2023終わりに。
今年もたくさんのことがあった。
ダラダラとなんの予定調和もなく、思ったことを日記みたいに書き連ねてみた。ほぼ自分の記録用。
今年は海外出張も2ヶ月に一度のペースで戻すことができた。家族にもとても感謝だった。
娘が三歳になったことは、母として本当に嬉しかった。
最高に可愛いのに、最近は、1歳の時の写真ばかり見てしまい、まだ男の子か女の子かわからない中性的でひょうきんな表情にくすくす思い出とともに懐かし笑っている。
三歳になると急激に、成長していっているように思う。急に、平仮名を始めた。
ニュースを見ていると、平仮名のところだけ読んで「“に”だ!」とか「“う”だ!」とか言うので、すごいなあ、、、と感心してしまう。
この前のクリスマス会では、演劇をやったのだが、自分の名前を言うときにフルネームをみんなが言っているのに娘だけ、自分のフルネームに「ちゃん」付けしていて、爆笑してしまった。
そんな日々のくすくすとした笑いとか、幸せな瞬間があること自体が、なんて平和なんだろうと噛み締める。
すぐ近くに、争い、戦い、悲しみ、絶望がある時代になったなあ。
私が起業した2006年は、世の中が今よりずっとポジティブだった気がする。
0を1にする話を、心から応援してくれるムードもあり、何度も救われていた。
今は、さまざまな場所で、矢印が見つからない。
どちらに行けば、正解かわからない。
そう、正解がない時代に、突入した。
その事実を、きちんと受け止め、それを自身の思考の切り替えや脳内のベクトルの転換にきちんと繋げないといけないなあと、今年はコロナが明けて特に考えてきた。
特に仕事面だけではないのだけれど、とりわけ仕事において、細分化された市場をざっと見るのではなく、細かく見る、でも素敵なアバウトさで眺めることが大事だと思えてきた。
素敵なアバウトさって言うのは、「囚われない」という意味。自分自身と適切な距離を持って、と言う意味。だから「眺める」と言う動詞が適切かなと思った。
細かくなったニーズや、市場をすごく真面目に見つめていると、徐々に市場の囚人みたいになってしまい、そこから「創造」や「変革」というものが生まれるはずもない。
だから、いつだって、自分と市場や、自分とプレイヤーとしての自分自身との距離を保って、なんとなく流れを捉えよう、くらいのアバウトさが、今の自分には必要な気分。言葉にできないんだけれど、対象と対峙するときに、シリアスになりすぎないノリが、求められているように直感的に思う。
そんな風に、対象と距離を取ることを強く意識するようになってから、前より自分自身について少しだけ客観視できるようになったなあと思っている。だから、「なんて自分は愚かなんだ!」ってショックになることも多くなった気がするんだけれど笑。
自分の「揺れ・揺さぶり」のようなものを非常に敏感に抱くようになった。
私は自分自身を分裂症だと元々感じていたが、その分裂からくる振り子が早いスピードで感じるようになった。
それはやはり、クリエイターとしての自分、組織をリードする自分という2つ。
(追加で母としての自分が加わっている笑)
今、その振り子がシーズン内(6ヶ月)でも揺れに揺れる笑。
きっとスタッフは大変さが急増しているはずだ。
でも、その様子を距離を少し持って眺めているので、「ああ、この速さで揺れていたら、いつか一つになるんじゃないか!?」って新たな期待が生まれてきて、最後は肯定している笑。
人は、幾つもの側面を持っている。意識して操ることができたら、人生は楽しくなるに違いない。
幼少期、父が言っていた印象的な言葉。「一つのことをやっていたらストレスだよ。いろんなことをやるから、ストレスというのは忘れたり、かき消したりできる」
一周回って今の時代は、そういう感覚が大事なのかもしれない。
一つに絞り込んだ時、それがダメだった時の致命傷が深すぎる。
ビジネスにしても、取り組む課題にしても、関わるコミュニティにしても。学校がダメでもフリースクールがある、という感じで。
だから、3つくらいを皿回し状態にしていきたい。
皿回しをしながら、一つがダメでも、二つで回ったり、いつかは一つだけでもいいやって思えたり、そうした心理的セーフティネットを自分なりに作ることが大事かなって。3つくらいを回し始めると、本質的にどうしたら回るのかが、少し理解できるのではないか。もしかしたら最後は回しながら一輪車に乗れるかもしれない。
そういえば、この前、初めてサーカスを家族で見に行った。
空中ブランコやイリュージョンなど驚く演技がたくさんあったのだが、私も旦那も一番感動したのは、アルゼンチンから来たジャグリングの芸人だった。
30cmくらいのピンや輪投げを複数放り投げ、キャッチするという、比較的おとなしい類の芸なんだが、何に一番心を惹かれたかというと、彼が失敗する様子だった。
