見出し画像

親が元気なうちにできること|天国の父へ伝えたいメッセージ

父の病気が見つかるまでは、どこか他人事に聞こえていた言葉

「親孝行は、できる時にしておきましょう」

父の逝去を知らせた寒中お見舞いに対して、元部下のKさんから手紙が届きました。何枚もの便箋に丁寧な字でつづられた父のエピソードと感じたことをお伝えします。

Kさんが新人として配属されたのは、父が課長をしていた部署
ある日、Kさんは取引先へ向かう途中で自動車事故を起こしてしまいました。

事故は幸いにも無傷でしたが大切な商談のアポはキャンセルになり、不注意で信用を失ったと考えたKさんは、責任をとって仕事を辞める覚悟でいたそうです。

事故を知らせるため震える手で電話をかけたKさん。上司である父はすぐに事故現場へ向かい、Kさんに仕事は切り上げて自宅で待機するようにと指示しました。

当時の出来事が昨日のことのように記されたKさんの手紙から、父がKさんの人生に少なからず影響をもたらしたことががわかりました。

手紙の最後に記されたのは、Kさんが事故の報告をした際の父の言葉

『「あなたの体は大丈夫か?ケガはしていないか?」と受話器越しに伝えられた言葉に救われた。仕事よりも、まず先に私を気にかけてくれたことが何よりうれしかった。事故の後、地方出身の私を食事に誘うなど気にかけてもらったおかげで事故の後ろめたさも消えていき、父のような管理者を目指して仕事に邁進してきた。』と締めくくられていました。

思わぬところで知った父のエピソードは、誇らしくもあり寂しい……
私は父のことをほとんどわかっていないと思ったから

父のサラリーマン時代は昭和の成長期。仕事と飲み会で平日帰宅は深夜です。単身赴任の時期もあり、23歳で結婚のため家を出た私は、無口な父とはほとんど会話をしたことはありませんでした。

北海道の商業高校を卒業し、東京の会社で定年まで経理一筋で勤め上げた父

不安症の母をかかえた家庭環境は平穏とはいえませんでしたが、時折、週末に行楽地に連れて行ってくれる無口で優しい父を尊敬していました。

お金を扱う経理職に憧れていた私は経理にはなれませんでしたが、回り道をして銀行で勤めることになったことは、不思議と父との血のつながりを感じます。

亡くなる前の約1年は、父の療養サポートを通してこれまでの空白の時間を埋めるように過ごせたのは幸い

「父さん、ありがとう。天国でゆっくりしてください。」

父の日のプレゼントは感謝の気持ちです。
親孝行は親が元気なうちに

最後まで、お読みくださり、ありがとうございました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?