべてにおいて言えることなんじゃないかな。


こんなことを鳥の声聞きながら、
吹き抜ける風に心地よい幸せを感じながら、
柿畑に立つ女が考えていたのであ〜る。

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#筆文字えりちゃん


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