落としてしまうのだ。
しかも2回くらい。
おそらく演技で失敗したのかもしれないが、本当に悔しそうにするので、ついつい、「頑張れー!!!!」と言ってしまう。
そして、ようやく、彼が大成功して、最後のピンまでキャッチできた時、「やったやった!!!」と会場にいた皆が一番大きな拍手をしていた。
私たちは、やっぱり、芸・スキルではなく、人に感動するのだと思った。
つまり、結果ではなく、その人が、何かを達成するプロセスに、感動するのだと思った。
ついこの前、バングラデシュの工場長マムンさんが日本法人のマザーハウスの取締役になった。「15年、働き続けてきたけれど、まさかこんなポジションが自分に降ってくるなんて、願ってもいなかったんだ。ただただ、やれることを必死になってやってきただけなんだ。」という言葉に涙が出た。
そしてついこの前、国府台中学校という場所で講演会をした。生徒会長さんが私宛に熱烈なラブレターを書いてくれて、千葉まで行こうと決めた。
講演会が終わった後、「山口さんから学んだことと、ピッタリな歌を歌います。」と言って、YOASOBIの群青を全校生徒で合唱してくれた。
その時なぜ涙が溢れたかというと、この講演会自体、彼女たちが自主的に企画したものだったからだ。そしてこの「YOASOBIを歌う」というサプライズも彼女たちが自分達で考え、1年間ずっと、音楽の授業などを使って練習してきたものだったからだ。
そうした、“道のりが見える”ことや、“道のりを感じること”は、人の心をとても豊かにさせる。
マムンさんの15年や、彼女たちの練習の風景に、“思いを馳せる”ことができるのは、人間の最も美しい技だと思った。
私は、こうして、ラッキーなことに感動させられるシーンに日々巡り合う。そして感動すると必ず決まって、「人に感動を与えたい」と思うのだ。手を動かし、頭を使って。だから頑張る。シンプルに。
今の時代、人を貶めたり、人を批判したり、人の心に傷をつける行為がSNSを通じてとても簡単になった。
私自身も少ないが、そうした批判を受けることもある。
でも、さっき書いた対象との距離感というのはとても大事なことで、そんな場面の時私はまるで自分が灯台になったように思うようにしている。
ネガティブな情報はその灯台から見える海の波だと捉えるようにしている。
押し寄せては消え、またやってくる。でも灯台は、嵐の時もずっと定位置に立っている。
だから、自分はその灯台なんだと思うようにしている。
動じない。
なぜそれが灯台じゃなきゃいけないかっていうと、光を発しているから。
その灯台の光は世界の遥か彼方までは届かない。でも、半径2、3キロだったら、照らすことができる灯台。私は、その距離で、スポットライトを当てられる灯台になりたいと、朝思いながら瞑想している。
自分なりに行き着いた、一つの思考法で、独特すぎるでしょう?笑。
色々な瞑想や自分の保ち方を書いたメンタル本は、あるが結局は自分の心は他人の心ではないので、自分なりのカスタマイズが必要だと10年以上前思っていた。
情報は山ほどあるけれど、結局、自分にフィットするのは自分で見つけようと思い、それにはイメージの対象となる「モチーフ」の発見が特に有効だと思い、色々なモチーフを試したのだが、行き着いたのが「灯台」だったのだ。(見つけた時は部屋でガッツポーズだった・・・)
みんなを照らそうなんて思っていないところが、自分らしいなって思う笑。
ただ、近くの距離でも、自分が照らせる暗闇はあるんじゃないかと信じている気持ちに立ち戻る。
そして照らした部分を、その人が人生のスポットライトだと感じてくれたらとても嬉しい。自分自身がスポットを浴びたいなんて一度も思ったことはなく、発光源になれる人間になりたい。個人的な美学。
今年は、バングラデシュの職人モルシェド、そしてヘルパーのムンナ、勤続15年以上になる二人から最高の手紙をもらったことも思い出だ。
その中で「あなたと出会ったからこそ、夢を見ることができた。そして息子に夢を見させることができた。スキルと創造性と人間としての品格を持ったあなたの隣で、16年学べたことは最高の喜びをもたらしてくれた」と書かれていた。
こんな最高の手紙はもらったことがない。
人無くして、感動は生まれない。物と数字では人を感動させることはできない。しかしそれらが主人公で人間が脇役のように思える時代だ。もう一度、人が主人公である時代が、来なければならないと思う。
娘の人生を考えるとき、何が正しい育て方なのかぼんやり分からないなあと悩む時間が増えたが、心から感動する場面にたくさん出会える人生を歩んでほしいと思った。
もう一度「人」というのを中心に考えてみたいと思った1年だった。
書くべきことを決めていなかったのに、なぜかうまくまとまった、、、か?!
来年もよろしくお願いいたします。